「ロボットを使うならLinkwiz」そのスタンダードを作っていきます。

リンクウィズ株式会社代表取締役 吹野豪氏

浜松出身で小さい頃からメカ好きだった吹野社長。社会人になってからは3D(3次元)制御システムのソフトウェアエンジニアとしてのキャリアを歩む。
33歳だった2015年3月にリンクウィズ株式会社を創業。
ロボットの「目」となり自律的に対象物体を認識する制御ソフトを提供。産業用ロボットの知能化を推進し、ロボット産業の拡大に貢献するスタートアップです。
産業革新機構から投資を受けて成長を加速中。
そんな吹野社長の生い立ちや起業の背景などをインタビューしました。

吹野豪氏

代表取締役
吹野豪氏

1982年8月13日生まれ。静岡県浜松市出身。
2006年4月 パルステック工業入社、新規事業開発担当
2008年4月 外資系玩具販売会社 入社
2012年6月 株式会社アメリオ 取締役
2015年3月 リンクウィズ株式会社設立、代表取締役就任。

 リンクウィズ株式会社

リンクウィズ株式会社
https://linkwiz.co.jp/

設立
2015年03月
社員数
9人

《 Mission 》
徳をもって事業の基となす。
《 事業分野 》
AI
《 事業内容 》
インテリジェントロボットシステムソフトウェアの開発・販売
・自動ロボットコントロールツール「L-Robot」の開発・販売
https://youtu.be/EhCv97pYSvc 
 ⇒ 詳細についてはリンク http://linkwiz.co.jp/l-robot
・3D形状認識テクノロジーを活用した定量検査ツール「L-Quality」の開発・販売
https://youtu.be/LQhY9bqiaxM
 ⇒ 詳細についてはリンク http://linkwiz.co.jp/l-qualify

浜松で育った吹野氏。子供のころからメカニックに興味。

アマテラス:

吹野さんの家族構成や生い立ちについてお話をいただけますでしょうか?

リンクウィズ株式会社 代表取締役 吹野豪氏(以下敬称略):

家族構成は、父親、母親、祖母、そして弟と妹がいます。
私の生まれは千葉県で、育ちは浜松です。私が5歳くらいの時、料理人だった父親が自分のお店を始めるタイミングで、浜松に引っ越しました。

かなり山奥に住んでいたため、ゲームセンターやコンビニさえない場所で遊びと言えば川で泳ぐ、木に登るという原始的な遊び方だけでした。父親がメカ好きで車やバイクが家に何台かあり、小さい頃から機械に親しんでいました。浜松という土地柄(ヤマハの拠点)、バイクに乗っている人が多い環境でしたね。

中学時代は野球部に所属して部活漬けでした。その時からバイクに乗りたいという気持ちがあったため、高校に入ってアルバイトをし、そのお金ですぐに免許をとりました。

私はあまり真面目な学生ではなく、勉強が好きなタイプではありませんでした。けれども、物理や数学は好きで自分なりに楽しく勉強をしていました。逆に国語や英語のように答えが一つではない教科はあまり好きになれませんでした。大学も理系の学部を専攻しました。

アマテラス:

料理人のお父様は吹野さんにどのような影響を及ぼしたのでしょうか?

吹野豪:

父を見て料理人になろうと思っていた時期もありました。小さい頃から料理に親しんでいましたが仕込み時間の長さなど、料理の大変さを肌で感じていたので、自分でお店を始めてみたいという気持ちはあるものの、無理かもしれないと子供ながらにずっと感じていました。

会社のウェブサイトにはコック姿の写真を使用。
吹野豪:

私の親は、「やりたいことをやれ」というのが基本的な教育方針でした。私が大学生の時に「来月からカナダに行きたい」と相談をしたら、「行きたいなら行ったら良いんじゃないか」と軽く返事をされました。
また、私は高校生の時から一人暮らしをしていました。父親は、「一人で生活することも良いことだ」と私の考えを尊重してくれました。

学生時代を語る吹野社長

英語が理解できないまま、勢いでカナダ留学に挑戦。

アマテラス:

大学時代にカナダに留学されていますね。

吹野豪:

カナダに行った理由は、高校の時に得意ではなかった英語を学ぶためでした。日本の大学で初めてできた友達がマレーシア人とドイツ人で、その2人は2年しか日本に滞在していなかったのにも関わらず、日本語が流暢でした。私はその2人の英語を聞いても、全く理解できず、とにかく海外に行けば英語力向上につながると思い、ノリでカナダに行きました(笑)。

