儲けたいとか有名になりたいということではなく、エンターテイメントとして、言葉が通じなくても世界中の人達に評価してもらえるステージで作品を作りたい

株式会社オフィスクレッシェンド代表取締役社長 長坂信人氏

テレビ・映画・ミュージックビデオ・舞台等の多岐に渡る映像制作やアーティストのプロデュース・マネジメント業務を行っている株式会社オフィスクレッシェンド。

提供してきた制作作品は錚々たる名前が並ぶ。
「金田一少年の事件簿」、「TRICK」、「明日の記憶」、「20世紀少年」、「モテキ」・・・
オフィスクレッシェンドの作品は、幅広い年代の方々の人生に夢、感動、笑いを提供している。そして、現在では国内のみならずアジア等の国外で観られている。

錚々たるヒット作品を生み出している同社の経営者、長坂信人社長にエンターテイメントビジネスの経営について聞いてみた。

長坂信人氏

代表取締役社長
長坂信人氏

1957年、愛知県岡崎市能見町に生まれる。祖父は長坂歯科医院長で、日本社会党の愛知県議会議員を3期(1951年4月 - 1963年4月)務めた長坂信治[1][2]。父親の長坂信は歯科医院を再興し長坂記念病院とした。院長のかたわら民社党の県議を3期(1971年4月 - 1983年4月)務めた[3][4]。

愛知教育大学附属岡崎小学校から名古屋市の東海中学校、東海高等学校へと進学。1973年、東海高校在学中にロサンゼルスに短期留学をする[5]。1976年3月、愛知県立岡崎高等学校卒業[6]。その後、南カリフォルニア大学国際関係学部に進学。大学在学中に当時放送作家だった秋元康と知り合う。1988年頃、秋元がオフ・ブロードウェイでのミュージカルを企画しニューヨークに会社を設立した際「一緒にやらないか」と誘われる。それがきっかけでテレビや映画の制作に関わることとなる[5]。

1989年、秋元が運営する企画制作会社、株式会社ソールドアウトに入社[7]。実質的なプロデューサーとしてのデビュー作はオノ・ヨーコ主演の映画『HOMELESS』(1991年・監督堤幸彦)[5]。

1994年、ソールドアウトを退社。株式会社オフィスクレッシェンドの代表取締役に就任[7]。2011年から2013年まで桐朋学園芸術短期大学の客員教授

株式会社オフィスクレッシェンド

株式会社オフィスクレッシェンド
http://www.crescendo.co.jp/index.html

設立
1987年06月
社員数
21名(正社員) 20名(契約スタッフ) 26名(所属クリエイター) 計67名

《 事業分野 》
マスコミ・メディア
《 事業内容 》
テレビ番組・映画・CF・ミュージックビデオ等映像全般における企画・制作・構成・演出 コンサート・雑誌・書籍・商品のプロデュース及びコーディネイト 作家・演出家・アーティストのプロデュース・マネジメント業務

ロサンゼルスの短期留学でアメリカに驚愕し、『絶対日本を脱出して国際人になってやる』と心に決めました。

アマテラス:

長坂さんがオフィスクレッシェンド(以下クレッシェンド)の社長になるまでの経緯を教えてください。

株式会社オフィスクレッシェンド 代表取締役社長 長坂信人氏(以下敬称略):

私は愛知県岡崎市の出身で、医者の息子でした。高校まで地方のチャンボツ(業界用語で坊ちゃんのこと)で不自由のない状況のいわゆる井の中の蛙でした。東海高校在学中の73年、ロサンゼルスに短期留学したのですが、そこで『アメリカは凄過ぎっ!』と驚愕しました。初めてメジャーリーグのドジャーススタジアムに行った時、中日球場(当時)しか知らない自分にとってスタジアムの雰囲気、広さ、野球のレベルの高さに驚き、初めてマクドナルドのバニラシェイクを飲んだ時『世の中にこんな美味いものがあるのか!』と大感動したり!!そのような思いをして『絶対日本を脱出して国際人になってやる』と心に決めたことを覚えています。

その後、南カリフォルニア大学で学びました。南カリフォルニア大学は映画・映像の学部が有名でジョージルーカスなどを輩出している大学ですが、私は映画関係とは全く関係なく国際関係学部で学びました。そんな折、現地でひょんなきっかけで当時、放送作家や作詞を始めた頃の秋元康さん(現在はAKB48などのプロデューサーとして活躍)と出会いました。この当時、秋元さんはまだ20代でおニャン子クラブなどのヒットを出す前の頃です。
88年頃、秋元さんが大胆にもオフブロードウェイでのミュージカルを企画し、ニューヨークに会社を設立され、一緒にやらないか、と誘われました。ミュージカルはもちろん映像や制作関連の知識がまったくない私がこの世界に足を踏み込んだのは秋元さんからの誘いがきっかけでした。
秋元さんから『プロデューサーかディレクターか放送作家か何がやりたい?』と言われましたが、まったくわからなくて『プロデューサーって何するんですか?』と聞き返したくらいです。

