データ活用・分析で日本の未来を拓く、
人生を懸ける価値を感じたブレインパッドの起業

ブレインパッド株式会社代表取締役会長 草野隆史氏

ブレインパッドは、データ活用領域のリーディングカンパニーとして、大きく2つのサービスを提供している。アナリティクスとエンジニアリングを駆使し、データを価値に変えることで、企業のビジネス創造と経営改善を支援する「ビッグデータ活用サービス」と、DMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)市場の国内シェアNo.1製品である「Rtoaster(アールトースター)」を中心に、先進的かつ実用的なマーケティングソリューションの提供を通じ、企業のマーケティング活動を支援する「デジタルマーケティングサービス」だ。

データを活用することで「日本を前進させたい」との思いから同社を起業した草野会長に、その生い立ちや、起業の背景、求める人材像等についてお伺いしました。

草野隆史氏

代表取締役会長
草野隆史氏

1997年、慶應義塾大学大学院政策・ メディア研究科修士課程修了。サ ン・マイクロシステムズ等を経て、 2004年3月ブレインパッドを設立。 現在、一般社団法人データサイエン ティスト協会の代表理事も務める。

 ブレインパッド株式会社

ブレインパッド株式会社
https://www.brainpad.co.jp/

設立
2004年03月
社員数
195名(連結、2016年12月31日現在)

《 Mission 》
「データ活用の促進を通じて持続可能な未来をつくる」
《 事業分野 》
コンサルティング
《 事業内容 》
企業の経営改善を支援するビッグデータ活用サービス、デジタルマーケティングサービス

仕事は、自分のやりたいことを選ぶもの

アマテラス:

まずは草野社長の生い立ちについて、お聞かせください。特に、起業家としての現在に影響を与えたことがあれば、教えて下さい。

ブレインパッド株式会社 代表取締役会長 草野隆史氏(以下敬称略):

私は普通のサラリーマン家庭で育ちましたが、今思えば、父とのある会話が起業に影響をしています。

父は商社マンで、ステンレス畑だったのですが、小学校の頃の私が「何でステンレスを仕事に選んだの?」と聞いたところ、「新卒の時に配属されたから」という当時の私にとって夢も希望もない答えが返ってきました(笑)。

私が幼く、見識が狭かったこともありますが、その会話がきっかけで「好きな仕事を選べないサラリーマンは嫌だな」と思うようになりました。自分の仕事を自分で選びたいという気持ちが、最終的に起業という道に繋がったように思います。

自分にとって居心地の良い場所を見つけていた幼少期

アマテラス:

幼少期のお話を聞かせてください。

草野隆史:

私は、幼い頃とてもマイペースだったそうで、幼稚園の休み時間には、周りの子供たちが園庭で遊ぶ中、一人教室で黙々と遊んでいたそうです。

心配した母親が「なんでお外で遊ばないの?」と訊いたところ、「僕はのろまだから、お庭に出た時にはみんなに遊具を取られていてつまらないの。だからお部屋で自由におもちゃで遊ぶの」と答えたとか。
当時から、人と違うことに抵抗がなく、自由さを求めるところがあったみたいですね。

アマテラス:

小学校時代はいかがでしたか?

草野隆史:

取り立てて特別なところはなく、ただ運動が苦手な分を補おうと、クラスの中では授業中に騒いでいるおちゃらけキャラタイプでした。
のちの人生に影響を与えたことといえば、すごく短い期間でしたが、イジメにあったことがありました。それ自体はすぐに収束したのですが、少なからず心にダメージはあったので、自分を境界にしてその内側で色々と深く考える内省的な一面が生まれたように思います。

自分を評価する基準に違和感を感じていた

アマテラス:

中学、高校時代のエピソードを教えて下さい。

草野隆史:

私は中高一貫の私立の男子校に入学しました。いわゆる進学校で、中間・期末試験毎に成績に基づいてクラス替えを実施する学校でした。競争を煽られている感じが、馴染めませんでしたね。ま、単に勉強が嫌いだったということかもしれませんが(笑)。

何より、学校の評価基準が複数科目の合計点であることに納得がいかず、「好きな科目の点数なら悔しさも湧くけど、全科目の合計の点数が自分にとって何を意味しているのか?」と疑問に感じていました。