カナダではコミュニティカレッジに編入をしました。当時、英語はできなかったもののプログラムを読むことはできたので、プログラミング会社でバグをつぶしのバイトをしていました。そのような生活をしていくうちに英語が話せるようになり、途中からは、英語を勉強しながら工学系の授業にも出ていました。

カナダには1年と5ヶ月くらいいました。私の祖父が亡くなったという知らせを聞き、中途半端な留学期間ではありましたが、日本に帰ってきました。帰国後は、転学して日本の大学に入りました。

アマテラス:

大学卒業後のお話を聞かせてください。

吹野豪:

大学卒業後は東京のソフトウェア会社に入ったのですが、4カ月で辞めてしまいました。その理由は、もの作りに関われなかったからです。大学でやっていたプログラミングを面白いと感じ、それを社会人になってからもやろうと考えていたのですが、実際はものを扱わないプログラムが世の中にはたくさんあることを知りました。もの作りではないプログラミングは私にとって魅力的ではありませんでした。ソフトウェア会社を辞めた後は、地元浜松で3次元スキャナや光ディスク関連の電機メーカー、パルステック工業に就職しました。

パルステック工業の3次元スキャナイメージ
吹野豪:

浜松に戻った理由は2つあります。
1つは実家が料理屋で両親が忙しいため祖父母に面倒をみてもらうことが多かったですが、カナダ留学時に祖父が亡くなったのがきっかけで帰国しましたが、急なことだったので祖父の葬式に立ち会う事が出来ませんでした。そういうことにもうなりたくないな、ということと、2つ目はモノづくりスタートアップとしては浜松というモノづくり集積地は地方ではありますがチャンスがたくさんあったからです。

3次元設計でのもの作りに携わり、家に帰るのを惜しむほど仕事に没頭。

吹野豪:

その電機メーカー、パルステック工業ではとても充実した1年半でした。入社した時は社員が400名くらいいましたが社長が、「やりたいことがあれば挑戦して良い」というスタンスだったため、入社後早い段階で希望する新規事業部に移動させてもらい、3Dカメラを作る部署でビジネス立ち上げを経験しました。そこでプロダクトを作る、売る、事業を拡大するというサイクルを短期間で経験することができました。
密度の濃い1年半で、家に帰るのももったいないと思うくらい仕事を楽しんでいました。

上司から、「これ以上残業しないで休め」と言われても、出勤簿に残業時間を書かずに働いていました。会社に常に室温25度に保たれている精密測定室があり、そこで仮眠をとって帰らずに仕事をする状態が1年くらい続いていました。
もの作りの品質や安全性に自分が貢献していることに喜びを感じながら働いていましたね。

アマテラス:

400人規模の会社で、入社して間もない新人が希望する仕事を任せてもらえたのはなぜだったのでしょうか?

吹野豪:

特にアピールしたわけではないですがラッキーだったと思います。私が最初に配属された部署がドイツの有名な計測器メーカーと提携交渉をする機会があり、“そういえば、吹野さんは留学していたよね?”となり、出張に同行することになりました。そこでの貢献がきっかけで周りから信頼され、帰国後は自由に働かせてもらえるようになりました。

仕事はとても充実していたのですが、1年半勤めた後に外資系玩具メーカーのに転職しました。

アマテラス:

充実していた職場から転職した背景は?

吹野豪:

その玩具メーカーはパルステック工業のクライアントで、玩具のモデルカーを三次元スキャナを使い開発するプロジェクトリーダーとしてスカウトされたことがきっかけです。

*カー玩具”イメージ
吹野豪:

当時は玩具の作り方が凄く古典的で、例えばミニカーを作る際は車メーカーからCADデータをもらってきて、32分の1に縮小してミニカーを作る方法が一般的でした。しかし本物のミニカーのデザインは横からの目線を意識してデザインされており、上部からの目線は意識されていません。縮小されたミニカーは上部から見られることも考慮した上でデザインをする必要があります。つまり、モディファイ(キャビンを短くしたりガラスがついているミラーを寝かせたりする技術)が必要なのです。「カッコ悪い車」というイメージを持たれてしまうからです。

3次元カメラの技術でそういうことができないかという相談をされ、それは仕事を発注してくれるということですか? と聞くと、吹野さんがうちに来てくれればそれでできるよね、となりそのままその会社に転職することにしました。

世界中の自動車メーカーを回って取材をしたり、そこで手に入れたクルマのCADデータを編集したりしていました。ヨーロッパにある10大メーカーやアメリカのビッグ3(GM、クライスラー、シボレー)に出入りをして著名デザイナーとお話する機会も多く、デザインのエッセンスを聞くことができました。

「エンジニアとしてのプライド」が本当にやりたい仕事へと導く。

アマテラス:

欧米のトップカーメーカーとの仕事は車好きだった吹野さんにとってはたまらなく面白い仕事だったのではないでしょうか?