アマテラス:

そこからプロデューサーとしての道を歩み始めたんですね

長坂信人:

そうです。最初に秋元さんから『プロデューサーは出来ない、解らないと言ってはいけないよ。』と言われました。その教えを肝に銘じ、解らないことはブラフでカバーして(笑)プロデューサーとしてスタートを切りました。

ですが、そのオフブロードウェイミュージカルのハードルは高く上手くいきませんでした。それで、今度は短編映画を作ろうという話になり、オノヨーコさんを主演にした映画「Homeless」という作品をニューヨークで制作しました。当時としては新しいHi-Vision映像などを駆使した作品でした。この作品が実質的なプロデューサーとしてのデビュー作となりました。

アマテラス:

日本で活動を始めたのはいつ頃からですか?

長坂信人:

ニューヨークで短編映画を作った後、90年に東京に戻り、秋元さんが運営する制作会社に入社し、プロデューサーとしてのキャリアを積んでいくことになります。ここの会社で今もクレッシェンドで監督として活躍している堤幸彦らと出会いました。

この会社で携わったのは映画やテレビではなく、主にミュージックビデオやライブのプロデュースでした。今でいうPV(プロモーションビデオ)の制作です。

とにかく自由な会社でした。好きなことをやってみれば、という雰囲気でしたし、当時は今のようなコンプライアンスもなかったので良くも悪くもしたい放題でした。その分、自分で考えてやりたいことを提案していかないといけない責任も重かった。携帯電話もない時代ですし、トラブルが起こったら現場で考えて解決策を出していかなければいけない。ここでの経験で自立心を養ったと思います。
プロデューサーの仕事は、経営者と似ていると思います。1つの作品を全部任されますが、その中で品質管理だけでなく収支も管理します。プロデューサーの仕事を通じて経営者としてのマインドも磨かれていったと思います。良い作品を作ればまた声がかかりますので自分の作品が営業手段そのものでもありました。とにかく1つ1つの作品に真剣に取り組みました。

アマテラス:

どのようにミュージックビデオを作成していたのですか?具体的なお話を伺えますか?

長坂信人:

いろいろ制作しましたが、(故)飯島愛さんのPVは印象に残っています。彼女のデビューシングルで、制作費も限定的だったから企画力が全てでした。堤が『自衛官をバックに飯島愛を歌わせたら面白いんじゃないか』と言い出しました。秋元さんの教え通り、とにかく「No」と言わない精神で、そのまま防衛庁に飛び込んで撮影の交渉をしたところあっさりOKがでました(笑)。さっそく静岡の駐屯地に乗り込み、戦車と自衛官をバックに撮影したところ自衛官もテンションがあがりノリノリの作品が出来上がりました。

アマテラス:

長坂さんがクレッシェンドの社長になった背景は?

長坂信人:

いろいろあったのですが、当時の会社で働いていたメンバーで新会社を作ることになり、そこで秋元さんからまた突然、『おまえが社長をやれ』と言われました。経営経験はそれまでないですし、ヒラのプロデューサーしかやってこなかったので本当に驚きました。

今思えば、秋元さんはじめ他のメンバーが私が経営者に向いていると思っていたのかもしれません。会社の資本面でも大株主になり実質的な社長としてオフィスクレッシェンドを経営する立場になりました。36歳でした。この当時、社員は13人程度でした。

アマテラス:

社長就任時から会社を軌道に乗せていくまで大変なことが多くあったと思いますが、どのような壁があり、またそれをどう乗り越えてきたのでしょうか?

長坂信人:

とにかく最初は社長業は何をすればよいのか解りませんでした。当時は会社にブランド力がなく秋元さん頼みの状況でした。そんな折、秋元さんからNHKの15分程度のレギュラー番組の仕事を頂きました。これがなければ今の会社はなかったと思います。

秋元さんに頼らずとも自分や堤などの創設メンバーで自立して会社を運営していけるようにならなければという危機意識がありました。組織として、会社として仕事を取っていけるようになるかが壁だったと思います。
設立2年目、テレビ番組の深夜枠など少しづつ仕事が頂けるようになってきました。
飛躍のきっかけとなる作品は『クイズ赤恥青恥』というレギュラー番組を取ったことでした。古舘伊知郎さんが司会を務めたクイズ番組で、面白い作品を作ろうという思いや企画力が結実しました。

そして会社成長の最大のターニングポイントはドラマ『金田一少年の事件簿』がヒットしたことでした。クレッシェンドのセンスと時代(流行)がマッチしたのはまさにこの作品です。
私や堤はもともとミュージックビデオ(PV)制作に携わり、独特なテンポ感のある演出などを得意としていますが、金田一の演出はミュージックビデオのトーンでやりたいというテレビ局側のニーズがあり、これは我々でしか出来ないと思いました。そしてミュージックビデオで培った堤独特の演出手法が受け大ヒットにつながりました。
この作品をきっかけにしてレギュラー番組を継続的に受注できるようになりました。

アマテラス:

プロデューサーと経営者とでは仕事内容が違いますが、長坂さんはどのようにプロデューサーから『経営者』として変わっていったのでしょうか?

