ロボティクスを活用して高い生産性の物流業界に変えていきたい。

株式会社PAL代表取締役 辻有吾氏

教育、金融、政府・・・このような伝統的な産業がITによって効率化されようとしていて、Edtech,Fintech,Goventech という言葉が生まれています。その流れの延長線上にはLogistics-Techという世界も生まれてくるでしょう。
株式会社PALの辻社長は、物流業界をより生産性が高く、先進的な業界に進化させようとIT,ロボティクス技術導入に取り組んでいます。

物流業界を新しいステージに変えていこうと取り組む、辻社長の生い立ちや起業の背景に迫りました。ご覧ください。

辻有吾氏

代表取締役
辻有吾氏

平成9年4月  近畿大学短期大学部部 商経科 卒業
平成9年6月  テレセン株式会社 入社
平成10年6月 同子会社 株式会社ビステム 営業管理部長 着任
平成12年7月 起業のため、株式会社ビステム退職
平成12年12月 有限会社アペックス兵庫 設立
平成15年2月 有限会社アペックス兵庫を株式会社PALへ社名変更
平成15年8月 PALグループ会社として、アリスタソリューション株式会社 設立
平成25年8月 株式会社S-PALをPALグループ会社化
平成27年12月 株式会社メイン・キャストと人材派遣事業を事業統合

株式会社PAL

株式会社PAL
https://www.pal-style.co.jp/

設立
2000年12月
社員数
正社員 グループ合計107名 アルバイト従業員 1,300名(2015年12月時)

《 Mission 》
モノの流れの生産性を向上させ、企業と人と街の成長を支える会社です。
《 事業分野 》
IoT
《 事業内容 》
物流オペレーション事業 / 通販ソリューション事業 / 物流ロボティクス支援事業

一番尊敬するのは厳格な父親

アマテラス:

辻さんの生い立ちについて教えていただけますか?

株式会社PAL 代表取締役 辻有吾氏(以下敬称略):

家族構成は、祖父祖母、父親母親、兄、私、弟の6人家族でした。育った環境は東大阪の森川市で、下町で周りは工場ばかりでしたね。近隣の人達もヤクザとか工員ばかりでたまにサラリーマンがいるくらいの街で、地元のお祭りで数年に1回は事件が起きるような激しい街でもありました。
父親は西日本帝国軍海軍総長をやっていたような堅い大商屋の家で育った人で、母親は5人家族の一番末っ子で恵まれた環境で育った人でした。

小中学生時代は家庭環境が面白くて、父親の教育方針がかなりユニークでした。私が子供の頃、学校で成績をもらうと父親とサシで飯に行くんです。父親がおいしいと思ったところに連れていってもらえたので、その時はとても美味しいものを食べられました。父親としては僕らの舌を鍛えていたようで、まともなところでまともな空気に触れてまともなものを食べさせていた訳です。食事中に「成績はどうだったか過去を振り返れ」とか「なんでハンバーグはハンバーグというのか?」「ステーキの火が通っていないと思うけど、なんでだと思うのか?」などという小難しい話を2.3時間もされたのを覚えています。休みの日には美術館に連れて行かれて、一番有名な作品の前に30分くらいずっと立たされたり、絵画の縁の外の世界を想像して見るように言われました。イメージを働かせることを重要視していた父親でしたね。おかげでモノに対する良し悪しの判断を鍛えられました。

法事、仏教、神道などの行事はものすごく大切にしている父親で、時代は変わっても原理原則は変わらんというのが口癖でした。そのような倫理観で仕事をしており、今も税理士として仕事をしています。そんな父親を見て僕は育ったので世の中で一番尊敬する人は父親です。

父親は兄に対しては、絶対に大企業に入って親方日の丸の仕事をしなさいと言い、私に対しては、君は自由だから、家とか家督に一切縛られずに生きて良い、大企業には合わないと小さい頃から言われ続けていました。

弟は街中を歩くと友達がたくさんついてくるような人でした。3人とも変わった兄弟でしたね。母親は典型的なB型九州女なのでいつも笑っていますし、家の中は常に楽しい環境で育ちました。