吹野豪:

たまらなく面白かったです。正確には「最初は面白かった」という言い方が正しいと思います。
「でも、本当に作りたかったのはオモチャじゃないんだよな」という気持ちが自分の中で出てきました。

海外F1チームのエンジニアに取材した時に、実際に言われたわけではないですが、「お前が作っているのは安全性とかスピードとか関係ないオモチャじゃん」という感じがしました。
エンジニアとしてのプライド感が、自分と相手とは違うと感じた瞬間でした。自分は本物のもの作りが好きでやっていたのに、ちょっと自分の趣味に走ってしまったとこの時に気付きました。

4年くらいここで仕事をしてきましたが、やっぱり自分が創りたいのはオモチャではない。自分の中にある本当にやりたいことをやっていない事への焦りと産業への憧れに気が付きました。

3人で起業

吹野豪:

そして、本当に自分がしたい3次元CADを活用したモノづくりに関わりたいと考え転職活動を始め、浜松にある株式会社アメリオの三浦社長にお世話になることになりました。

アメリオはCADのソフトウェアを開発する会社で、三浦社長はいわゆるHY戦争(1980年頃、ホンダとヤマハによるオートバイ市場での覇権争い)の際にヤマハから独立して会社を創った方で、アメリオは日本で初めての大企業からスピンアウトして成功したソフトウェアベンチャー企業と言われていました。
パルステック工業在籍時に仕事でお世話になっていた方で、その後も個人的に御付き合いして、キャリアの相談などにも乗っていただいていました。

アメリオ社に入社し、頻繁にカーメーカーに出入りして一緒にクルマを作り上げていく仕事はまさに望んでいたことでした。

私がパルステック工業在籍時に失敗したプロジェクトがありました。産業用ロボットが自動で物体認識をして自律的に動くためのインテリジェントロボットシステムの開発です。簡単に言えばロボットの「目」になるような機能、判断をする「脳」を持った産業用ロボットを作るという事業です。
そのプロジェクトに取り組んでいたメンバーがアメリオ社の三浦だったのです。プロジェクト失敗時と比べて格段にCPUやハード性能が進化していたので当時のメンバーが再び集まれば実現できるのではないかと思いました。私はまだその事業を諦めきれずにいました。

私は意を決して三浦社長に直訴しました。

吹野:「以前失敗したプロジェクトをアメリオ社内の新規事業としてやりたいです。その時にいた他のメンバーをアメリオで雇用してまたチャレンジさせてください」

三浦社長:「なんで俺がそんなことやらなきゃいけないんだ? お前がやりたいと思ったことはお前が責任を持ってやれよ」

吹野:「責任を持ってやるってどういうことですか?」

三浦社長:「自分で会社作ってやればいいんだよ」

吹野:「では、会社自分で作ってやります」

そういう話になり、展開は早かったです。それから1カ月ぐらいで会社設立を決めました。それが今のLinkwiz です。三浦社長も応援してくれて、私もアメリオの役員として勤めながらも自分の会社も兼任しながらのスタートでした。

そうして、パルステック工業時代にそのプロジェクトに関わったメンバー3人で起業しました。私以外の2人はハードウェアやロボット周りの開発を担当し私はソフトウェアの開発と資金周りや営業が主な役回りです。

リンクウィズ創業時の話で盛り上がる

仕事は技術力よりも人間力。『徳をもって事業の基となす』という社是を作る

アマテラス:

Linkwizを創業し、ゼロから技術開発をされていますが、資金繰りはどう乗り越えてきたのですか?

