発酵技術で「未利用資源」が再生・循環する社会の創出を目指す

株式会社ファーメンステーション代表取締役 酒井里奈氏

2015年9月にSDGsが国連総会で採択されて以来、環境や福祉、教育、貧困など様々な社会課題への関心が高まっています。
自社の利益を追求する営利企業も例外ではありません。環境経営やサステナビリティ、ESG投資などのキーワードを見ても分かる通り、昨今では事業性と社会性の両立が求められているのです。

しかし、こういった流れが活発になってきたのは、あくまでも近年のことです。たとえば10年前を振り返ってみると、社会貢献を考える企業はごく少数でした。

そんな中、2009年の創業から発酵技術を用いて、廃棄農作物などの「未利用資源」が再生・循環する社会を創ろうと取り組んできた研究開発型ベンチャーがあります。それが、「Fermenting a Renewable Society (発酵で楽しい社会を!)」をパーパスに掲げる株式会社ファーメンステーションです。

代表取締役の酒井 里奈氏は、金融業界を中心に様々な会社でキャリアを積んだ後、東京農業大学に入学して発酵技術を学んだという異色の経歴の持ち主です。創業当初は市場がまったくなく、周囲からも事業を理解してもらえなかったと言います。
そんな厳しい状況で、なぜ酒井氏がファーメンステーションを起業し、社会貢献型のビジネスに挑戦しようと思ったのか。その生い立ちから起業に至るまでのストーリーなどを伺いました。

酒井里奈氏

代表取締役
酒井里奈氏

東京都出身。ICU卒業後、富士銀行、ドイツ証券などに勤務。その後、発酵技術に興味を持ち、東京農業大学応用生物科学部醸造科学科に入学、09年3月卒業。同年、株式会社ファーメンステーション設立。在学中の研究テーマは未利用資源からのエタノール製造、未利用資源の有効活用技術の開発。好きな微生物は麹菌。好きな発酵飲料はビール。

 株式会社ファーメンステーション

株式会社ファーメンステーション
https://fermenstation.co.jp/

設立
2009年07月
社員数
15名

《 Mission 》
発酵技術で「未利用資源」を価値あるものに転換する
《 事業分野 》
サスティナビリティ
《 事業内容 》
世の中にあふれる有効活用されていない「未利用資源」を、独自の発酵技術で機能性のあるサステナブルな素材や製品へと転換し、廃棄物ゼロのシステムで、無駄なものがないサーキュラーエコノミーの構築を目指す。

企業戦士だった父と社交性を大切にする母からの影響

アマテラス:

まず、酒井さんの生い立ちからお伺いします。現在に繋がる原体験のようなものがあれば教えてください。

株式会社ファーメンステーション 代表取締役 酒井里奈氏(以下敬称略):

私の父は日本の高度経済成長を牽引した団塊の世代にあたり、まさに企業戦士という感じの人でした。家にもほとんど帰ってくることなく仕事に打ち込む父の姿を見て、幼い頃は「パパみたいにはならない!」と言っていたものです。

ところが、父の知り合いからは「本当にそっくりな娘さんですね」とよく言われていました。実際、今の私は人生をかけてファーメンステーションの事業に取り組んでいますから、そういった仕事への向き合い方は父の影響が大きいのかもしれません。

母は専業主婦でしたが、東京生まれの東京育ち、しかも一人っ子という環境で育った私がきちんと社交性を身につけられるかをよく心配していました。母がよく言っていた「友達をたくさん作りなさい」という言葉は、今の自分の土台になっていると思います。

ICU時代に育まれた「メンバーの多様性」を尊重する価値観

酒井里奈:

特に大学時代を過ごした国際基督教大学(ICU)では、周囲の友人達から様々な影響を受けました。
ICUには未来への明確なビジョンを持っている人が多く、みんな知的好奇心にあふれていました。また、それぞれのバックグラウンドを尊重しながら、互いをリスペクトしあえる場だったと思います。

ICUでは入学式で「世界人権宣言」の原則に立った大学生活を送るという内容の誓約をする慣例があるのですが、性別や人種の違いを超えて、多様な人達が対等に向き合える環境は素晴らしいと思いましたし、自分もそういう価値観で生きていきたいと思いました。
今のファーメンステーションの価値観の1つである「メンバーの多様性」は、まさにこの頃の思いが原点です。

アマテラス:

その後、どのようにファーストキャリアを選ばれたのでしょうか?

