ベアーズは女性の”愛する心”を応援します。

株式会社ベアーズ専務取締役 髙橋ゆき氏

家事代行サービス『ベアーズ』の専務取締役 髙橋ゆきさんはどんな家庭環境で育ち、どんな幼少時代・青春時代を過ごしたのか?

テレビ、新聞、雑誌のみでなく、街のコンビニでも『家事代行のベアーズ』に触れることが多くなり、家事代行サービスの認知度も向上してきた。一方でベアーズの顔としてエネルギッシュに振る舞う髙橋ゆきさんの生き方や生い立ちに関心を持った人は少なくないのではないでしょうか。

『女性の社会進出』

このとてつもなく巨大で重要な日本の社会問題の解決に対し、株式会社ベアーズは急先鋒として立ち向かっている。

今回の起業家対談では、
ご主人であり創業者の髙橋健志氏とともに現在の株式会社ベアーズを育み、女性経営者として、二児の母として邁進している髙橋ゆきさんの生い立ちに迫りました。

髙橋ゆき氏

専務取締役
髙橋ゆき氏

「女性の”愛する心”を応援します」をコンセプトに1999年10月株式会社を設立し、家事代行,ハウスクリーニングサービス、ベビー&キッズシッターサービスを行う「ベアーズ」を夫が起業。妻として創業期を支え、現在は専務取締役として、広報、マーケティングのみならず、社員教育も行っています。
日本の暮らし方研究家、家事研究家としても、テレビや雑誌、講演会など幅広く活躍している。2児の母。

株式会社ベアーズ

株式会社ベアーズ
https://www.happy-bears.com/

設立
1999年10月
社員数
385名(登録スタッフ数 5,200名 *2017年1月時点)

《 Mission 》
女性の『愛する心』を応援します。
《 事業分野 》
コンシューマBiz
《 事業内容 》
家事代行サービス ハウスクリーニング キッズ&ベビーシッターサービス シニアサポートサービス(R60) ホテル清掃サービス マンションコンシェルジュサービス オフィス・店舗・ビル清掃サービス

胃カメラを飲むデリケートな少女時代。髙橋ゆきの原型は16歳の時にほぼできていた。

アマテラス:

日本における家事代行のパイオニア、”ベアーズ”の創業経営者、そして二児の母としてイキイキとキラキラと輝いているゆきさんですが、そんなゆきさんの生い立ちについて教えてください。

株式会社ベアーズ 専務取締役 髙橋ゆき氏(以下敬称略):

私は、写真家の父と起業家の母の間に生まれました。
小さいころは母の強い思い込みにより、お腹の中にいるころから男の子だと思って出産を迎えたらしいです。ですから生まれてから本当に男の子みたいな恰好をして育てられて、私のこの男勝りっぽい中身はそういう生い立ちから始まっていると思います。小さなときからすごくはっきりしてる子でした。「白か黒かはっきりしてよ」というような感じですね。

起業家の母は常にアグレッシブで、エネルギッシュで太陽みたいな人で、写真家の父は非常に芸術肌で月のような人でした。
家の中に常にこの神秘的であり発想力があってクリエイティビティあふれる父と、ダイナミックで、パワフルでエナジー150%みたいな母の間に育ちましたので、とにかく小さなころから人生って素敵だなと思う、超スーパーポジティブガールだったわけです。

小学校6年間はずっと学級委員長とか代表委員とか、大体「長」を任されることが多くて・・・。それで、自我が出てくるような年になると、周りが非行に走る子もいたり、いじめられたりいじめたり、もしくは派閥みたいなものがあったり、一人で逆にいじけてる子がいたり、とにかく正義感の塊でそれをなんとかしないと!と思っていました。どんな子も「ほっとけない」みたいな感じです(笑)。誰に頼まれたわけじゃないんですど。でもそうやって正義感を奮わせてる割には、実は超デリケートで、哲学を勉強する少女で、ゲーテの詩集を読んだりとかしていました。