ただ同時に、そうやって競わせた結果として、勝ち残った上位陣が日本最大の早慶合格者数を稼ぎ出し、その実績で中高の入学希望者の層が厚くなるという循環は、「経営としてうまいな」と感心もしていました。自分が属するシステムを客観視して、時に疑い、「もっといいシステムがあるのではないか」と考える思考は、今思うと起業家マインドに繋がりますね。

なぜ疑ったかといえば、勉強嫌いは差し引いても、私がその中にいて楽しくなかったからです。「試験で競う環境で幸せな人なんているのかな」と考えていました。

その学校は1学年だけで1500人を超えるマンモス校だったのですが、「その中で成績が1番の人は幸せなのかな?」と思っても、よく考えればそんな彼も全国模試では10位前後だったりするわけです。上には上がいて、きっと彼も満足できていないという構造に思い至ってゾッとしました。

「あいつより自分は点数が良い」といった他人との比較で自分の満足や幸せを考えていると、「世界で一番優れた人にならないと幸せになれない構造」に陥るからです。しかも、その1位の人も次の試験の時には順位が落ち、幸せじゃなくなるかもしれない。正直、これはすごく厳しいと思いました。

私の結論は、他人との比較で自分をメジャメントし始めると、不幸になるというか幸せになれないということでした。今なら「地位財」という言葉を知っているんですが、成績やお金などといった分かりやすく他人と比較できる基準で自分の幸福をはかると、「ハマる」ことに当時から漠然とながら気づいていたんですよね。

だから、中高の6年間「では、自分はどんなふうに生きていきたいのか」という答えのない問いを自分にぶつけていたように思います。

インドで気付いた自らのアドバンテージと責任

アマテラス:

大学時代のお話を聞かせてください。

草野隆史:

大学時代、友達とインドへ旅行に行きました。20年以上前の、現在のような発展が本格化する以前のインドは、とても衝撃的でした。粗雑な家々が並び、貧困層と言われる人たちが数多く存在し、子供達は物凄い勢いで旅行者の私たちに施しを求めてきました。

その時「自分は日本に生まれて幸運なのだ」と感じました。彼らと私は人としては何も変わらないが、ただ「どこに生まれたか」ということだけでこの差がついている。そのことを「幸運だ」と思うと同時に、「このアドバンテージを持って生まれたなりの責任を果たす努力をしなくてはいけない」と思いました。

インドでは「何か行動に移す機会」以前に、生きていく上で衛生面など様々なリスクが存在しています。それに対して、日本は衛生面の問題はない上に、生活保護まである。「生き物にとって、楽園みたいな場所だ」と思いました。

その中での地位財の多少やビジネスの失敗なんて、生命の安全に比べたら瑣末な事です。なので、日本で「リスクが」とか「何かが整ってない」といった言い訳をするのはやめようと思いました。

社会人になる前に『稼ぐ』感覚を身につけようと起業

アマテラス:

大学卒業後は、就職せず、大学院に進学されましたが、その背景を教えて下さい。

草野隆史:

就職しなかった理由は、私にとって大企業への就職が魅力的で無かったからです。
本来、大企業に進む魅力は、大きな仕事ができる事だと思うのですが、そのためにはある程度偉くなる必要があります。でも、当時大会社では同期が1000人みたいな会社もザラにありました。そして、高校時代1500人以上もいる中で競争していた経験から、その規模の同期の中で突出することは難しいという感覚がありました。
更に、社会人での出世は、上下複数世代の中での勝負で、運・タイミングや人脈といった要因も絡み、自分が頑張ったからといって必ずしも認めてもらえるわけではありません。

一方で、当時はまだやりたいことも明確に定まっていませんでした。
そこで、今一旦就職をしたとして、「将来やりたいことが見つかった時に会社を辞める決断ができる自信があるか」と自分に問うてみました。まだ、今ほど転職が当たり前になる前の頃の話で、当時、「転職」は外資系に行った人だけがする特殊な行為でした。
会社から支給される給料という安定したお金のフローにのった生活を構築した後にやりたいことが見つかった場合、このフローを断ち切る自信が当時の私にはありませんでした。
そこで、「一人で食べていける」という自信はなく、このまま社会に出てはまずいという結論に至りました。

その後、時間稼ぎに大学院に進み、その在籍中に「稼げる」ようになろうと決意し、友達と会社を作りました。渋谷にオフィスを借りてそこで寝泊まりしていました。

アマテラス:

これまでのお話からすると比較的マイペースに過ごしてきた草野さんが、会社で寝泊まりするぐらい情熱的になる何かがそこにはあったのですか?