吹野豪:

最初は創業メンバー3人で資本金700万円を出し合いました。700万円あればなんとかなると思っていたのですが、3ヶ月くらいしてそうでもないことに気づきました。
当時、私には家族が4人いたので、家族を養うことができる最低限の金額を給料にすることにしました。3人とも同じ給料にしていたので人件費だけでも月に100万円ずつ減っていきました。

つまり3ヶ月したら倒産するということなので、まずは生きるための仕事をする方針になりました。3人とも元エンジニアなのでその伝手を頼りに技術デモを見てもらうことや、仕事があればなんでも引き受けますというスタンスで仕事をしていました。最初の取引は、忘れもなしない横浜ゴムさんでした。スタッドレスタイヤの溝を3次元カメラを活用して点検を行い、50万円を貰うことができました。

こうして仕事がもらえたのはメンバーひとりひとりが今まで培ってきた信頼だと思います。会社が変わっても、「この人だったら投げ出すことなく最後までに仕事をしてくれる」という信頼がないと、何もできないことを実感しました。
それを機に『徳をもって事業の基となす』という社是を作りました。結局、仕事は人間力が重要であり、技術力をアピールしても仕事を貰うことはできないということです。
近隣の社長さんに場所を貸していただくなど多くの面で助けてもらったおかげで、会社を運営することができています。(*現在は新社屋に移転しているが、取材当時は浜松の大建産業さんの工場スペースを間借りしていた。)

しかし、受託検査をして食いつなぐも余裕はなく、最初は単月赤字が続きました。初年度の最後の1カ月は、腹をくくってなんでもやろうと決め、結果として単月の営業利益が6,800円の黒字になりました。

たったの6,800円でしたが、1ヶ月でも単月黒字になったことは達成感があり、嬉しかったですね。そのお金で近くのスーパー銭湯でお風呂に入り、ビールを飲みました。これが会社の最初の飲み会でした。

受託検査は自分たちがやりたかったことではなく、自社で開発に取り組むためにはやはりお金が必要でした。地元の信金さんに事業計画を出して、スタートアップ支援の審査に通過することができ、800万円を借り入れ、ロボットや実物のセンサーを400万円くらいで買いました。そうして、受託検査などをしながらキャッシュを繋ぎつつ開発を続け技術のプロトタイプが完成したのは2016年初めくらいです。

アマテラス:

綱渡りのような資金繰りの中で技術開発をしていたわけですが、社長としてどのような心境だったでしょうか?

吹野豪:

辛かったです。私は血圧が低いのですが、その時はあまり眠れず血圧が150くらいでした。この年齢で血圧150は割と危険なレベルです。
「何ヶ月かしたらまたお金がなくなってしまう、そうしたらまた借り入れが必要という負のループに陥ってしまう」と毎晩考え込んでしまい眠れなかったです。奥さんにも心配され、病院に行って薬も飲んでいました。
しかし、プロダクトが完成するとお客さんが来てくれるようになり、デモを見せると、商品の将来性を見込んで購入してもらうこともありました。自社の正規商品の説明が可能になったことは大きかったです。

起業1年目の目標が、単一機能の開発をして結果が出せるものを1つでも作ることでした。デモが完成してからは、お客さんに購入してもらい満足してもらえたので良かったと思います。

産業革新機構 丹下さんとの出会いにより、視座が変わる

アマテラス:

産業革新機構さんがLinkwizさんに投資をされていますが、吹野さんと産業革新機構さんが出会い、投資実行までの背景を教えてもらえますか?

産業革新機構 丹下氏(以下敬称略):

経産省主催の「グローバル起業家等育成プログラム」で20人の起業家が選ばれてシリコンバレーに派遣されるのですが、吹野さんはその一人として、私はメンター兼審査員としてプログラムに同行していました。
初めてシリコンバレーで吹野さんに会った時に、「さっきテスラモーターズのギガファクトリー(世界最大のバッテリー工場)に行って営業してきた」と言っていたのを良く覚えています。

吹野豪:

せっかく国のお金でシリコンバレーに来たので、現地でテスラモーターズの人知りませんか?と聞いて回り、“Linkwizのデモを見てほしい”と直接メールして訪問してきました。こんなチャンスはなかなかないので(笑)。

丹下:

この人は面白いと思いましたね。営業で使った資料を見せてもらったのですが、3次元のフレームワークなどが入っており、本物の技術を見せてもらった感じがしました。派遣されてきた他の社長たちは自分のビジネスプランをブラッシュアップする目的でプログラムに参加していたのですが吹野さんだけは異次元のところいると感じました。審査員としてよりも投資家として吹野さんを見ていました。

吹野豪:

プログラムの最終日にプレゼンして、丹下さんが「そのプランを実現するのにいくら掛かる?」と質問してきたのですが、深く考えずに3人の人件費を考慮した6000万円程度のミニマムな金額を答えところ、「それであれば既存事業の延長線」と言われました。