長坂信人:

テレビドラマ『TRICK』に携わったことがきっかけです。この頃が経営者として最も辛かった時期だと思います。プロデューサーは質の良い作品を作ることが重要で、現場寄りの考えになってしまいコストを使う傾向にあります。ですが経営者は、会社を潰さないようにしっかり収支勘定をしなければなりません。私はプロデューサー上がりということもあり現場寄りの考えをもっておりまた経営の素人でした。自分の立ち位置に悩みました。

天候状況も大きくコストに影響しますし、気付いたらコストが膨れ上がっていました。

この作品は運良くヒットしたので資金繰りの危機を逃れましたが、もしヒットしなければ倒産していた可能性すらありました。これを機に、経営者に徹することに決めました。良い作品を作ろうとコストをかけたあまり潰れてしまう制作会社は沢山あります。クレッシェンドも危うく同じ道をたどるところでした。

アマテラス:

プロデューサーとして現場を長く経験してきた長坂さんにとって現場を離れることに葛藤やこだわりはあったのではないでしょうか?

長坂信人:

もうこの時はありませんでした。一歩間違えれば倒産の状況を経験し、会社を存続させるためには経営者に徹する必要があると確信しました。

アマテラス:

エンターテイメントの制作会社社長としてどのようなことに気を付けていますか?

長坂信人:

主に監督やスタッフのケアと資金繰りだと思います。
いい企画を出してヒット作品を出せば次の仕事につながります。ですが作品がヒットするかどうかは出してみるまで分かりません。ヒットするかどうかの確信は何にもないんです。確実にヒットさせるために何をすればよいか、まずは自分達で面白がれることくらいしかありません。
10人の監督がいれば、1つの脚本に対して10通りの作品が出ます。面白いものそうでないものも出てくる。うちの看板監督の堤といえども全部の作品がヒットするわけではない。だから私は監督やメンバーのセンスを心から信じてサポートします。

ただ、信じているだけではなく、監督、スタッフが働きやすい環境作りには力を割いています。例えば、監督が良いパフォーマンスを出せるような相性の良いスタッフを回りにキャスティングするなどのケアはしっかりやっています。

アマテラス:

監督・スタッフのケアを重視しているということですが、もう少し詳細に教えて頂けますか?

長坂信人:

ノルマなどを置くなど厳しい数字管理などはしていません。監督やスタッフの、マインドや健康についてできる限りケアしています。基本的に自分から企画や内容に口出しはしていません。アドバイスを求められる時は別ですが、現場についてはスタッフを信じて任せています。昨年は嬉しい悲鳴ですが7本の映画作品がオーバーラップしながら走っていました。こうなると私が内容、現場に口を出しても混乱しますので、現場からは距離を置き経営者として全体を見てメンバーを信じ、コントロールしていました。

アマテラス:

信じていてもパフォーマンスしない監督やスタッフが出てくることもあるかと思いますがその場合はどうされるのでしょうか?

長坂信人:

この世界は厳しい世界で、ヒットしなくなってくると数字で結果が現れます。自身の感性が視聴者に合わなくなってくるのは自分自身でわかるので自然と諦めがつくのではないでしょうか。

男のジェラシーは怖いといいますが、もともと野心がある人が集まる世界でもあり、こちらから無理に競争心をあおったりはしません。組織としては新しい人も採用して育成も行っています。

私は『あなたの味方です』ということをわざわざ言葉にはしませんが、日常の振る舞い、言動で示すようにしています。会社の成り立ちからして絆の強い組織でもあるので、とやかくいうと逆の効果になると思っています。

最近では新たなヒット作品を出す若い監督も出てきており、人材が育っているのを感じています。

アマテラス:

長坂さんご自身にとってのエンターテイメントとは社会にとってどのような存在ですか?

長坂信人:

社会に対して、というほど大仰なことはいえないですが、、、素敵な仕事をしていると思います。作品ってずっと残るじゃないですか!作品を通じて一時代を作っているというか、自分やクレッシェンドの仲間が躍動している証を残すことになると思っています。

アマテラス:

仕事をしていて楽しい、やりがいを感じることは何ですか?