アマテラス:

どのような学生時代を過ごしていたのでしょうか。

辻有吾:

小学校からずっとブレイクダンスをやっていてストリートダンスをやっていました。当時ナイキのウィンドブレーカーが欲しくて親にせがんで買ってもらえないと自分でバイトして買っていました。とにかく達成欲求が強い子供だったんですよ。

中学校では地元の先輩に引っ張られてソフトボール部に入っていました。チームは強豪で普通に近畿大会に出場するようなチームで練習は厳しかったです。やりだすととことんやる人間でしたので決勝戦まで行きました。中学2年生まではブレイクダンスをやって空手、合気道、格闘技もやっていたので大忙しでした。空手ではジュニア大会で表彰されました。昔からやりきるまでやらないと気が済まない人間でした。
学校では中心人物で、先生から「あなたは目立つんだからしっかりしていなさい」と言われていました。中3では生徒会長をやっていました。

高校ではサッカーをやりたかったのですが、先輩に「辻、お前サッカーなんかあかんぞ」と言われてソフトボールをやりました。その高校ではソフトボールを練習する環境が整ってなくて、体育学科や校長先生に交渉してなんとか週1回グランドを空けてもらいました。引退するまでにはまともに練習できるようになっていました。

大学受験の時に大阪商業大学で体育推薦の不正があり、僕らのスポーツ推薦の枠が突然なくなって勉強もしてないので一般入試は無理だったため、公務員になろうと思い立ちました。しかしちょうどバブルがはじけて公務員倍率300倍になり、見事に落ちてました。人生うまくいかないなと、行き詰まり、その時くらいから父親と将来についての話をして、将来は絶対会社起こすと決めました。
そんなある日の夜、遊んで家に帰った時、兄に「大学行かずに大学に行く必要がないなんて負け犬の遠吠えしてんじゃないぞ」、「将来親の法事に泥まみれの工場服で来るなよ」と叱られて、兄の言うことが実に正しいという思いになりました。父親に昼働いて夜学で良いので大学に進学する意を伝え、入学費と受験費をお願いした結果、入学費は貸してもらえ、受験費は出してもらいました。結果的に大学に行ってみて、大学に行くことは必要やなと思いましたね。

学生生活は好きなことを好きなだけやって楽しんで、紆余曲折ありましたけど、そんな学生生活でした。

将来の起業を見据えてベンチャーへ就職。1年半で部長になり、3年で独立

アマテラス:

社会人時代について聞かせてください。

辻有吾:

父親に起業するためにもまずサラリーマンをやってみろと言われ、ベンチャー企業を探しました。就職する時には石の上にも3年だと言われ、まずは3年間と腹を決めて就職しました。そして最初の3年で部長という肩書きが取れなかったら起業は断念しようと決めて働いていました。また10年間1つの仕事でやり遂げることを決めて仕事をするように言われたので、(当時22歳)28歳までに創業することを考えていました。結局1年半くらいで部長という肩書きは手に出来ました。自分の人生がかかっていたので、この小さな組織の中で勝てなかったら世間の人間には大きなことで勝てないと考えて真剣に働いていましたね。

例えば営業成績で1日のレコードを大きく塗り替えたりして、土日以外はほぼ毎日契約書握っていましたね。そのためにいろいろなことを犠牲にしていました。朝一番で資料の準備からはじめて、帰ったら必ず鏡の前で営業トークの練習。上司から言われるであろうことはあらかじめやっておいて、上司から「こういう資料欲しい」と言われたら「もう出来ています」と言えるように意識して準備をしていました。

アマテラス:

その若さで気がまわるのは辻さんの生い立ちと関係しているのでしょうか。

辻有吾:

自分のことは自分でしっかり責任をとって生きるという環境で育ったからですかね。父の口癖で「言われてやるのは3流、言われてすぐやるのは2流、言われなくてもやるのは1流」というのがあって、僕は学歴もないため、天才に勝てるのは習慣だと思って仕事をしていました。出来る限りいろいろなことを習慣化することを自分に課していますね。