二人が出会った頃を語る吹野社長(左)と産業革新機構の丹下さん(右)
吹野豪:

それまで会社として大きくなろうという気はなく、「良い会社」のままで「良い技術」を作ることだけを考えていました。想定していた会社規模も10年後ぐらいに10人ぐらいいる会社になればいいなという感じでした。
サラリーマンを辞めて起業したのだからお金のために働くのではなく、自分達のしたいことをしよう。身近の困っている人の悩みを解決するような会社でいいよね。そして結果的に創業メンバー3人が年収2000万円ずつぐらいもらえれば幸せかもね、というような話をしていました。

丹下:

その時、吹野さんに言いました。
「ベンチャーだよね? Linkwizはもっと産業を変えるほどのプラットフォームを作れるんじゃないですか?」
「このままでも吹野さんの会社は儲かって浜松で立派な会社になるでしょう。だけど、本当にそれでいいんですか?ちょっとお互い考えましょうよ」と。

そして、3か月後に会うことにしました。

吹野豪:

それまでは融資と投資の違いもわからなかったですが、丹下さんと会ってから視座が変わりました。
帰国して、メンバー3人で相談しました。

自分達の夢はなんなのか?
本当に今のままで幸せなのか?
投資を受けられるとしたらどうする?

など本当に時間をかけて相談しました。
そして、僕たちが思っている夢を大きく広げたいということになり描くビジョンを実現するのに必要な資金としては結構な金額がかかることもわかり、産業革新機構さんから投資を受けることになりました。(*2016年12月に投資実行)

下請けだけではダメ。「ロボットを使うならLinkwizが無いと 」というスタンダードを作ります。

アマテラス:

投資を受け、会社をより一層成長させていく中で、吹野さんが感じている課題は何ですか?

吹野豪:

今遂行している事業に市場性が有ること、そして求めるユーザーが多いことは実証出来ました。今からはこの製品、価値を普及させていく事が最重要だと考えています。
機能はただ沢山あればいいという事では無く、シンプルに商品の価値が伝えられる機能があり、そのパフォーマンスが素晴らしければユーザーは導入をし易いですし、弊社の商品を取り扱って頂いている代理店様も提案がしやすくなります。その為にはエンジニアリングをマネジメント出来る人材、またビジネスをグローバルに展開出来る人材が足りないというのは大きな課題です。

また、現在は社員が9名なので、それぞれが何を考えているのか分かりますが今後社員が増えていくとそうはならないのでチームビルディングが必要になってくると考えています。

そして、3年後くらいに“ロボットを使うならLinkwiz“というスタンダードを作る意識で取り組むことがこれからの大きな課題だと思っています。

アマテラス:

丹下さんの株主としての視点からLinkwizさんが成長していくための課題は何ですか?

丹下:

BtoB分野で自動車業界などに導入していくビジネスなので信頼性や耐久性を時間をかけてコツコツと証明していかなければいけない。
そういった積み上げが必要なので急速に伸びる、というビジネスモデルでもないんですね。なので、うねりをしっかり作っていく必要があって、それは何かというと、下請けの業者のようになっていくのではなく常に新しいサービスを提供する会社を目指していかないと、これまでの潮流の中に組み込まれてしまいます。

だからその構造自体が課題かもしれないです。でもLinkwizがすぐに解決できることではなくコツコツと視座の高い提案もしつつ、現場の課題解決も怠らずに信用を得ながら仲間を作っていき、物事を動かさなくてはなりません。

大企業を巻き込み「オープンイノベーション」を起こしていく

アマテラス:

産業革新機構が投資することでどのように成長を加速させていくのでしょうか?

丹下:

大企業とのネットワークを持つ強みを活かし、某大手自動車会社や他の大企業と積極的に関わり協業し、オープンイノベーションを起こしていきたいと思っています。個社単体で投資に追われたくはなく、産業波及やもの作りの核心に向かう方向性を大事にしているからです。

顧客の囲い込みは、もの作りのアドバリューにはならない仕組みが多いです。Linkwizの立場であれば、全てをネットワークでつなげることも可能で、全てのロボット制御も可能であるため、生産工程がアドバリューされます。ものを動かすだけの物流には付加価値はなく、生産工程で実際にものを作っていくことが付加価値をつけていきます。付加価値をつけているデータやロボットを全部つなげていくと、インダストリー4.0(情報技術を駆使し、製造業の高度化を目指すドイツ政府主導の戦略的プロジェクト)につながります。