長坂信人:

藤岡さんが今日最初に言ってくれましたが、「あの作品観ましたよ、あれ良かったです」、と言われるのが何よりも嬉しいですね。ある意味、優越感みたいなところも含めて、この世知辛い状況の中で、作品を通して少しでも喜んでもらえる、夢っていえば大袈裟かもしれないけど、現実から離れて楽しんでもらえるものを作れているということは少しでも人の役に立っていると感じます。

我々のような業種の仕事は経済が冷え込んでくると真っ先に淘汰されるというか、社会にとってなくても良いものなんだけど、それでも人に観てもらったり聴いてもらっていることが生きている証のように思います。

アマテラス:

達成感を感じるのはどのような時でしょうか?

長坂信人:

達成感というのか安堵感というのか分かりませんが、狙い通りにお客さんが反応した時でしょうか。例えば、スクリーンの向こう側で制作者の意図通りにお客さんが泣いたり、笑ったりしてくれるのを見たときに感じます。スクリーンの制作側は観てくれる人を笑わせたり泣かせたりするために地べたを這いつくばって死ぬほどの想いで作っているんですね。思い通りにお客さんが反応してくれると冷静に良かったなと安堵することがあります。スクリーンの観客側と制作側では裏腹なんですよね。

一方で経営者として空しさを感じることもあります。作品の打ち上げ時に呼ばれてスピーチしたりしますが、作品構築のプロセスに関与していないのでスタッフと一緒に汗を流し作ってきた喜びを味わえない寂しさもあります。経営者は孤独と言われますが、そういう部分のことかなと思います。

アマテラス:

クレッシェンドの直近、中長期の経営課題は?

長坂信人:

この仕事は結果が全てで、直近の仕事を1つ1つしっかりやっていかないと先がないんですね。本当は中長期を見据えて取り組みたいのですが、中長期を見据えても目先の作品が当たるか当たらないかも分からない。となると現実的には目の前の作品を1つ1つしっかり制作していくというやり方です。

アマテラス:

クレッシェンドさんは会社の規模、人員を大きくしたいという考えはあるのですか?

長坂信人:

あまりないですね。一時は組織を大きくしたいと考えていたのですが当社の成り立ちや強みは社員の絆や信頼感というところから考えるといたずらに会社規模の拡大を大きくしたり、システマティックに仕事を進めていくのは難しいと考えています。
目の前の仕事を1つ1つしっかり対応して行くということが重要だと思っています。目先の仕事よりも後から大きな仕事が入ってきたからと言って目の前の仕事を捨てて大きな仕事を取るというのは出来ません。1つ1つしっかり仕事をしていくことで信用と信頼を得てここまで来たわけだし、これからも1つ1つ目の前の仕事に集中していくことが大事なことだと思っています。

もちろん大きく儲けたいという気持ちはなくはないのですが、私自身が不器用なので難しいと思います。(笑)

アマテラス:

最後にクレッシェンド、そして長坂さんの夢を教えてください。

長坂信人:

儲けたいとか有名になりたいということではなく、エンターテイメントとして、言葉が通じなくても世界中の人達に評価してもらえるステージで作品を作りたいというのは夢ですね。この仕事をしていると誰もがより多くの人に作ったものを見てもらいたいと思うんですね、それを実現できるのはやはりハリウッドかな?(笑)

個人的な夢でいうと、名古屋に戻って中日ドラゴンズのフロント入りしてドラゴンズを日本一にする事ですかね。絶対あり得ないですけど。(笑)

アマテラス:

長坂さんありがとうございました!

この記事を書いた人

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藤岡 清高

アマテラス代表取締役CEO。iU 情報経営イノベーション大学客員教授。 東京都立大学経済学部卒業後、新卒で住友銀行(現三井住友銀行)に入行。法人営業などに従事した後に退職し、慶應義塾大学大学院経営管理研究科を修了、MBAを取得。 2004年、株式会社ドリームインキュベータに参画し、スタートアップへの投資(ベンチャーキャピタル)、戦略構築、事業立ち上げ、実行支援、経営管理などに携わる。2011年に株式会社アマテラスを創業。 著書:『「一度きりの人生、今の会社で一生働いて終わるのかな?」と迷う人のスタートアップ「転職×副業」術』

株式会社オフィスクレッシェンド

株式会社オフィスクレッシェンド
http://www.crescendo.co.jp/index.html

設立
1987年06月
社員数
21名(正社員) 20名(契約スタッフ) 26名(所属クリエイター) 計67名

《 事業分野 》
マスコミ・メディア
《 事業内容 》
テレビ番組・映画・CF・ミュージックビデオ等映像全般における企画・制作・構成・演出 コンサート・雑誌・書籍・商品のプロデュース及びコーディネイト 作家・演出家・アーティストのプロデュース・マネジメント業務