中一のころから胃が痛いとか言い始めて、中二のころには胃カメラの常連客になっていました。なぜ宇宙は生まれたのかとか、なぜ人はここにいるんだとか、そこまで考え込んでしまう、とてもデリケートな子だったみたいです。

そんな私にとって父は人生の辞書みたいな人で、なんでも父に聞けば物事の考え方や自分の心の落ち着け方とか私のメンターであり師匠みたいな、お父さん子でした。そんな父にいつも「なんで人は人をいじめるの」とか「なんで人はこうすると悲しむの」とか「なんで人はこうすると喜ぶの」などを何でも聞いていて。女の子として月経が始まったら、体のメカニズムさえうちの父が図解してくれて、ああなってこうなってこうなるんだ、というふうに教えてくれました。

そんな父にある日、私がデリケートな16歳ぐらいのときに突然呼ばれて、「ゆき、ちょっと落ち着け」と、「世の中そんなに心配したり悩んだり不安に思うことは不要なんだ」と。「明日の太陽は誰にでも上がってくるから、そんなことよりも今を一生懸命生きて、明日の朝日をありがとうの気持ちで迎えることのほうがよっぽど人生が美しく輝くよ」っていうことを父が教えてくれました。本当に人生にとってとんでもなく悲しいとかとんでもなく大変なことというのは、自分の大切な家族や親とか子どもとか恋人などが怪我をしてしまうとか、大病する、最悪亡くなってしまう、こういうことが大変なことであって、それ以外は大変なことなんてないんだということをバシッと言われました。
師匠でありメンターでありコーチみたいな父はそう力強く教えてくれました。

アマテラス:

“髙橋ゆき”の原型としての価値観は16歳の時にほぼできたということですね。

髙橋ゆき:

そうです。すごくデリケートすぎて中二から毎年胃カメラを飲んでいたような、些細なことでも傷つきやすい子だったので。だからこそそのタイミングで父はこういう話をしてくれたと思うんです。周りの大事な人たちが悩んでいたり、悲しんでいたりするのを考えると、いてもたってもいられず自分のことのように心配していました。

アマテラス:

ゆきさんは感受性が強すぎたんでしょうね。

髙橋ゆき:

そうですね。きっと父は、勝手に傷ついたり悲しんだりしてる私の姿を見て、うちの娘はこんなことをずっと続けてたら心身が持たないと思って言ってくれたのかもしれません。もっと自分を大事にすることが本当の意味でお友達やゆきが心配している人たちを守ったり導くことにつながるんだよ、と。だから自分のことを大事にするために、胃カメラばっかり飲むような考え方じゃいけないよと、そう教えてくれたのです。その教えがあって今の私があるのかなと思います。

26歳で母の会社の倒産。無一文になり、破産処理を行う。

アマテラス:

ゆきさんのお母様についても教えて頂けますか?

髙橋ゆき:

母は25歳まで、とある商社の普通のOLで役員秘書をやっていたんですね。それこそお茶を出したり応接室にお通ししたり。ところがうちの母も当時にはめずらしいパワフルな女性でしたから、突然「あたし起業する」と言って周囲を驚かせたみたいです。当時は女性が「起業」するなんてあまり考えられなかった時代でしたから。

女性が起業というのはとんでもなくレアケースで、母の親戚はみんなびっくりして、女が一人で会社を興すのなんてやめときなさいと諭したらしいんです。でもうちの母は言い出したら聞かないので、自分の親をはじめ、叔父とか叔母からお金を集めて、借りて、出版社を立ち上げるんですよ。

いきなり25歳で脱サラをし、今でいう起業家、アントレプレナーとなり、それで彼女は丸々25年間経営するんですね。大人になって社会を見はじめた私は母のことを反面教師で嫌いな部分があって、経営者としてどうなのそのやり方? そんなことじゃ社員がみんな離れていってしまうよ、みたいに思っていたのですけど、結局倒産してしまったんです。