吹野豪:

協業をすることでその自動車会社の課題も解決しますが、私たちの実証実験にも繋がっていきます。丹下さんの話の中にあった“オープンイノベーション”は最近よく聞く言葉ですが、多くは大企業がベンチャー企業に声をかけることが多くあります。しかし、私たちは声をかける側はベンチャー企業であるべきだと思っています。

ベンチャー企業に課題があり、大手企業と協業すればイノベーションを起こすことができるというのが正しい意味でのオープンイノベーションで、声をかける側が逆だと大企業がベンチャー企業の技術を欲しいだけとなってしまいます。

もの作りが大好きなエンジニアは大歓迎。成長する環境は整っています

アマテラス:

今、Linkwizが必要としている人物像を教えていただけますか?

吹野豪:

第一に、ソフトウェアを体系的に評価、修正実行が出来るエンジニアが必要です。もの作りが好きなソフトウェアエンジニアに入って欲しいと思います。ロボットが自分のデスクの横にあり、常にもの作りの匂いを嗅ぎながらソフトウェアを作ることができる、そういうことが好きなエンジニアは大歓迎です。本当にもの作りが好きなエンジニアであれば、自分の専門外や経験のない仕事でも自分で試行錯誤をしながら遂行できると考えています。

また営業やビジネスデベロップメントができる人が社内にいないため、その領域が得意な方も必要です。今は国内の販売に制限をしていますが、問い合わせは海外からも多く、2018年からは海外展開も始まります。そういった中で地域に固執せずビジネス展開を考えられる方も募集をしています。

私達が戦っているフィールドは、市況よし、顧客よしという大変恵まれた環境ですが「ヒトとロボットの違い」という大きな問題は残っています。この問題を解決出来れば世界的にゲームチェンジ出来る可能性をもっています。常に大きな目標を持ちながら小さな事から一つ一つ解決出来、モノづくりの世界を一緒に変える仲間として一緒に働ければ嬉しいです。

アマテラス:

Linkwizさんで働く魅力を教えてください。

吹野豪:

「一生懸命もの作りに専念できる環境」と「ワークライフバランス」は整っていると思います。
浜松にある会社ですので近くに海や山も多く、自然に囲まれています。近くに繁華街もあり、アウトドアで遊ぶこともできます。そういう環境の中にいるからこそ、もの作りに専念することが可能になり、また、仕事以外の生活環境も良いと思います。都会と違って満員電車通勤による疲労もありません。社風自体も硬くなく、「しっかり楽しく自分のやりたいことをやりましょう」といったものです。アフター5に自分の趣味を充実させることもできます。

また、投資頂いて「お客様も従業員もモノづくりを精一杯楽しめる場所」をコンセプトにウェアハウスを改造したオフィスを新しく作りました。たとえ打ち合わせなどの予定が無くても立ち寄りたい場所をコンセプトに、使っていないデスクは一般の方、大学生などに開放もしています。

エントランス外観
オープンスペースを活用したオフィス空間
工作機、測定器などは近隣の大企業の遊休資産を譲り受けたものも多い。
会社のソファの裏には吹野社長のサーフボードなどが並ぶ。
吹野豪:

また、浜松の特徴として、モノづくり企業のクラスター地域なので、モノづくりに関してはだいたいのことは浜松の中で完結するくらい、多くの技術が集積しています。モノづくりに関して地域内で切磋琢磨して成長できる環境があります。

アマテラス:

素敵なお話をありがとうございました。

外国人社員も多く在籍している。2017年8月現在

この記事を書いた人

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

 リンクウィズ株式会社

リンクウィズ株式会社
https://linkwiz.co.jp/

設立
2015年03月
社員数
9人

《 Mission 》
徳をもって事業の基となす。
《 事業分野 》
AI
《 事業内容 》
インテリジェントロボットシステムソフトウェアの開発・販売
・自動ロボットコントロールツール「L-Robot」の開発・販売
https://youtu.be/EhCv97pYSvc 
 ⇒ 詳細についてはリンク http://linkwiz.co.jp/l-robot
・3D形状認識テクノロジーを活用した定量検査ツール「L-Quality」の開発・販売
https://youtu.be/LQhY9bqiaxM
 ⇒ 詳細についてはリンク http://linkwiz.co.jp/l-qualify