草野隆史:

マイペースというのは他人のペースに左右されないだけで、昔から関心を持ったことにはのめり込む性格ではありました。
大学院の頃はまだ闇雲で、何が評価されるかもよくわからないので、がむしゃらに仕事の量をこなして、ひたすら社会人にアウトプットをぶつけていました。

アマテラス:

その会社は何を目指していた会社なのですか?

草野隆史:

当時はインターネットが十分に普及する前で、パソコン通信の掲示板のコンテンツを使った雑誌作りで、今でいう『2ちゃんねる』のコンテンツの面白いところだけを紙面に起こしたような雑誌を創刊しようとしました。
しかし、創刊準備号だけで大赤字を出してしまい、「創刊号が出せない」という状況に陥りました(笑)。

その雑誌のコンセプト自体は一緒にやっていた社会人のもので、「こういう雑誌のニーズもあるのかな」と半信半疑な思いもありましたが、やってみたらやっぱり(ニーズが)無かったことがわかり、面白くも、大変な経験をしました。

サラリーマンから、再び起業へ

アマテラス:

その後、サン・マイクロシステムズに入社されたのですね。

草野隆史:

サン・マイクロシステムズに入社し、2年程在籍しました。当時は、Javaを出した後で、インターネットの普及を背景に、サンのサーバが飛ぶように売れていた時期でしたので、成功しているシリコンバレー・ベンチャーのダイナミズム等を学べれば、という気持ちで選びました。

私は新卒入社組の10期目位でしたが、その当時、新卒採用1期目の人でもまだマネージャーになれていませんでした。また、海外企業の一支店という感じが強く、日本法人独自として会社をどのようにしたいのかビジョンが伝わってこなかったので、「長く働いても、私が勉強したいことについては学べないな」と思い、深く働く前に退職してしまいました。

そのタイミングでいくつか声をかけて頂いた中で、大学院時代の友達が「上場モデルで、会社を作り直すから合流しない?」と声を掛けてくれたので、その誘いを受けました。

ベンチャーとは、誰かが頑張らないと起こらない変化を起こすもの

アマテラス:

起業に踏み切ったきっかけを教えてください。

草野隆史:

そもそも、私にとってベンチャーとは「こうあるべきだ」という社会変革のビジョンを持って、それをプロダクトやビジネスモデルに乗せて、その普及を通じて世の中を変えていくということだと考えています。

2000年に友人と起業したその会社では「無料プロバイダを通じて、インターネットをより多くの人に広める」というコンセプトで起業しました。そのコンセプト自体は社長を担当した友人のものだったのですが、僕も共感していました。

そして、2000年にナローバンドの無料プロバイダを作ったのですが、翌2001年に激安のブロードバンドを孫さんが『ヤフーBB』という形で開始し、「インターネットを広める」という点で圧倒的に負けてしまいました。

その後、ビジネスとしては、同じく孫さんの煽りを受けた他のプロバイダー事業者に対して私たちのナローバンドのインフラをアカウント単位で貸すという事業を展開したことで、一気に黒字化して一息つけましたが、初期のビジョンとビジネスモデルの関係が崩れていることに私はベンチャーとしての存在意義の危機を感じていました。

しかし、10億円も投資家から集めて始めた会社でしたから、「ビジョンとビジネスモデルがそぐわなくなったから畳みます」というわけにもいきません。そこでもう一度、ビジョンとビジネスモデルに整合性があり、あと5年10年続けていくことのできる存在意義とビジネスモデルを自分の中で考え始めました。

当時、孫さんが拓いたブロードバンド化の流れの中で、プロバイダー事業を営む私たちのネットワークを行き来するデータの量は爆発的に増加していました。これは誰かと誰かの通信の結果です。より具体的に言えば、多くの場合、その片方は企業が運営するサイトですから、企業に膨大なデータが集まり始めていたわけです。サンにいた経験から、日本企業がデータをうまく活用できていないことは知っていましたから、これは大きな危機であり、チャンスだと思いました。