私が生まれたときにはもう母の会社があったから、まさか自分の生まれ育っていく過程で親の会社が倒産する日が来るなんて思いもしなかったことが、私が26歳のときに倒産してしまったんです。倒産の後始末とか処理を全部私がやりました。でも実は倒産をした経験こそがいまの私の経営者としての、お金では買えない物凄い経験になりました。

倒産後の処理をするために弁護士事務所に半年間、弁護士の補佐員として働きました。
弁護士さんは債権者とか債務の問題とか関係性が分からないから、役員でなかった誰か一人だけを雇う必要があって私が担当しました。
その経験が母親が残してくれた最高の贈り物だったと感謝しています。

アマテラス:

普通26歳では経験しないことを予期せず経験するわけですが、お母様の倒産はゆきさんにどのような影響を及ぼしたのでしょうか?

髙橋ゆき:

どうやって会社は無くなっていくのか、どうやって会社は処理されるのか、どうやって立ち直していけるのかというのを全部見ることができました。また弁護士事務所にいると自分の事案以外に起こるいろいろな事件を間近で見れたことも新鮮で勉強になりました。自分が今まで何不自由なく暮らしてきたところが突然一文無しになって親を面倒見なきゃいけない立場になっってしまうし、社会人になってから、初任給からずっとこつこつ貯めてきた本当になけなしのお金を全部家族のために渡して無くなってしまうし。音を立てて自分の20何年間の人生がフルリニューアルされていく、音が変わって、さらにテレビのハイビジョンの宣伝じゃないけど全部の色が変わっていくみたいな感じですね。26歳でそういう経験をしました。

それで、倒産・破産とはこういうことなんだと。今度はじゃあ、うちの父と母が貧乏になって、不幸かって言ったら全然不幸じゃなくて、志と心が美しければ破産なんていうことも怖くはないんだなっていうこともそこで学んだし、もっと大事なものもあるということも気付かせてもらいました。

アマテラス:

破産後、日々の生活や人間関係はどうなりましたか?

髙橋ゆき:

変わりましたよ。極端に言うと10分の8ぐらいの人が親の元から離れていってしまった。
友達と思っていた人も含めて10人中8人くらいは離れていってしまって。経営者のみんなに言いたいのは、自分に対してみんなが「すごいですね」とかチヤホヤしているのではないということ。自分の持っている会社の大きさに「すごいですね」などと言われているだけなのです。そこで人は勘違いしてしまうんですよね。ですから、そうじゃないってことを常に思って謙虚でいないといけません。

つい一日前まで「お宅はすごいですね」って言ってた人が破産の通知が流れた瞬間に手のひら反したみたいに「だと思ったわよ」みたいになってしまう。「昨日までと態度が違う」そのようなことがたくさん起きました。

辛い経験でしたけど良かったと思います。
その原体験が今の私の経営者思想観を本当に固めてくれました。
ですから26歳のときが一番もしかしたら人生のどん底かもしれません。もう、まつ毛は抜け落ちてしまうし。あと手の皮膚が朝起きたらクロコダイルみたいになっていて、、ストレスとかショックで一夜にして。そんな状況で1日で使えるのが500円だけでした。

その時はもう結婚していたのですが、よく移動販売で来ていたお魚屋さんは、そういう私達夫婦の状況を察してくれて、「ゆきちゃんは明るいから、ちょっと待ってなさい」って言ってくれました。意味がわからなかったのだけど近所の方たちがお店からいなくなるとそっと余ったお魚とかをくださったんです。「お金は要らないから」と言ってくれて。
「ゆきちゃんはもう、鶴の恩返しでいいよ」などと言っていただいて、人の優しさに心が震えました。

お肉屋さんはいっつも一番安いお肉しか買えなかったのでそれも察してくれて、帰り道、今日はなんか重いなと思うとメンチカツとかコロッケとかがおまけで入っていたこともありました。
週のほとんどをそのお魚屋さん、お肉屋さんに助けてもらっていました。ベアーズ創業して5、6年目のとき、そのお魚屋さんとお肉屋さんにお礼を言いに行きました。
そのときはこれまでのお礼も込めてたくさんのお魚とお肉を買わせていただきました(笑)

