アナウンサーの父に影響を受けて育ち、“声”を使っている人たちが活躍する場を創りたいと思った。

株式会社Voicy代表取締役CEO 緒方憲太郎氏

「魅力的な声を持った話し手がもっと活躍できる場所を作りたい」との思いからVoicyを起業した緒方社長。この事業を始めるにあたりアナウンサーだった父の影響を少なからず受けていたと思います。
日本のITベンチャーはすでにアメリカなど欧米で先行しているサービスを参考にしたものが多い中、Voicyは世界初のVoiceMediaサービス。公認会計士、アメリカでの監査経験、ベンチャー支援の仕事を経て起業した緒方社長にその生い立ちや起業の背景をインタビューしました。

緒方憲太郎氏

代表取締役CEO
緒方憲太郎氏

大阪大学基礎工学部卒業。2006年に新日本監査法人に入社し、その後Ernst & Young NewYork、トーマツベンチャーサポートを経て起業。複数のベンチャー企業の顧問にも就任し、事業計画、資金調達、組織戦略、PR戦略、社内リーダー育成、採用、VC対応、大企業連携、その他社長のメンターやネットワーク構築を行う。公認会計士。

株式会社Voicy

株式会社Voicy
https://corp.voicy.jp/

設立
2016年02月
社員数
4人

《 Mission 》
声で新しい文化を作る
《 事業分野 》
web・アプリ
《 事業内容 》
・世の中に新しい価値を生む
・誰もやらないことをやる
・自分たちが最高に楽しむ
をミッションとし、スタートアップ経験豊富な経営チームと、技術力の高いエンジニアチームが連携。
既存メディアや、大手の企業と連携し、新しいプラットフォーム及びメディアを展開しています。

アナウンサーの父を見て育つ

アマテラス:

緒方さんの生い立ちを教えていただけますか。

株式会社Voicy 代表取締役 緒方憲太郎氏(以下敬称略):

兵庫県に生まれ、中高が神戸、大学が大阪でずっと関西に住んでいました。運動が大好きで、好奇心旺盛で何でもやりたがったという幼少期だったと思います。
サッカーと、あと父の影響で日本拳法をしていました。父はアナウンサーで礼儀に関して厳しく、私は滑舌や発音にもよく注意されていました。

公認会計士の資格を取得、新日本監査法人へ

緒方憲太郎:

大学時代、テニスに熱中していたのですが、他にも何かやった方がいいと思い、公認会計士の資格を取るために専門学校にも通い始めました。

しかし、試験勉強を始めて一年目の試験は、全カリキュラムの20パーセントも終わらない状態で試験を受けに行くという暴挙に出て、見事に不合格。
これで危機感を感じ、自分に合う勉強方法を模索して、だんだん点数がとれるようになり、運よく次の年で合格できました。

私はやれるときに一気にやるタイプだと思うので、ここで落ちていたら次の年まで気持ちが持たなかったと思います。

アマテラス:

2回目の挑戦で公認会計士試験合格し新卒で新日本監査法人の大阪事務所に入ることになりましたが、その時の話を聞かせてください。

緒方憲太郎:

新日本監査法人には5年弱勤めました。初めは監査でいろんな会社に行けるので面白かったです。

特に良かったなと思ったのは、大阪が担当ということもあり古き良き会社をたくさん見ることができたこと。税金を納めるとか、社員を大切にするとか、ただ稼ぐだけではないところに投資をしていくというビジョンを持った会社が多くて、そういう会社を見て、会社は何のためにあるのだろうとか、社会に対してどういうポジティブな影響を与えるのか、ということを考えました。

そのときから、社会に価値を生みだす存在として「いつか会社を起こしたいな」と思っていました。

休職をして訪れたアメリカでゼロイチの面白さを知る

アマテラス:

新日本監査法人で5年間働いてからアメリカに行っていますね。留学ですか?

緒方憲太郎:

語学学校には一応行っていたのですが、1年間会社には留学するということで休職をもらい、旅をしていました。休職した理由としては、会計士登録が完了したとき、このまま監査の仕事を続けるべきなのか迷ってしまったからです。
監査業務とはビジネスの結果をまとめた会計をチェックすることなのでもう全て事後的で、クリエイティブなことをしても何も意味がなく、むしろできる限り無駄のないことだけをやるという世界につまらなさと感じていました。

もっと大きな世界を見たいなと思い、英語の勉強も兼ねて、とりあえず全部リセットしようという気持ちで海外に行きました。

アマテラス:

全部リセットするために海外へ。その海外では何をしていたのですか?