アマテラス:

辻さんの挫折経験についても教えてください。

辻有吾:

高校生の時に僕が外でやんちゃなことをしたがために停学になり、ガンで入院中の父親が謝りに行かなくてはならないことがあり、その時はきつい思いをしました。それからは人の迷惑になることは2度としないと決めました。

社会人時代で挫折、というかきつかったのは僕のことが嫌いな上司に子会社の立ち上げを命ぜられたり無茶振りしていじめられたことですかね。中でも一番きつかったことは、入社1年目で年上のベテラン社員15人のリストラを命じられた時でした。僕のことを可愛がってくれた人たちもいたので本当に辛くて夜も眠れなかったです。そこで父親に相談したら、君が一生懸命になることが重要なんじゃないかと言われて肩の荷がおりましたね。それから半年で綺麗にみんな辞めてもらいました。けれど誠意は伝わっていたと思います。

今思うと本当にいじめでしたね。周りには折れるだろうと思われていましたが、鼻っぱしも折れなかったです。25歳くらいの多感な時期に人間の良い方と逆の方に触れて挫折感も味わって辛かったですけれど、今思うとむしろ感謝しています。

アマテラス:

辻さんを起業に踏み切らせたきっかけ、背景について教えてください。

辻有吾:

当初決めた通りにサラリーマンをして、部長にもなれたので3年目きっかりと辞表を出しました。自分との約束は守ったと思うので。当時の僕は起業ありきでした。
けれど一瞬悩んだ時期がありまして、息子が生まれた時期ですね。不安定な世界へ飛び込んで良いのか悩んでいましたが、家内に「私と子供を食べさせるためにだけに起業を断念したりはしないでね」と言われ、ハッとしました。そうして起業に踏み切ることが出来ました。

3,000万円が通帳に振り込まれ、返済条件は月金利1.5%、10カ月で返済

アマテラス:

創業からどのような壁につきあたり、どのように乗り越えてきたのでしょうか?

辻有吾:

会社を辞めてしばらくして、仕事でお付き合いのあった社長さんが、面白い人を紹介してくれるということでお会いさせていただきました。その人に会って食事に連れていってもらい、生い立ち、家族構成、親の教育など3.4時間くらい聞かれました。次の日に電話をいただいて事務所に行くと、3,000万円をいきなり通帳に振り込んでくれました。月の金利は1.5%で10ヶ月で返すように、ということでした。
僕も厚かましいので、「お金だけもらっても客がいなければ仕事をまわせません」と言うと人材派遣ビジネスについて教えていただき、佐川急便を紹介いただきました。佐川急便倉庫内での作業請負の仕事です。

その仕組みでならお金を返せると思い、人材派遣会社を始めました。
実際には、どの業者もすぐに撤退するほど厳しい現場でしたが、「俺の起業一発目はここかーっ、よし今日からここで俺はやったろー」と思いましたね。最初に重要なのはリーダー作りやと思って、僕にNoと言えない地元の後輩を連れてきて最初は10人くらいからスタートしていきました。

やはり凄く激しい環境でした。仕事場の休憩室で事業シェアを取り合っている同業の社員と争いになったこともしばしばありました。そんな環境の中、僕らはなんとか勝ち残ることが出来ました。
当時僕が注意していたことは、”チームワーク”と”絶対に引かない姿勢”です。僕を中心にチームワークは強かったと思います。争いになるような激しい環境下でも「いざとなれば大将(辻さん)が絶対に守ってくれるから、絶対に引かない」ということを徹底し、団結していました。

僕にとってのターニングポイントは当時のセンター長が変わって、その人はたまたま僕に資金援助してくれた方とつながりがあり、おかげで仕事が一気に3倍になって兵庫県のNO.1シェアになりました。

アマテラス:

多くのスタートアップは最初の資金繰りで苦しみますが、立ち上げ期の資金面について教えてください。

辻有吾:

僕の場合は最初に3,000万円貸してくれた人のおかげで最初はお金がありました。10ヶ月たったころに初めて銀行借り入れをしました。既に売上が回っている状態でしたが銀行の支店長が会ってくれずに口座開設には苦労しました。支店長が出てくるのをひたすら待ってとにかく通いました。暇を見つけたら通う。アポなしでただ通う。名刺を出して通帳も見せてとにかく全部見せました。話を聞いてくれるようになってからは少しずつ道は開けていきました。

最初に3,000万円の資金を出してくれた社長には結果として1億円くらい返しました。僕を見込んでいたのでお返しをするのは筋だなと。
その人の無茶振りがあったからやっていけたと思います。それが全てですね。いまだにその人とはしょっちゅう電話はしますし、食事にも行く仲です。

ロボティクスを活用して高い生産性の物流業界に変えていきたい

アマテラス:

PAL様は今後どのように物流の世界を変えていくのでしょうか?ビジョンについて聞かせてください。

辻有吾:

ビジョンのもとになっているものは、物流業界の仕事であるブルーワーカーに対する問題意識です。物流業界の仕事は人海戦術、つまり労働集約なんです。今までの世の中があったのはこの労働集約があってこそで、そのような労働者も多かったのですが、労働を嫌がる若者が増えてきて、世の中の風潮として卑下されているなと感じます。物流業界側にも責任があると思っていて、労働集約の世界を変えてこなかったという事実もあるんですよ。正社員とアルバイトとパートと変わらないような仕事もたくさんあって、これは僕らが物流業界を変えていかなくては、若い人たちにとって魅力的な仕事になるように変えていかなくては、と思います。

そうした時に高齢者や女性のような力のない方でも働ける、非常にクリーンで環境の良い職場をどうやって作るかを考えています。僕がマシナリーやロボティクスの話をしたのはそのような職場を作るためで、人の手作業でやるものがそこにとって変わっていけばそれ以外の仕事は力もいらず簡単になります。つまり労働集約ではなくてつなぎの業務になるので、目が見えさえすれば誰でもできる仕事になっていきます。そういう環境作りをやっていかなければという使命感はあります。

おそらく現在の物流業界は高齢化がどんどん進んでいて、柔軟性や順応性が低く、IT化が最も遅れている業界です。世の中の流れと物流業界の流れのギャップが生まれていて、そのギャップを埋めるものはたくさんあるのですが、特にロボティクスの分野は僕らだからこそわかる設計運用があるのでそこで勝負していきたいと思っていますね。そうすることで生産性が飛躍的にあがると思います。だから今安倍政権のメッセージにもある”生産性”を飛躍的に向上させないと経済が持たないと言っていることと一緒で、これもまさにその通りだと思います。手作業では限界があり、手作業を越えていく世界を持ち込まなくてはいけないと、そういう意味でオートメーション化を物流倉庫内に構築していくことが僕らにとって一番やらなくてはいけないことです。

アマテラス:

これまで人手でやってきた物流作業をロボット、コンピューターに置き換えて1人あたりの生産性を高める、ということですね。一方でそれによって雇用はどう変わっていくのでしょうか?

辻有吾:

少人数でやり、尚且つ賃金をあげていくべきであると僕は思います。今の頭数で勝負していく世界を10年後も続けていたら、生産性があがらないので、うちに関わる人たちの賃金を上げられないと思います。僕たちが働く人たちの賃金をあげていくことで、世の中の賃金があがっていくので、世の中と歩調を合わせることになります。これは事業として絶対にやらなくてはいけないことで、うちで働いて他の企業より給料安いよねと言われたらまずいと思うんですよ。
生産を引き上げて雇用を減らし社会的使命が薄れていく会社ではなく、しっかり業績成長させることで全体の雇用人数を増やしつつも会社としての利益生産性を高めて賃金もあげていくことは、やらなくてはいけないと思っています。

アマテラス:

PAL様の経営課題について教えてください。

辻有吾:

直近でいうと、中長期的ビジョンを一緒に取り組んでくれる人間が必要です。その中でも例えばマシナリーの部分でいくとメーカー交渉とファイナンシャルの部分、リース会社との折衝、事業設計を今やっていますけれどその事業の設計に携われるような人材。事業構築を一緒にやっていけるような人ですかね。

今経営企画室には経営企画室長と僕がいますけど、内的なことに専業で向き合ってくれる人がいないんですよ。もう少し内向きのところにもパワーを入れたいです。その人たちが今、外向きに手をとられているので。

中長期的な課題については、我々は最短で2018年で上場を掲げているので、中長期的に管理能力の強化が必要です。営業内部の管理機能の強化を徹底してやっていかないといけない。事業のところでは、機械を売るというよりは機械を貸すビジネス、つまり弊社のオペレーション的なシステムをそのままレンタルするようなビジネスをしていこうと考えています。基本的にはお客さんが倉庫を借りている年次に合わせた契約に合わせてあげたいです。縛りの薄いサブリース契約に出来るような仕組みを構築すればマシナリーをガンガン売り込んでいけるので、1つの物流センターの生産性があがっていき、物流業界全体、日本全体の生産性があがっていくことになります。

あとは、世界中を飛び回ってくれるような人材が必要です。世界中のマシナリーやロボティクスマーケットを見続けて欲しく、そういう人が必要です。そのようなタイムリーな発見なしでは日本で独占販売することが難しいので、マシナリーの開拓者、つまり営業開拓をやってくれるような人は必要です。出来ればヨーロッパとアメリカに1人ずつ住んでもらって、日本に情報を送り続ける作業をしてもらい、将来的にはマシーンの輸出入に携わってもらいたいです。

物流業界未経験でOK。行動力、人格重視の採用

アマテラス:

御社が求める人物像を教えてください。

辻有吾:

僕は人格最重視だと思っていて、とにかく明るく元気で朗らかであることが基本です。あと1日の始まりをとにかく笑顔で始めることですね。明るく笑い飛ばせる人は良いと思います。スキル面では、ポジティブシンカーでないといけません。基本的に相手のことを思いやることの出来る人ですね。また、コミュニケーション能力の高い人が良いと思います。

あとは”言う”より”動く”人です。行動力ありきです。自分のイメージしたものを現実化するためには行動力しかないんです。この単純な原理原則が分かっている人は僕と仕事していて合うと思います。行動は自由であるべきだと思っています。しかし、自由であることには責任が伴っていて、そのことを理解する必要があります。そういう人であれば一緒に仕事をしても細かいことは僕は関与しません、たまに会えば会うほどその人の顔を見れば一生懸命生きているかどうかすぐ分かるので。ただ必要なのは行動あるのみ、を実践出来る人は僕自身も会社としても求めています。

アマテラス:

物流業界の経験は必要ですか。

辻有吾:

そこに対して僕はあまり壁を持っていなくて、あろうがなかろうがあまり問題ではないと思います。例え物流業界経験があっても口癖のように「いうても物流業界なんて」という既存の考えから脱却出来ない人は合わないかもしれません。どちらかと言えば、そういう業界だから僕らがやることで何か影響を与えたいと思っている人の方が良いかもしれません。現にうちには業界経験者は1人もいません。グループ子会社合わせて100名いますけど、全員未経験者です。未経験の方が一生懸命センター長をやったりしていますね。

難しい話ではなくて当たり前のことを当たり前にやれるかどうかだけなんです。物流業界は何気なく店に入った人が欲しいものを簡単に発見できる環境をつくることが仕事ですから、何でもないものを平和に動かせるかどうかなんです。は物流業界の中のルールとか現場の方々に対する特有の考え方や接し方はありますがそれは入社したら教えます。何かを変えたいときは当たり前ではないことを考え抜かなければいけないので行動力が伴ってきます。なので提言力、発言力、発信力は常に大事ですね。

アマテラス:

御社で働く魅力を教えてください。

辻有吾:

人のことをストレートに見る目を持っている会社であると思います。学歴、社歴、経験にあまりこだわらず、まず人物ありき人格ありきで、それにスキルや経験です。逆に言うと向こうから自己推薦でやりたいことを言ってきたら、どうぞって渡す会社ですね。手掛けた人に必ずチャンスを与えることに関しては社風かもしれないです。やれると言ってる人にやらせてみようよ、それで成功するためのサポートをしようよという会社なので、そういう人の足を引っ張ることもないと思いますし、基本的には自由で手がけたチャンスがちゃんとキャッチアップできるということですね。ダメだったらダメで失敗を許容する文化は大きいと思います。失敗を許容する文化はうちの会社の良いことだと、社員が言っていました。僕は失敗の先にしか成功はなく、失敗を恐れずやれる人はいずれちゃんと身をたてると思っています。

アマテラス:

最後に辻さんの夢を聞かせてもらえますか。

辻有吾:

一番身近な夢は、うちで働く人が家族も含めて幸せになってもらうことですね。それは真剣にそう思います。これは出来るだけ早く成し遂げたいです。

あとは企業として会社をしっかり成長させていくことですね。業界が世の中の動きとギャップが生まれたときにそれを埋め続けることが出来る企業でありたいと思っているので、今、IT、ロボティクス、マシナリーの業界とのギャップを埋めにいこうとしています。

僕個人のことで言うと、40代をしっかりとそれに費やしたいなと思います。40代後半では50代の準備をしたいので。50の時に自分自身の暮らし方とか自分の夢がいろいろと物事を成し得て得たものを何に使うかも50代までには決めておきたいと思っています。得ただけの人生では面白くないので。実際に50になったときにはその活動を始めたいと思っていますし、60代はできれば半分くらい田舎で暮らしたいと思っていますね。

大阪にも戻りたいですね。今ちょうど奈良に300年くらいの古民家を探していまして、それを少しずつリノベーションして住みたいなと思っています。ついでに山1つくらいは周辺を買わせていただけたらなと思っています。

それ以外は先程言った海外展開でも50代は時間かけてやっていると思います。その時は日本もだいぶ変わっていて、僕が持つ使命感も増えているはずなので、そこにしっかりと向き合うことのできる余裕を持っておきたいです。

いずれにしても慈善活動はやると思います。起業家として社会的に恵まれた人生を送らせていただいたと思うので、頂くばかりでは帳尻があいませんので、どこで吐き出すかですね。

アマテラス:

独立したばかりの辻さんに3,000万円を出してくれた方のようになるのでしょうか?

辻有吾:

そうですね。どういう形で社会に出すかはわからないかもしれませんけど、何らか自分自身が得てきたものを経験値も含めてもどうやって返すかについては50代60代で答えを持っていると思うので、それに対して一球入魂しながら向き合っているんじゃないかと思いますね。

アマテラス:

貴重なお話ありがとうございました。

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藤岡 清高

アマテラス代表取締役CEO。iU 情報経営イノベーション大学客員教授。 東京都立大学経済学部卒業後、新卒で住友銀行(現三井住友銀行)に入行。法人営業などに従事した後に退職し、慶應義塾大学大学院経営管理研究科を修了、MBAを取得。 2004年、株式会社ドリームインキュベータに参画し、スタートアップへの投資(ベンチャーキャピタル)、戦略構築、事業立ち上げ、実行支援、経営管理などに携わる。2011年に株式会社アマテラスを創業。 著書:『「一度きりの人生、今の会社で一生働いて終わるのかな?」と迷う人のスタートアップ「転職×副業」術』

株式会社PAL

株式会社PAL
https://www.pal-style.co.jp/

設立
2000年12月
社員数
正社員 グループ合計107名 アルバイト従業員 1,300名(2015年12月時)

《 Mission 》
モノの流れの生産性を向上させ、企業と人と街の成長を支える会社です。
《 事業分野 》
IoT
《 事業内容 》
物流オペレーション事業 / 通販ソリューション事業 / 物流ロボティクス支援事業