アマテラス:

あはは。倍返しどころじゃないですね(笑)

髙橋ゆき:

そうですね。でもそんなふうになんでも周りに助けられて私たちは生きているのだと思います。
自分よがりの人生では駄目で、自分の生活体験の原体験がすべての源にある。志やあきらめない心の源になるのはそういう原体験だと思います。

カナダ留学志望から一転就職へ。営業ウーマンに。

アマテラス:

少し翻ってゆきさんのお母様が倒産される前までの、学生時代からOL時代のお話も教えてもらえますか?

髙橋ゆき:

高校3年生ぐらいに戻りますね。卒業後は海外での生活を希望していて。それで父と母に外国の大学を受けたいと言ったら、やっぱり驚かれました。

カナダの大学に行くからと言ったら父が、「一人娘がいきなり海外に行くのは嫌だ」と、だから「とりあえず短大に行ってくれ」と。「短大にいって、二十歳で卒業したらそこから2年間はカナダに行きなさい」と。「そうすれば日本の四大を卒業した人と同じ年で卒業できるから」と言われて、短大の英文科に行きました。そのとおり短大を卒業する頃にはカナダ行きも決まっていました。ところが祖母が脳梗塞で倒れてしまったんです。カナダ行き目前の19歳のときでした。祖母を看病、介抱してたら、私、カナダに行ってる場合じゃないなと思っていたのですけど、祖母を看病してる母までが倒れてしまって、母も祖母と同じ病院に入院してしまったんです。

それを見たときに私は、これはもう神様がカナダに行くのは今じゃないと言っているのだなと思いましたが、卒業が再来月に迫った一月の出来事だったのでその時点で当然就職も決まっていませんでした。

カナダ行きは取りやめようと父に相談しました。父も納得してくれましたが、就職先も心配してくれて、「じゃあお前。就職どうする」って言われたときに、部屋にある前年の9月号の就職ジャーナルという雑誌が目に入って、もう年明けて1月だというのにその9月号をめくって見たら、ITの企業で社員の似顔絵がたくさんあるとても面白い広告を使ってる会社があって、この会社しかないと思い、この1社だけに履歴書を送りました。すぐに先方会社から電話がかかってきて、市ヶ谷にある会社で、面接に来てくださいと。「来年ですよね、年度を間違えてますよね」と言われたから、「いえ今年から、再来月卒業で、4月入社で大丈夫ですか」と言ったら、驚かれて、「何かあったんですか、こんな時期に就職活動してて」という感じでした(笑)

実はこういう事情で母が倒れ、祖母も倒れとお話したら、「そういう特別な事情があるならば特別に面接します」と。言っていただいて・・・。市ヶ谷に行ったらある男性が面接してくれて、その人が、「あなたは事務の仕事は大丈夫そうですか」と聞いてきたんですけど「事務じゃなくて営業をさせてほしい」と新卒で営業未経験なのに言ったらそこでも驚かれました。

それでその男性が「ちょっとここに座って待っててね」と言われて、部屋から出ていったら誰かに電話してるわけですよ、その部屋の向こうで。しばらくして戻ってきて、
特別に社長が会ってくれるということで本社まで行くように言われたのですが、本社が札幌にあるとそのときに知りました。それで札幌まで飛び、社長面接を受けさせていただき、
社長が、「君は事務ではなく、営業をやりたいと言っているようだが、本当にやれるのか?」と聞かれましたので、「社長。社長らしくないですね。やらせてもいない人間にやれるのかって聞きますか?」と切り返してみました。そしたら、「そうか、気に入った!」と、「うちの会社始まって以来初の営業ウーマンだから期待するよ」と言っていただいて、初めて営業マンになったのです。それが二十歳のころです。

アマテラス:

ゆきさんの社会人デビューはどうでしたか?