私は、ベンチャーとは、「誰かが頑張らないと起こらない変化」を起こすことこそが重要だと考えていました。しかし、当時の他のメンバーは、私から見れば、放っておいても確実に起きる変化を意識して新規ビジネスを考えているように感じ、私とは感覚が合いませんでした。確かに、彼らの方が手堅いビジネスではあるのですが、その分大手企業が参入する可能性が高いので競争も厳しく、何より自然に起きる変化なら自分が人生を賭けるだけの価値がないように感じてしまいました。
一方、他のメンバーはデータ分析に対してピンときていないようだったので、結局、辞職を決意しました。

データ活用・分析は意義のある事業であり、人生懸ける価値がある

アマテラス:

データ分析で起業に至るまでのエピソードを聞かせてください。

草野隆史:

会社を辞めると決めた時に、「この国にこれから何が必要か」を改めて考えてみました。そこで、やはりこの国にとっての課題は、データを活用して生産性を上げるところにあると思いました。人口が減少しつつある日本の大きなテーマは「生産性の改善」だと当時から考えていたのです。

これは、「既に起きている未来は何だ」と問うた時に、「人口減少」と「データの増大」の二つがあり、データやネットで完結するビジネスが増えていく中で、それを活用する文化や担う人材の『備え』が出来ていないと、生産性は上がらないどころか悪化の可能性すらあると考えました。
だからこそ、データ活用・分析は意義のある事業であり、人生懸ける価値があると考えました。勿論気づいている人が少なくて、しばらくは競争が少なさそうな点も魅力でした(笑)。

創業間もなく、規模拡大を決意

アマテラス:

データ分析の事業に共感をして付いてきてくれる人は、当時はまだ少なかったと思います。当初、人集めで苦労することはありましたか?

草野隆史:

最初は5人のメンバーで始めました。私と佐藤(現社長)に加えて、2人は佐藤の前職にいたデータ分析ができる人、あと1人は私の前職のメンバーで現在取締役の安田です。
コンセプトに惹かれてついてきてくれたメンバーなので、スキル以前にマインドが高く、「ビジネスにはデータや分析が活かせる」という共通する信念を持っていました。

1年もすると、頑張って潜在需要を喚起するような営業をすれば、何とか仕事は取れることが少しずつわかってきました。
しかし、営業3人対技術2人で仕事をしていたため、仕事を取り過ぎると技術の2人がパンクしてしまう。かといって少しでも稼働が空くと、5人分の人件費が掛かっているので数ヶ月分の利益が1ヶ月で消し飛ぶような構造でした。

同様の仕事をやっている会社は他にないので再外注もできません。ですから、少々仕事を詰め込んでも吸収できる位の組織規模にしない限りは出口が無いと考えました。そこで、人を増やそうとしましたが、即戦力採用は難しく、人材を育成する前提で採用せざるを得なかったため、先行投資が必要となり、ベンチャーキャピタルから出資してもらう事にしました。

アマテラス:

資金繰りで苦労したことはありましたか?

草野隆史:

資金繰りには常に苦労しました。大きな銀行は会社が2年存続していないと融資してくれなかったので、創業当初は相手にもしてもらえませんでした。小さな金融機関から小さな金額を借りても埒があかず、何より借りたお金は返さなくてはならないので長期の投資には向きません。

結局、日本最大のベンチャーキャピタルであったジャフコからの出資を取り付けました。社会的に馴染みのない、しかし顧客企業の大事なデータを預かって分析するという事業のため、会社に信用をつけるために大きなベンチャーキャピタルに出資してもらう必要性を感じていたのです。
当時、「ジャフコが出資している」と言うだけで、大きな信用に繋がりました。今ほど、ベンチャーが大手から仕事を請けるのが簡単ではなかったのです。

困難にぶつかった時は、ミッションに立ち返る

アマテラス:

他には何か壁にぶつかった経験はありましたか?