酒井里奈:

当時はまだ女性の社会進出が今よりも一般的ではない時代でしたが、だからこそ自分にとってよりチャンスがある職場を選びたいと考えていました。そして、ICUの先輩から「まずは、ビジネス全体が見られる銀行がいい」と勧めて頂いたことがきっかけで、総合職として富士銀行に入社しました。

いざ働きだしてみると思うようにいかないことばかりでしたが、入社3年目で国際交流基金日米センターに出向したことが転機となりました。

国際交流基金への出向を契機に、社会性の高い事業に触れる

酒井里奈:

当時はNPO法案が成立した直後で、配属された日米センターでは「日本のNPOセクターをどう底上げしていくか」という課題に取り組んでいました。当時はわからないことだらけで大変でしたが、その分未知に挑む面白さに心惹かれました。何より、様々な社会課題に正面から取り組む仲間達の姿はとても魅力的でした。
ただ、国際交流基金への出向は2年と決められていたため、延長は出来ませんでした。また、その当時の私が持っていたスキルや知識レベルでは転職も厳しい状況でした。

改めて自分にできることは何なのか、これからどうしていきたいのかを考え、情報収集する中で『社会貢献型経営ノすすめ』という本に出会いました。
この本を通じて私は、組織の経済的成長を実現させつつ、地域の課題や環境問題、貧困、不平等など多様な社会問題の解決にも取り組む企業の存在を知りました。

「世の中の課題をビジネスで解決していきたい」という思いから社会貢献型経営を行っている企業事例や先駆けとなる米国の動向を調べ、関連部署に提案しましたが、残念ながら具体的なアクションには繋がりませんでした。

プロジェクトファイナンスで、「環境評価」という新しい指標を見出す

酒井里奈:

出向から戻ってきた後、次に配属されたのはプロジェクトファイナンス営業部(プロファイ)でした。石油などのエネルギー開発やインフラ事業など巨額の資金を必要とする事業に融資する仕事です。
事業の採算性を分析し、融資を決定するのですが、その頃の私はPLもBSもほとんど分かっていない状態でした。先輩に基礎から教わりながら、必死で食らいつき、壁を越えていきました。その時の苦しかった経験は全て私の武器になりましたし、壁を越えていけばいくほど、仕事が楽しくなりました。

プロファイでは様々なプロジェクトに関わりましたが、その中で環境評価という指標を見いだせたのは非常に大きかったと思います。当時のヨーロッパではすでに代替エネルギーや風力発電などの大型案件が出てきており、その中で事業の採算性だけではなく、環境に与えるインパクトへの評価も求められていました。

そういった背景から、私の関心は徐々にファイナンスと環境問題の掛け合わせに移っていきました。とはいえ、該当するような案件は世界的に見てもまだ少数だったので、環境問題と掛け合わせた仕事ともし出会えればさらに踏み込んでみたいと考えていました。

浅草や墨田川からほど近いファーメンステーションオフィスにてインタビューを行った

新しい仕事へのチャレンジと挫折

酒井里奈:

そんなことを考えていた矢先に、「社会貢献投資」をテーマにした金融商品が国内にも出来たという新聞記事を目にしました。これこそ自分がやりたかったことだと思った私は、さっそくその金融商品を作ったベンチャー企業の方にお手紙を書き、アプローチを重ねました。そうして、6年間勤めた銀行を退職し、その会社への転職を決めたのです。

ところが、その後わずか1ヶ月で挫折。ビジネスと社会性の両立を目指して、意気揚々と転職したにも関わらず、その時の自分には金融商品の知識がなく、またベンチャーの働き方に対する理解もなかったのです。一念発起して銀行を離れたにも関わらず、新たなチャレンジを貫けなかったことは、自分にとって本当に大きな挫折でした。
新たな仕事を探して面接を重ねるものの、就職先も思うように見つかりませんでした。今までの人生を振り返っても、仕事を失っていたこの時期が精神的に最も辛かったと思います。

結局、ある外資系のベンチャー企業に転職し、その後さらにドイツ証券へと職場を移しながら、一貫して経営陣をサポートする経営企画などの業務に励みました。仕事は充実していましたが、私にはどうしても諦められない思いがありました。
自分にしか出来ない仕事をしたい。そして、ビジネスと社会課題に向き合うことを両立したい。以前から温めていた欲求がどんどん膨れ上がっていったのです。