緒方憲太郎:

これから何をしていくのかは全然考えていませんでしたが、2011年に日本で震災が起こったときが転機だったと思います。

そのころアメリカのボストンに日本人の医者がたくさんいて、彼らが「日本にいる被災地以外の医者は目の前の患者対応で被災地に行くことができないのではないか。むしろアメリカにいる自分たちなら現地に行ける。」と言っているのを聞きました。

「じゃあ自分はボストンの日本人医師が被災地に行くための組織をつくろう」と、医者と弁護士を集めてNPOを立ち上げました。
JALと交渉して無償で渡航できるようにしてもらったり、日本医師会に話してどこに何が足りないか把握できるようにしたり、いろんな工夫をしました。

目的を持って事業を作っていく側を初めて経験して、ゼロイチで立ち上げる面白さを感じました。

アマテラス:

実際にゼロイチを経験してベンチャービジネスに関心を持ち始めたのですね。

緒方憲太郎:

はい。ただその時は好きなことをしてお金を稼げるとは思っていなかったので、趣味と仕事は別だと思っていました。その後はボストンシンフォニーホールでオーケストラのマネジメントをしていました。でもイベントビジネスはコストが先に決まって収入が当日に決まる、下手すると売上が出ない可能性もあるような資金繰りの厳しいビジネスで。もう二度とやりたくはないです(笑)

そんな旅の中で、事業をイチからつくっていく面白さを知るだけではなく、いろんな人の力が組み合わさるとめちゃくちゃ面白いものができるということも知ることができました。NPOもオーケストラも、「儲けたい!」ではなくて、「こういうことがやりたいんだ!」という同じパッションの人たちが集まっていたので一体感もありとても刺激的な経験でした。

NYタイムズスクエアでたまたま見つけたErnst & Young社に飛び込む

アマテラス:

そして、Ernst & Young*(以下EY)のニューヨーク支店に入社していますよね。新日本監査法人のグループ企業に転籍したということですか?(*ロンドンを本拠地とした世界4大監査法人の1つ。新日本監査法人はこのグループに属する。)

緒方憲太郎:

転籍ではなくて、ローカル採用で飛び込みでした。転籍だったら、新日本監査法人の大阪ではなく東京事務所のダントツで優秀な人、しかも3年に1人くらいしか駐在に行けないので。だからこそ、ニューヨークオフィスからしたら、日本から来る人はすごく優秀なんだと思われていました。

そのおかげか、英語はできなかったのですが無事受かり、ビザ取得までの期間で日本に帰国して新日本監査法人を退職しました。大阪事務所では驚かれましたね。まさかあの緒方がニューヨーク支店にはいっちゃったと。でも栄転に見えて給料は超安かったです。当時は極貧でした。

アマテラス:

でもなぜ、旅行している最中にEYに入ろうと思ったのですか?

緒方憲太郎:

そこにあったんですよ。

アマテラス:

意味がわからないです(笑)。

緒方憲太郎:

タイムズスクエアに行ったらEYがあったんです(笑)
あったので、話してみたいなと思って話に行ったというのが一番初めでした。

飛び込みで行って、「一応採用ルートに乗せたほうが採用しやすいから、ボストンキャリアフォーラムに申し込む形にしてくれ」ということで、せっかくなので他にも数社受けました。

内定をもらった会社はいくつかありましたが、EYに決めたのは仕事で使う監査ツールが新日本監査法人と一緒だったという理由からです。自分は英語が得意ではなかったので、言語とさらにスキルが違うと厳しいなと思いました。同じ監査ツールだったら、困ったとき和訳したものを日本から取ってくればなんとかなる。これなら英語の不利を補えるだろうと思いました。

ニューヨークで1200人を超える日本人団体の立ち上げを経てトーマツベンチャーサポートへ

アマテラス:

ニューヨークEYを経て日本のトーマツベンチャーサポートに転職されていますがこの背景を教えてもらえますか。

緒方憲太郎:

転職した大きな理由としては、ニューヨークで立ち上げた日本人団体でもうやることがなくなったということがありました。
僕は人がとにかく好きで、人のいいところを引き延ばすのが大好きなので、ニューヨークでいろんなバックグラウンドを持った面白い日本人たちと“ニューヨーク日本人勉強会”というものを立ち上げました。日銀の職員が語るアベノミクスの話とか、医者から厚労省に入った人や医者からガン研究者になった人の話、弁護士が犯人をどう吐かせるのかといった話などを聞いて、僕がレビューをし、懇親会をするというイベントを月一回開催していました。いまだに続いているのですが、はじめ20人でやっていた団体にだんだん人が集まって、当時1200人くらいの組織まで成長しました。今では2000人くらい登録があって、ニューヨークの中でも相当大きい日本人組織になっています。それなりに話題になりました。
これ以上やってももう苦しいというのもあったし、やることはある程度やったなと思いました。

そのタイミングで実家に帰ったときに、フェイスブックで知り合ったスタートアップ支援を行うトーマツベンチャーサポート(以下TVS)で活躍する斎藤祐馬さんに「面白そうなことしてますね」というメール送ったら、「そっちも面白そうなことしてますね」と返事をもらい、その流れで飲んで話そうということになりました。そうしたら「面白そうだね、いっぱい走り回れる会計士を集めているんだけど一緒にやらない?」と言われて。「じゃあ、ニューヨーク帰って辞めてきます」と言ってジョインしました。
TVSはスタートアップ支援をする組織ですがTVS自身がスタートアップとしてゼロから立ち上がるところでしたし、海外事業部をつくろうとしていたりとゼロイチに関われることが面白いと思ったからですね。
とりあえず道に迷ったら面白いほうを選ぶと決めているので。

毎日ドラマが繰り広げられるスタートアップと仕事をするのが楽しかった。

アマテラス:

TVSではどのような仕事をしていたのですか?

緒方憲太郎:

私はハンズオンという仕事をずっとやっていました。社外取締役のような立場で、経営の一端を担わせてもらい、事業のサポートを行う仕事です。自分は、企業の状態を分解していったり、未来をイメージしたり、何がポイントなのかを考えたりすることが好きだったので、この仕事はすごく楽しかったです。また、意思決定をする経営者に近いところで仕事ができたので、いろんな企業の経営をしているようで面白くて仕方がなかった。

日本のベンチャーキャピタル(VC)は実際のところ投資をするところまでで、実際に経営現場に入り込んだハンズオンでスタートアップ支援をしているところは多くはなかったので、それなら私が日本で一番多くのスタートアップを見て回りたいと思っていました。そうしていろんなスタートアップの担当をするうちに多くの失敗談、成功談を聞くことができて、こうやったらこのへんで壁にぶつかるとか、こういうマネタイズがあるんだとか、スタートアップ経営の知見も深まりました。

これはスタートアップならではだと思うのですが、毎日ドラマのように状況の変化があるんです。それが中毒的に面白かった。役に立ちたくて仕方なかったので、誰よりも一番情報収集して、それをアウトプットして、マッチングしたりしていました。そうしていたら、自分が経営者から必要とされるようになってきたんです。
とにかく自分だからこそできることにコミットしていくことで、バリューを生むことができるというのはすごく良いなと思いました。

アマテラス:

緒方さんの「人の役に立ちたい」という“ギブ精神”には私もとてもお世話になっていているのですがその源はなんでしょうか?

緒方憲太郎:

TVSに入る前に、自分の価値って何だろうというのをすごく考えていた時期があって。その時に思ったのは“価値のある人になりたい”ということでした。その価値というのは、自分の存在があったときとなかったときの社会の差だなと。
自分がいることによって、周りに喜びが増えるというのが、自分にとって一番うれしいことだと思ったんです。だから、自分だけができることにコミットしていきたいと思っています。

世界に新しい声という付加価値を作るVoicyを起業

アマテラス:

TVSでスタートアップと関わる仕事をしている中で、起業に踏み切ったきかっけ・理由を教えてください。

緒方憲太郎:

やはりきっかけとなったのはスタートアップの支援をしていたことですね。支援をしながら、自分でも一回は起業したいと思っていました。
やるなら面白い起業がしたかったので、道なき道を開きつつも、ビッグスケールを目指していけるものを世に見せてみたいと考えていました。新しい付加価値、新しい価値観を作って「あいつらよくわからないけれどすごいことやっているな」なんて言われてみたかった。