髙橋ゆき:

営業をしたいと言ったものの未経験。しかもITの意味も分からない。ソフトウェアのパッケージを売ってる会社で、私のテリトリーは秋葉原と渋谷で大手量販店にパッケージソフトを売りに行く仕事でした。朝オフィスにいくと男性ばかりで、営業マンが出払ってしまうとマガジンとかサンデーとかモーニングとか漫画がオフィスに雑然と転がっていました。最初のころは時間があったのでそういう雑誌を全部綺麗に並べて、社内ライブラリを作ったりしていました(笑)。男性社会に紅一点だったからとても可愛がってもらえたし、お昼代を払ったことがないんです。全員がお昼をごちそうしてくれました。

そして営業でもノルマをすぐ達成することも出来て・・・。そしたらある日課長に呼ばれて、「お前さ、泣くなよ」と言われたので、「はい、何ですか」と言ったら、「お前まさか体とか使って営業してないよな」と言われて、大きな勘違いで心配されてました。

課長が言うには、達成数字が行き過ぎていておかしいだろうと。「かつてうちの新人でこんなに数字を達成した人を見たことない、何やってんだ?」と言われて、「何もしてないです」と言ったら「おかしいだろ」と。「その手法を教えろ」と言われまして。

アマテラス:

完全なセクハラですね(笑) でもどうやって数字を上げていたんですか?

髙橋ゆき:

先輩たちが売りに行くことに同行させてもらいました。そしたら一生懸命お願いをして商品を置かしてもらっているんですけど休みの日に店に見に行ったらお客さんが棚からうちの商品取って見てくれるんだけど、また戻して買わないことがわかったんです。おかしいなと思って見ていたら、昔は富士通とNECのパソコンのファンクションキーの使い方がソフトによって全部違ったんですよ。だから富士通のハードとNECのハードこの二つのユーザー向け勉強会を私に開かせてほしいって売り場の人に頼んでみました。

「そんなこと今までやったことない」と言われたけど、「やってみましょう」と。「売り場にご迷惑かけませんから、1テーブルだけ貸してください」と言って、秋葉原でアンナミラーズみたいな格好して勉強会をやりました(笑)。
それで商品を手に取る人に勝手にお声を掛けて、「すみません、NECですか、富士通ですか?」と、「俺、富士通だよ」という人に「これはコマンドがここにあって、ファンクションキーはリターンキー押してこれですよ」などと教えると、確実に買ってくれるんです。次の人には「NECですか、じゃあNECはこうですよ」などとやって、その売り場でちゃくちゃくと在庫が無くなっていきました。帰る頃になると「あと、ゆきちゃん、30本ね」とかって言われて、また商品を仕入れてもらえて。気が付いたらNECと富士通の人達が私の後ろでパソコン教室みたいに全部並べてくれて、30人に声かければ30人に売れる状況でした。なんとも生意気なことに、楽しさはあってもなんだかやりがいがなくなってしまって。
そして運命の人生を学ぶあの母の会社に入社したわけです。

母の会社に就職。ジュエリートレンドの火付け役に。

アマテラス:

お母様の会社では何をされていたんですか?

髙橋ゆき:

母の会社はジュエリー業界向けの雑誌を作っていたのですが、私はそこでジュエリー業界向けのシンクタンクを作ろうとしていました、総合研究所のハシリですね。新規事業も手がけました。クリッピングサービスというもので、北海道新聞から沖縄の沖縄民報まで、全国の地方新聞を全部毎日購読をし、それをクリッピングして、忙しい経営者にニュース&ニューズ、『NN』っていう冊子を作って情報をまとめて届けるサービスも提供していました。当時はiPadとか、スマホもない。新聞をみんな取り寄せて読む時間が無いって経営者が嘆いてたから、クリッピングサービスで、流通新聞とか、琉球新聞、産経新聞、産業新聞、もう全部ワン・バイ・ワンのオーダーで、「じゃあ○○社長は人についてのニュース情報が全部欲しいんですね」と、「北海道から九州までどこの地区を選びますか? 関西中心ですね」などと言って、それを日々ワン・バイ・ワンで作っていました。