「生ゴミを発酵させてエネルギーに変える」研究に触発されて東京農大へ

酒井里奈:

とはいえ、その時点では事業アイデアが何も決まっておらず、焦るばかりの日々でした。

そんな折に、たまたまニューヨークとボストンへの出張が入りました。出張先でルームサービスのパスタを注文したところ、どうがんばっても私一人では食べきれない量が出てきました。食べきれないパスタはそのまま生ゴミ行きという事実に気づいた瞬間、猛烈な違和感に襲われました。
大量の生ゴミをムダに生み出し続ける生活を、この先も私たちはずっと続けていくんだろうか。ほんとにそれでいいんだろうか。普段なら気にならないような疑問が次々に浮かび上がってきました。

その時の違和感や疑問は、帰国後も心に残っていました。そんな時、なんとなく見ていたテレビで紹介されていた東京農業大学(東京農大)の研究を見て、衝撃が走りました。
「生ゴミを発酵させることで、エネルギーに変えられる」

今までバラバラだったピースが全てつながっていくような感覚がしました。これは何が何でも学びたいと思い、東京農大への受験を決めました。

農大での発酵研究を経ての創業と奥州市の実証実験受託

酒井里奈:

農大では、10代20代の若者とともに発酵や微生物について学び、代替エネルギーなどの研究を進めました。さらに、環境コンサルとして仕事をするなかで、多種多様な未利用資源についても詳しく知りました。

農大で学んだことをどう活かせばいいのか、どういうビジネスに繋げられるのか。在学中はひたすらそればかり考えていたように思います。ブレイクスルーのきっかけは、私が所属していた研究室へとお越しになった岩手県奥州市(当時は胆沢町)市役所の方からの相談でした。

当時の胆沢町では、休耕田や耕作放棄田が多数ある地域の問題を解決するために、様々なアイデアを検討していました。そのための具体的なアイデアの1つが、休耕田で栽培したコメからエタノールを作り、バイオ燃料にする計画でした。

そして、2010年4月から奥州市の実証実験「コメからエタノールと餌をつくる地域循環プロジェクト」がスタートしました。私は、その9ヶ月ほど前にすでに起ち上げていたファーメンステーションで受託事業者として関わり、様々なチャレンジを繰り返しました。

バイオエタノールの製造に成功するも、市場がない状況

アマテラス:

ファーメンステーションの本社は東京にあるわけですが、ラボが岩手となると交通費だけでも大変そうです。資金面についてはどうでしたか?

酒井里奈:

東京に常駐するのは私1人で、岩手のラボも1~2名体制というように固定費は出来るだけ抑えていましたが、それでも創業から10年くらいは資金的にいつもギリギリでした。
岩手への交通費も年間100万円以上かかりますし、ラボのスタッフにも給与が発生します。最初の3年間は受託事業の売上がありましたが、そこから先は別の売上を立てる必要がありました。

実証実験を経て、当社ではコメからエタノールを製造できるようになり、アルコール事業法によるエタノールの製造・販売許可も無事に下りました。それでも、私達が作っているバイオエタノールは全く売れなかったのです。

バイオエタノールは、通常のエタノールと比べてどうしても価格が高くなります。しかも、当時SDGsという言葉もなく、サステナビリティはほとんど重要視されていませんでした。そのため「トレーサブル」や「オーガニック」といったキーワードをいくら訴求しても、価格で断られるばかりでした。

市場がなく、外部環境もほとんど整っていない中で、それでもキャッシュを作らなければ会社が潰れてしまう。そんな状態でしたから、2018年に資金調達するまでは役員報酬をずっとゼロにしていました。家族のおかげで、贅沢をしなければ衣食住は確保できたので、その点は本当にありがたかったです。

オフィスにはラボスペースがあり、研究開発を行われている。酒井氏(左)とインタビュアーのアマテラス代表藤岡(右)

周囲から理解されない中、事業の可能性を信じて動き続ける

アマテラス:

今でこそファーメンステーションさんは大手企業とも協業されていますし、社会のニーズとプロダクトがマッチしてきているかと思いますが、当時市場がない状態でどうやって10年持ちこたえたのでしょうか?