スタートアップ支援でいろんな企業を見ていくうちに、事業って2種類しかないなと思いました。
1つが漁業的な事業で、もう1つが農業的な事業です。
漁業というのは、海に生息する魚を俺の魚だと言って釣っている世界と、農業というのは自分で種を植えて、太陽を見ながら育てていくような世界のこと。世の中のパイが変わらない中で取り合っている人たちと、パイ自体を増やしている人たちがいるということに気が付いたんですね。

そして、日本の仕事の多くが漁業的で、人が創った付加価値の取り合いをしている。トヨタが車を作り、それにコンサルだ、マーケティングだ、なんだかんだって付加価値を取り合っているだけで、付加価値そのものを作っている人が少なすぎると気づきました。

だから私は稼ぐことよりも、パイを増やすことをしたい、社会に1個価値のあることをしたいと思いました。起業というよりも、付加価値を作っていけるサービスを創ってみたいと思っていました。

アマテラス:

その新しい価値として“音声”に注目した理由はありますか?やはりアナウンサーのお父さんの影響ですか?

緒方憲太郎:

アナウンサーの父を見ていて、声の価値というのも知っていたし、声を使っている人たちが活躍する場所がどんどん減ってきているなと思っていました。
これだけ世の中に声のプレーヤーで魅力的な人がたくさんいるのに、活躍できる場所がなくて埋もれている。
なぜかというと、彼らは読むコンテンツと読む場所がなかったのです。読むコンテンツとしては世の中にたくさんのメディアがあるし、その活字を読めばいい。じゃあ私はどこにでも発信ができる読む場所を作ろうと思いました。

また、活字メディアもいいことを書いているのに表現が上手くないなと思っていました。人間はすぐ飽きて、最後まで聞かなくなるような世界なのに、いまだに活字で読めというのは超不器用だと思います。だったら、ネタをつくる人と表現する人を分ける世界をつくったら、もっと面白いんじゃないかと思いました。

声の価値というところに関しては、情報伝達手段で使っている声もありますが、もっと人間味とか温かいものがいろんなものに乗っていけば、もっと面白いだろうなと思いました。

創業期を一緒に支えてくれた仲間

アマテラス:

起業して最初の頃は資金繰りや仲間集めはどのように乗り越えてきたのでしょうか?

緒方憲太郎:

大変だったのは、僕が事業を始めようと思った1年半前、声の業界があるということを誰も考えていなかったということです。ラジオの利用率もこれだけ下がっているときに何やっているのかと言われてしまうし、誰にも評価されないので、お金を集めるのは難しかったです。しかしそこで私は、逆にお金を集めないという方向に決めました。

それでもなんとかここまで事業をもってこられた最大要因はエンジニアの窪田がいたからだと思います。彼とは事業立ち上げの前に知り合いました。一緒に全然違うサービスを作ったりしていたので経験値もあるし、ずっと無給で働いてくれていました。だから2人で企画してアプリをつくればコストがゼロになるし、必要だったのは仕事をする場所くらいでした。

人材としては手伝ってくれるメンバーや、読んでくれるメンバーに頭を下げて「一緒にやってくれ」と頼んでいってみんな巻き込んでいきました。でも根本的にサービスをつくっていたのは窪田と私の二人ですね。費用はサービスリリースまで0円でした。会社の設立費用も出費はゼロで、ずっと資本金100万円がそのまま100万円でリリースまで行き着きました。

アマテラス:

エンジニアの窪田さん無しではここまで来ることはできなかったと。窪田さんとはどこで知り合ったのですか?

緒方憲太郎:

私がTVSに勤めていた時に運営したイベントで、偶然隣に座っていたのが窪田でした。そこで話しかけたら、窪田もゼロから作ることをしたいと言っていて、もっと深く話そうと飲みに行くことにしました。飲みながら、こんなの面白そうだから作ってみましょうか、みたいな話をして2人で一生懸命ワイヤーフレームを書いたりしていました。

アマテラス:

サービスをリリースしてからの資金調達、人材採用はどのようにしたのですか。

緒方憲太郎:

リリースしたときは、窪田と本業がありながらボランタリーにお手伝いしてくれる人6、7人という体制でした。政策金融公庫から資金を借り入れて、給料はリリース1か月後からやっと有給になって。
そして、さすがにもっと開発しないといけないしエンジニアが必要になったというときに、飲み仲間の繋がりで一人参加してくれることになりました。
それで、メインを3人でやっていたのですが、途中で僕の業務がパンクしてしまって、さすがにビジネスサイドの人材が必要になったので、ベンチャー支援をしていた時の知り合いに来てもらうことになりました。

VoiceMediaという世界発のメディア“Voicy”

アマテラス:

今のフェーズのVoicyで働く魅力や、働き甲斐について教えてください。

緒方憲太郎:

私たちはこの事業で、生活とか生き方のインフラになるものをゼロから作っていきたいと思っています。ランニングしながら、お風呂の中、起きてすぐの布団の中、寝る前とか、そういう人の生活の中に新しい習慣となるメディアを作る。全部声だけで生活できるような世界、モノが全部しゃべる世界は、そう遠くないだろうと思っています。
このような誰もやっていないマーケットで、世の中に模倣するものがなく、海外にもベンチマークがないというところは面白いのではないでしょうか。

カナダや中国など、海外のパーソナリティも集めているので、海外のコンテンツで世界中にどんどん出て行きたいとも思っています。日本で47都道府県の方言チャンネルを作っているように、世界中でも声を集めたいです。
例えば、オリンピックに参加する92カ国の声を全部集めて、4年後の東京オリンピックでいつでも声を提供できるようにすることなどを考えています。

あとはユーザーとすごく近いのも魅力だと思います。リスナー、パーソナリティ、コンテンツユーザーという全てのユーザーと近いところで一緒に仕事が出来る。これはメディアもやりながらプラットフォームを作っているVoicyならではだと思います。
この事業を始めたことで、話し手の方々にはとても感謝していただきました。ありがたいことに、“去年で一番良かったことはVoicyに会えたことだ”と言ってくれる方もいました。“LIKE”ではなく“LOVE”を集めようと思って事業を作っていますがユーザーの方々の“LOVE”が蓄積してきている手応えがあります。

アマテラス:

今は読み手には収入が入らないような仕組みになっていますが、これからマネタイズとしてはどのように考えているのですか?

緒方憲太郎:

僕らはテレビを作っているイメージなので、ここにチャンネルを出したい企業が出てきたら、そこで自分たちの事業の宣伝をしてもらったり、広告費をつけたり、といった形を考えています。日本全国の自治体チャンネルのようなものを作りたいと思っています。

想いに賛同してくれる人と一緒に働きたい

アマテラス:

最後に、いまVoicyで必要としているポジションや人物像についてお聞かせください。

緒方憲太郎:

これからどんどん会社が大きくなっていくと思っているので、ポジションは無限にあると思っています。ビジョン、カルチャーフィットして優秀な人がいたら、その人に合ったポジションを用意します。スキルも必要ですが、カルチャーフィットの方が大事だと思っています。

部活のようにメンバーみんなで掘り下げていって、より思いのこもったものをだそうという雰囲気の組織にしていきたいと思っているので、みんなで一緒に楽しめる人が合うのではないでしょうか。「今までいろいろあって大変だったけれど、Voicyにいたこの時間が一番面白かった」といった経験を求めている人がいいなと。あとは、仕事に魂が込められる人、愛情とかこだわりをもって仕事ができる人がいいですね。この事業は文化をつくっているので、愛情をもって仕事をしないと届かないと思います。

あと、やっぱり音の表現に対する問題意識や思いがあればすごく面白い仕事だと思えるはずです。昔ラジオ好きだった人とか、メディアを変えたいという人はすごく楽しめるのではないかと思います。

アマテラス:

“音声×ITで文化を創る”という想いに賛同してくれる人と一緒に働きたいということですね。緒方さん、素敵なお話ありがとうございました!

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

株式会社Voicy

株式会社Voicy
https://corp.voicy.jp/

設立
2016年02月
社員数
4人

《 Mission 》
声で新しい文化を作る
《 事業分野 》
web・アプリ
《 事業内容 》
・世の中に新しい価値を生む
・誰もやらないことをやる
・自分たちが最高に楽しむ
をミッションとし、スタートアップ経験豊富な経営チームと、技術力の高いエンジニアチームが連携。
既存メディアや、大手の企業と連携し、新しいプラットフォーム及びメディアを展開しています。