あとはブームを作って、トレンドを先に創るということが楽しくて夢中でした。

母が手掛けていたジュエリー雑誌はその世界では実は世界一の規模でした。世界9ヶ所ぐらいに支社・支局を持って、特派員を置いて、アントワープとかタイとかグローバルに雑誌を販売していました。私がいうのもなんですが母は本当にすごかったんです。
そんな母がいたんですが、グローバルでやっていたから、シンクタンクもグローバルに創っていこうと。日本のジュエリー業界で何か流行らせなきゃということで、パール(真珠)に着眼し、パールフェスティバルを開いたりその事務局をやったり、パールコンテストをやったり、パールが似合う人のいわゆるベストジーニスト賞というもののハシリですよね。神戸ポートピアランドとかで宝飾業界の中のさらにはパール業者を連携させて、事務局は出版社であるわが社がやりますよと、中立の立場でやるとスムーズでしたし、世界からも注目されて、日本のパールが評判になり世界に出ていこうという時、ちょうど(小和田)雅子様が皇室に嫁ぐわけですね。そのティアラ、普通、王室はダイアモンドを使うのだけども、そこに何とかパールをつけさせようっていうことでミキモトさんとか田崎真珠さんと画策をし、遂に雅子妃がパールのティアラで馬車に乗ってパレードするわけですよ。そうすると一斉に日本国中は「パールをつけろ」となりまして、みんな20代の子も一粒パールとかが流行ったり、パールのピアスが流行ったり。パールブームに携われたことを20代前半で肌で体感し、一歩先行く提案型トレンド創りという発想が私の一つの型になっていくわけです。そして母が倒産したときに、香港からそんな働きぶりを過大評価してくれたある社長さんが、うちの会社で働かないかって声を掛けてくれたんですね。「でも今は倒産の最後の始末をしているからちょっと待ってください」と言って、半年待っていただいて香港に渡ることになりました。

香港へ、そしてベアーズ誕生へ。

アマテラス:

その後のベアーズ立志伝はカンブリア宮殿(2012年7月5日放送)にも取り上げられたりと有名ですね。

髙橋ゆき:

主人(株式会社ベアーズの社長 髙橋健志さん(以下、健志さん))が香港行きに理解を示し、むしろ『滅多にないチャンス』だと、勤めていたホテルを辞めて一緒に香港に行くことになりました。
就労ビザが降りるか降りないかの最中に、第一子の妊娠が発覚しました。せっかく声をかけてくれた社長に申し訳なく、また私自身まだ心が未熟だったために、妊娠を隠して6ヶ月まで仕事をしていたのですが、そろそろ隠し切れなくなった頃に、意を決して社長に伝えたところ、社長は喜んで「素晴らしい!君は安心して産んでみんなで育てよう。そして君は2倍働いて、4倍の成果を出しなさい」と言ってくれたんです。どういうことか意味がわかりませんでしたが社長の意図は「香港は共働き夫婦が多く、東南アジアから来ているメイドが香港の若い共働き夫婦を支えている。君も彼女たちに助けてもらうといい」ということだったの。香港では20代の共働き夫婦が活用するほどメイドサービスが一般的で、私達夫妻も香港の習慣に習うことにしました。そしてフィリピン人女性のメイド、スーザンと出会い、育児や家事を手伝ってもらうことになりました。経験豊富なスーザンのおかげで、第一子誕生後も無事家庭と仕事を両立させることができ、妻として、母として、社会人として、自分らしさを保つことができました。

4年後、主人はアメリカに短期留学し、私は日本に帰国、東京で第二子を出産しますが香港のようなメイドサービスが見つからない。ハウスクリーニングの会社に頼んでも専門的にピカピカにお掃除はしてくれるが、洗濯物や食器の洗い物はしてもらえない、家政婦さんを頼んでも、香港で体験したスーザンのような人はおらず、担当を代えるたびに私自身で1から家事を教え込まなければならない。そんな不自由な生活を送る最中に主人が帰国。
久しぶりの再会の第一声で『お前、ブスになったな。』と、言われたんです(笑)自分では全然気付いていなかったのですが、その理由はスーザンがいないことでした。