草野隆史:

自社サービスの開発で壁にぶつかりました。最初の頃、社内には開発系エンジニアがいなかったので、開発リソースを有する企業とレベニューシェアでプロダクトを作るといった試行もしました。しかし、相手から開発の優先順位を下げられる等で思うように進捗せず、納得したものは出来ませんでした。

色々と検討した結果、結局、社内で開発エンジニアを持つ必要があるという結論に至り、ジャフコからの資金で分析人材を確保する際に、並行してエンジニアも採用することを決めました。

そこで、転職サイトに求人を出したのですが、全く反応がありません。泣く泣く自分で人材を検索し、スカウトメールをサービスの上限いっぱいの30通出したら1通だけ返信がきて、開いたら「頑張ってますね。応援してます」というメールでした(笑)。挫けずに、「せっかくだから、一度話だけでも聞きにきてくれ!」とリプライしました。

結局、その人が会ってくれ、事業や組織の構想を話したところ気に入ってくれました。そして、「あと2人、連れて来ても大丈夫ですか?」と言ってくれ、優秀なエンジニアが3人まとめて入社することになりました。その1人は今も『開発の中核』として会社を支えてくれています。

アマテラス:

困難にぶつかった際、どのように解決への切り口を見出していくのか教えてください。

草野隆史:

困難にぶつかった時は、ミッションに立ち返ります。
私たちのミッションは、「データ活用の促進を通じて持続可能な未来をつくる」なのですが、「そこに繋がっていくような仕事なのか?」と考えます。「日本を前進させたい」という思いで始めた会社なので、そこに立ち返るとやる気が出ますし、「この仕事をやっていいのか?」という判断基準にもなります。

ビッグデータから新たなサービス・付加価値を創り出す

アマテラス:

御社で働く魅力を聞かせてください。

草野隆史:

人工知能、或いはビッグデータ、IoTといったものを使い、お客様と一緒に新しいサービス・付加価値を創り出すところに、魅力があると思います。

IoTの活用が進めば、世界の任意の事象を各種デバイスでデータ化することが可能になります。それらのデータをコンピューターの中で分析しすることで、これまでにない顧客体験や改善といった新しい付加価値を生み出して現実世界にフィードバックしていくことが可能です。そして、このアプローチはほぼ全産業に適応が可能だと思っています。

当社について、上場等を経て「ベンチャーではない」と言われることもありますが、この未曾有のポテンシャルが控えた状況から考えると、私たちの会社規模(社員数200人程度)では、まだまだ小さいと思っています。ようやく利益を出しながらも、人を育て会社のケイパビリティを上げるというプロセスが回せるようになったというレベルにすぎません。

ここを少し詳しくお話しすると、現在、ありがたい事に定期的な仕事を多数頂けているので、若手にはそういうプロジェクトで経験を積んでもらいながら、確実にスキルを高めてもらうことができています。
一般的に、初めてのクライアントとのプロジェクトでは、馴染みがないデータやビジネスモデルに対して、確実に成果を上げられる人に任せなくてはいけません。ですからそのような新しいタイプの仕事ばかりだと、未経験者にチャレンジをしてもらう機会が提供できないのです。
その点、年間に100を超えるオーダーで様々なプロジェクトを受注していると、メンバーの力量や課題に合わせて、プロジェクトにアサインすることができ、結果早く成長してもらうことができます。

会社としても、人材を育てながら、新たなことにチャレンジできる状態になった今こそが、私たちのミッション達成に向けて本格的に取り組めるステージに入ったと思っています。

アマテラス:

求めている人材像を聞かせてください。

草野隆史:

今回の募集では、分析だけが出来るというよりは、ブレインパッドのあらゆる資産を使って、総合的なビジネスデザインができる方を求めています。
パートナー企業や、クライアント企業と一緒に新たな価値を生み出すために、「こんなふうにしたら、こんなデータが取れるのでは」とか、「このデータにこんな分析を組み合わせたら、今までにないサービス(顧客体験)が可能なのでは」等と、クライアントの課題解決に向けて、創造的に様々なオプションを創出できるような方を求めています。

更に、そのアイディアをクライアントに対して説明・説得し、プロジェクトもマネージしてくれたら最高ですね。

アマテラス:

素敵なお話ありがとうございました。

この記事を書いた人

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

 ブレインパッド株式会社

ブレインパッド株式会社
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設立
2004年03月
社員数
195名(連結、2016年12月31日現在)

《 Mission 》
「データ活用の促進を通じて持続可能な未来をつくる」
《 事業分野 》
コンサルティング
《 事業内容 》
企業の経営改善を支援するビッグデータ活用サービス、デジタルマーケティングサービス