酒井里奈:

販売可能なプロダクトがないと始まらないので、実証実験の中で作ったものの内、評判が良かった発酵粕(かす)を原料とした石鹸をまず売り出しました。最初は岩手のアンテナショップで取り扱ってもらい、毎週末、店頭に立ってひたすら石鹸を販売していました。そこからさらに伝手を辿って、展示会に出ては、店頭販売をし続けました。それだけではキャッシュが足りないので、私個人でコンサル業務を請け負い、その分の売上を事業資金にあてました。補助金など使える制度も全て活用しました。

銀行の知り合いやビジネス系のアドバイザー、アクセラレーターなどに事業の話をすれば、ほぼ全員から「市場性がない」「どうやって事業拡大するのか分からない」と言われ続けました。

それでも、「今は誰も気づいていないけれど、いつか絶対に市場が来る」その思いを貫いて、ひたすら信じて動き続けた10年間だったと思います。とはいえ、周囲からの理解をほとんど得られないまま時間だけが過ぎていく中で、弱気になっていた部分も正直ありました。

そんな私に「ファーメンステーションは面白い!世界を変えられる事業だよ」と言ってくださり、経営者としての自信を下さった方がいました。科学全般に立脚した各種事業を手掛けている株式会社リバネスのCEO、丸幸弘氏です。

リバネスCEOの丸氏の言葉から得た経営者としての自信

酒井里奈:

丸氏とのご縁は、IPOを経験したことがある元CFOの方からのご紹介でした。その方との出会いは本当に偶然で、たまたま私が東京都の女性起業家のアクセラレーションプログラムに参加した際に、ピッチ会場の近くを通りがかった彼が私の話に興味を持って下さったのです。

ピッチが終わった後、わざわざ声をかけてくださった彼はこんなことを言いました。
「酒井さんのビジネスは超面白い。でも、分かる人にしか分からない事業だから、こんな万人に話しても意味がないよ。だから、分かってくれる人を紹介します」

そうして、その場で丸氏に連絡を取ってくださったのです。丸氏からもすぐに連絡が来たので、日程を調整してリバネスのオフィスに伺いました。そこで先ほどの「世界を変えられる」という言葉を頂いたのです。

実はその時まで、私は自分のことを起業家だと思っていませんでした。思いついたことをただやり通しているだけの人という自己認識だったのです。しかし、丸氏から頂いた評価をきっかけに、起業家として胸を張れるようになりました。

そこから事業も好転していき、たとえば石鹸のデザインやストーリー性を評価下さった百貨店の方がお声がけ下さったり、原料に目をつけて下さった方から問い合わせが来たりするようになりました。
また、起業までのストーリーも珍しいということでメディアから取り上げられるようになり、知名度が上がっていく中で、弊社の原料を活用した化粧品開発等のOEMの依頼なども舞い込み始めました。

IPOに向けた事業拡大と経営目線で語れるメンバーとの出会い

酒井里奈:

私自身の本格的なマインドの変化と共に、2018年、そして2021年と2度の資金調達を行ったことで、IPOに向けて事業展開も一気に加速しています。そんな中、課題として浮かび上がってきたのが経営メンバーの不足です。

そこで株主の方から紹介して頂いたのが北畠勝太(取締役COO)でした。彼はもともとヘルステックスタートアップで取締役COOをしていた方なんですが、その時には前職の退職が決まっていました。

経歴的にも今後の事業展開や経営のことを相談できる方だと思い、早速色々と話をさせてもらったのですが、その時の北畠の反応は想像以上でした。こちらが説明した内容に対して、的確な質問が次々に返ってきたのです。その時、胸の奥からこみ上げてきた嬉しさを今でもよく覚えています。経営目線でディスカッション出来る人にようやく出会えたと思いました。

何度も議論を重ねる中で、「ファーメンステーションにはものすごいポテンシャルがある」と北畠は感じてくれたそうです。北畠が当社への参画を決めてくれた際に、彼がそう感じた理由の詳細を教えてもらい、私自身も、客観的に見てファーメンステーションはこれから伸びていく会社なんだと自覚できました。

出会いから3年かかって採用した最強のCTO

酒井里奈:

そして、北畠の言葉に後押しされる形で、次に採用した経営メンバーがCTOの杉本利和です。

杉本は前職の大手酒類メーカーで長年R&Dで経験を積み、スタートアップとのオープンイノベーションも担当していました。そして、リバネス主催のイベントで私のピッチを聞き、当社事業を「ものすごく面白い」と評価してくれたのです。
その後、そのビールメーカーと当社で「リンゴの搾りカスをエタノールにする」協業プロジェクトを行うことになったのですが、その際にも杉本は全力で動いてくれました。彼は事業開発スキルの他にも、発酵と蒸留分野のR&D経験があったため、技術面でも様々なサポートをしてくれたのです。

杉本のバックグラウンドは、当社が求めていた人材像とぴったり合致していました。さらに、プロジェクトを通じて彼の人柄や働きぶりを見ているうちに、「いつか一緒に働けたら」と思うようになりました。

とはいえ、参画してもらえるとは思っていませんでした。それでも、いつか何かしらの形で杉本に関わってもらいたいという望みを持って、事業の進捗を定期的に報告し、かつ時には一緒に飲みに行くようにしていました。

それでも本格的に誘うのはためらっていたのですが、北畠に話したところ「大至急声をかけるべき」という意見をもらいました。そこで思い切って声をかけたところ、参画を決めてくれたのです。結果的にCTO採用に3年がかかりましたが、これ以上ないメンバーが加わってくれたと感じています。

左から北畠取締役COO、酒井代表取締役、杉本CTO

「バイオものづくり」の分野にも参入し、世界を相手に挑む

アマテラス:

最後に、今後の展望について教えて下さい。

酒井里奈:

2022年6月に杉本が正式に加わりました。北畠がCOOとして就任したあたりから、スタートアップとしてのカルチャーも整ってきましたが、これからファーメンステーションはさらに大きな転換期を迎えます。

コロナ前後から消費者のマインドが大きく変化し、今、時代は私達にとって完全に追い風です。これまでの主に化粧品原料市場での事業開発に加えて、バイオ燃料やバイオプラ原料市場に向けたバイオエタノール開発の需要もいただき、事業開発の幅が広がりつつあります。

今後は大手企業との共同研究開発や技術ライセンスも増やしながら、グローバル規模で投資が加速し日本でも成長分野とされている「バイオものづくり」の分野に参入していきます。私達の挑戦は、いよいよ世界が相手になっていくのです。

ファーメンステーションが目指すのは、「未利用資源」が当たり前に使われる世の中です。そのパーパスを実現させるためには、環境問題や社会課題など様々な情報を日々収集し、常に学びながら自らを成長させ続けていく必要があります。

会社をさらに急成長させていくために、今後は挑戦者のマインドを持って本気で事業にコミットしてくれるメンバーを厳選していきます。特に化粧品分野や素材分野での事業開発経験、あるいは新規事業の経験がある方なら、今までの知見をフル活用できるでしょう。

私達の仕事は決してラクではありませんが、知的好奇心あふれる方、そして挑戦と成長を楽しめる方にとっては最適な職場だと思います。これからどんどん面白い展開を作っていくので、ぜひ楽しみにしていてください。

アマテラス:

本日は素敵なお話をありがとうございました。

この記事を書いた人

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多田 ゆりえ

広島県広島市出身。国際基督教大学卒業後、外資系製薬会社のMRとして勤務。その後、心身を壊し、10年ほど障がい者雇用の現場を経験。30代で県立広島大学大学院に飛び込み、社会福祉学を専攻。並行して、社会福祉士資格を取得。「データ扱いではなく、人の物語に光を当てたい」との思いから、大学院卒業後、インタビューライターとして起業。翌年に株式会社心の文章やとして法人化した後、会社を休眠させて、合同会社SHUUUに参画。ベンチャーキャピタルJAFCO様の広報サポートの他、スタートアップ領域の広報に広く携わる。2024年より東京に拠点を移し、社名を株式会社YEELに変更し、会社を再始動。フランチャイズ支援と広報サポート事業の2軸で展開する。アマテラスには、2022年8月よりパートナーとして参画。

 株式会社ファーメンステーション

株式会社ファーメンステーション
https://fermenstation.co.jp/

設立
2009年07月
社員数
15名

《 Mission 》
発酵技術で「未利用資源」を価値あるものに転換する
《 事業分野 》
サスティナビリティ
《 事業内容 》
世の中にあふれる有効活用されていない「未利用資源」を、独自の発酵技術で機能性のあるサステナブルな素材や製品へと転換し、廃棄物ゼロのシステムで、無駄なものがないサーキュラーエコノミーの構築を目指す。