これからの日本社会は、女性が結婚して、出産後も輝いて働く時代。そんな頑張る女性を応援する新しい産業を作りたいと決意した主人は1999年に家事代行サービスの会社ベアーズを起業しました。主人は最初に清掃業社で修業を積みました。自宅をオフィスに夫婦二人三脚でハウスクリーニング業からスタートしました。そして紆余曲折を経ながら創業15年、今に至ります。

生活体験が大事。

アマテラス:

起業志望者、特に若い起業志望者へゆきさんの経験からアドバイスをいただけますか?

髙橋ゆき:

原体験が大事です。原体験っていうのは言い換えると生活体験。生活のありとあらゆる経験を、すべて無駄にはならないと大人がよく言うのは、こういうことだと思います。勉強ばかりしていると、生活体験のチャンスが少なくなってしまいます。仕事も、仕事のことばかり考えて会社の中の生活だけやっていると、世界観が会社だけになってしまうでしょ。ですから遊びなさいってよく大人が言うじゃないですか。それはただ“遊ぶ”ということではなくて、生活全般の中から、有ったらいいなとか、無いなら作ろうなどというのが、実は起業に対する大きな原動力になるのです。ですから人生はいろんなことにチャレンジをして、いろんな思いをしたほうが良いと思います。そうすれば起業家という道に、うるおいも弾力性も付くと思います。

私は小学生からゲーテを読んでいて、“人とは”とか、“宇宙”とか、そのころから考えていました。よく社会人になってからや経営陣になってから倫理とか宇宙の法則とかみんな言い始めますけど、私は小学校の時から体感してきていると思います。

苦労したり、悲しい思いや、つらい思いや悔しい思いをした人ほど起業家に向いていると思います。だから今あなたが“私なんて、、”とか思う背景に、例えば貧乏だしとか、華もないしとか思ってる人ほど成功する伸びしろがいっぱいあるというふうに、逆に前向きに希望値を持った方がいいと思います。

自分のバイオリズムを知り、自分をコントロールする。

アマテラス:

こんなにキラキラと輝いているゆきさんですがイキイキとしたワーキングウーマンでいるためにどんな心がけをしているか、ワーキングウーマンの皆様にメッセージをお願いします。

髙橋ゆき:

基本、女性は大変ですよ。だって毎月月経が訪れる中で働いているわけでしょ(笑)

アマテラス:

男には分からないです(笑)

髙橋ゆき:

それって大変なことですよね。やっぱり女性は多かれ少なかれ自律神経とホルモンに支配されてる生き物ですから、それとどうやって自分が付き合ったり向き合って、仕事を構築して立体的にしていくかがとてもチャレンジというか課題だと思います。女性社会で発展する中で女性だからとか、やっぱり女はとか、だから女は嫌だよねと言われることってあるじゃないですか。例えば数字に弱いとか、すごくアバウトだとか、すぐに泣くとか、すぐに感情的になるとか、アップダウンが激しいとか、そういうふうに言われることって実は誰にでもあって、きっと私にもあるんだと思うんですけど、まずは自分のことをよく知ることが大事です。

それで、自分がどういうときにそういうふうになりやすいのかということをちゃんと知りながら、キャリアも構築をする、自分をアピールする、自分と社会の接点を持つということが一番大切だと思います。“いつもゆき姉は元気でパワフルで”と言われますけどそういうふうに自分もトレーニングしているんです。例えばベアーズの女性達を集めて専務塾というのをやっているのですけど、スケジュール帳持って集まってきてもらいます。大抵の子が仕事のアポイントとか美容院の予約とか彼とのデートなどというのが書いてあるんですけど、それももちろん大事。でももっと大事なことは、自分の顔が今日イケてるかイケてないかを○×△ぐらいの三段階で毎日書きなさいと伝えています。同じ目鼻立ちの同じ顔なのに自分の顔が気にいる日、気に入らない日があるんですよ。本当です。それを3ヶ月つけると自分のバイオリズムが見えてくるんです。

そこでちょっとイケてないときは私は月の中のココなんだ、というのが分かったときは、ここでは大きい仕事を引き受けないとか。
絶好調な自分がココにいるなら、ココにはもう何でもかんでも突っ込んじゃうというふうにうまくやっていく。人が見たら、あ、○○さんっていつもチャーミングでいつも冷静でいつもちゃんとエネルギッシュで輝いてるよねって見られる自分が誰でも己を知ることで創れるわけです。

そういうことが分からなかった私は、これに気が付いたのは何と遅い、32歳のとき。その時何が起こったかっていうと、それまでは超完璧主義者で、負けない、常にかっこよくありたい、だから上司からここまででいいよって言われたことをここで納品するから、ゆきさんってすごいねって言われることがすごく心地よくて。ここまでデキるってことが分かると次は上司はさらに求めてきます。だんだん自分のレベルを自分で上げていくから苦しいわけですよ。結局32歳のときにある日突然倒れて過労で入院することになってしまって(笑)。

そのときに、働き方を変えるだけじゃなくて考え方を変えないと、40代で天国も夢じゃないってその時の主治医に言われたから、本当に死んでしまうかもって思いまして。また第2の成長期です。26歳のときにまず母の会社が倒産してくれたおかげで一文無しになり、家も赤紙を張られちゃうような状態。本当にそれまであったものがすべてなくなって、親を面倒見なきゃいけなくなってしまった。その後結婚し、子供に恵まれ、香港に住み、帰国して、ベアーズが誕生して2年目のことなんです、体調を崩し入院したのは。そこからはいかに自分を、無理をさせないで気張らないで、“あの人いつもポジティブでエネルギッシュで”って言われる自分を生み出す方法論っていうのを自己流だけど持っていることで今ではとてもラクです。

アマテラス:

ゆきさんのポジティブさエネルギッシュさは自己流なんですね。世にある自己啓発的な手法は活用されていないんですか?

髙橋ゆき:

いろんな自己啓発手法・セミナーがあると思いますけど、私はそういったセミナーにあまり行きません。
全部自分の経験から。その経験っていうのは成功体験じゃなくて、どちらかというと失敗体験。ですから若い皆さん、学生の皆さん、もっといろんなことを失敗して、つらい思いも、悲しい思いもして、恋愛もたくさんして、心を豊かにする経験をぜひ、若いうちに積み重ねてほしいですね。

アマテラス:

ゆきさん!素敵なお話、ありがとうございました!

この記事を書いた人

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藤岡 清高

株式会社アマテラス代表取締役社長。iU 情報経営イノベーション大学客員教授。 東京都立大学経済学部卒業後、新卒で住友銀行(現三井住友銀行)に入行。法人営業などに従事した後に退職し、慶應義塾大学大学院経営管理研究科を修了、MBAを取得。 2004年、株式会社ドリームインキュベータに参画し、スタートアップへの投資(ベンチャーキャピタル)、戦略構築、事業立ち上げ、実行支援、経営管理などに携わる。2011年に株式会社アマテラスを創業。 著書:『「一度きりの人生、今の会社で一生働いて終わるのかな?」と迷う人のスタートアップ「転職×副業」術』

株式会社ベアーズ

株式会社ベアーズ
https://www.happy-bears.com/

設立
1999年10月
社員数
385名(登録スタッフ数 5,200名 *2017年1月時点)

《 Mission 》
女性の『愛する心』を応援します。
《 事業分野 》
コンシューマBiz
《 事業内容 》
家事代行サービス ハウスクリーニング キッズ&ベビーシッターサービス シニアサポートサービス(R60) ホテル清掃サービス マンションコンシェルジュサービス オフィス・店舗・ビル清掃サービス