Vol.81

本気で世界を変えよう!社会の変革と利益追求の両立に一切の妥協はしません

株式会社アスラボ
代表取締役社長 片岡 義隆氏
寄稿者:岩崎 恭子
横丁シャッター商店街をよみがえらせ街全体を活性する「エリア・イノベーション事業」で成果を上げているアスラボ。
料理人は低リスクで横丁に出店することができ、成功に向けた支援を受けられる。
地域の人が主体的に取り組むことで、継続的に地方経済を循環することを目指している。

エリア・イノベーション事業を主軸に「社会をよくするため」の様々な事業を展開する同社を率いる片岡社長の生い立ちや、起業に至る背景、求める人材像について語って頂きました。
代表取締役社長
片岡 義隆氏
新卒で、不動産鑑定士試験に合格、谷澤総合鑑定所本社鑑定部に入社。不動産鑑定評価、バリュエーションの基礎を学ぶ。
2004年米系不動産投資会社のAIGグローバル・リアルエステート・アジアパシフィック・インク(現インベスコアセットマネジメント)不動産投資部入社。インベストメントマネージャーとして商業施設、オフィス、レジデンスのほか、開発、リノベーション等多岐にわたる領域において2000億以上の投資を担当。
08年米系ヘッジファンドを経て起業。
2010年株式会社アスラボを設立、代表取締役就任。
株式会社アスラボ
https://asulabo.jp/
設立
2010年6月
社員数
17名
《 Mission 》
「イノベーションによって、理想の明日を創る」現代の社会は、多様な選択肢とそれを可能にする仕組みが求められています。こうした時代を切り拓き、社会をより良きものへと変革していく。私たちは理想の社会像を事業を通じて知の力で実現します。
《 事業分野 》
web・アプリ
《 事業内容 》
・コレクティブレジデンスをはじめとする各種シェアハウスの企画・運営
・新しいライフスタイルを提案するリゾート施設等の企画・運営
・エリア・イノベーション事業
・法人向け不動産活用の企画・運営
この企業の募集情報を見る

「一番になることこそ偉い」商売人の父親の価値観の元で育った

アマテラス:片岡さんの生い立ちについて教えてください。

片岡社長(以下、片岡):
家族構成は、父、母、姉の4人家族です。不動産業を営んでいる父は、戦前生まれの商売人で一番になること、金儲けすることが偉いという価値観の持ち主でした。「とにかく一番になるんだ」と幼少期から常に言われて育ちました。

明確に記憶に残っているのが、全国優勝をするような大阪の少年野球チームに入っていたのですが、私はレギュラーになれるかなれないかの選手でした。父は私が1番ではないことが気に入らなく、早朝に叩き起こされて、それこそ星飛雄馬ではないですが、毎朝タイヤを引っ張って走らされていました。

努力の甲斐もあり5年生でなんとかレギュラーになれました。けれど父親から「もう辞めろ、お前は1番になれない」と言われ、あっさりと辞めさせられました。

「所詮少年野球なんて、4番でピッチャーじゃないやつはプロにはなれない。プロになれないなら意味がないから、もう辞めろ」というのが父の理論でした。そこから急に勉強しろと言われ、5年生の冬から受験勉強を始めました。勉強をしてみると意外とすんなりできて、6年生の夏頃には塾で一番上の特進クラスに入っていました。

メンタルが弱く、実力を出し切れなかった中学受験

片岡:
そのまま順調に中学受験を迎えるのですが、そこで人生最初の躓きを経験しました。
成績も良かったので自信を持って迎えた中学受験。結果、実力的に十分受かるレベルの本命の学校に落ち、肩慣らしで受けた学校も補欠合格、大失敗をしました。

そこが私の最初の大きな挫折です。多分メンタルが弱かった。そこで岡山にある中高一貫の学校に行くことにしました。結果はその学校に行って良かったと思っています。

私の人生観として強くあるのが、「ベストを尽くしたら、結果は人生においてそれがベスト」という考えです。人事を尽くして天命を待つではないけれど、自分の人生50年100年を考えた時に、ベストさえ尽くしていれば神様が一番正しい方向を決めてくれると思っています。

「折れずに頑張ることの大切さ」を教えてくれた柔道

アマテラス:中高生時代はどのような学生生活を送られましたか。柔道に没頭されていたようですね。

片岡:
柔道との出会いはとても大きかったです。柔道部に入部した当時の私は、礼儀も知らないし体も弱い。よく朝礼で倒れる体の弱い生徒がいますが、それがまさしく私でした。

高校2年生までずっと1回戦負けをしていましたが、継続して努力が実り3年生でいきなり強くなり中国大会にも出場し最後は結果をしっかりと出しました。結果がなかなか出なかった時も、毎日練習とは別に腕立て伏せを300回位ずっと続けていました。

それが最終的に結果に結びついたと思っています。そこで「折れずに頑張る大切さ」を学んだことは私の人生にとって、とても大きなことです。柔道を通してメンタル・身体が強くなり、粘り強くもなりました。

「自分の中で納得感がないこと」は一切しない

片岡:
最難関ではない進学校にありがちだと思いますが、自分の学校の教育理念は曖昧で「勉強をする事がいいこと、東大へ行くことがいい事」という風潮がありました。私はそれを納得できませんでした。

何のために勉強するかについて納得感がなかったので「もう一切勉強はしない」そう決めました。高校2年生位からずっと成績はビリにいて、退学の危機にもさらされていました。そうなれば勉強をして成績を上げておこうと思うのが普通ですが、私はそれを一切しませんでした。

退学の危機になろうが、絶対自分の感情は曲げないという意志がそこで強く形作られたことが原体験としてあります。
柔道で鍛えた精神力・肉体的な強さ、自分の価値観に合わないことは絶対に譲らない頑固とも言える精神力は岡山で過ごした中高生時代に形成されました。
それが今、経営者としての基礎になっていると思っています。

「逃げるは恥」生き様を教えてくれた柔道の師

片岡:
柔道の先生の教えが自分に大きな影響をもたらしていると思います。人としての正しさやあるべき姿を教えてくれました。後輩に何かをさせるとか、いじめとかを絶対に許さない先生で、正々堂々男らしく生きろと、常日頃言われていました。

試合でうまく逃げて勝った時にはすごく怒られ、逆に正々堂々と向かった結果一本投げされて負けた時には全く怒られませんでした。先生の背中や日々の言動を見ていて、男の生き様というか人の生き様みたいなのを多く学びました。だから今でも一番尊敬していて、一番感謝している先生です。勉強をしない自分にも理解を示してくれたのは柔道の先生でした。

「お金儲けだけでは満たされない心」そう気付き始めた大学時代

アマテラス:その後大学に進学されますが、大学時代はどのように過ごされましたか。

片岡:
大学には何のいい思い出もありません。もう1度行くかと聞かれたら、絶対に行きません(笑)。大学生で自由になり強制をされることがなくなった時、初めて自分の人生を考えました。考えた結果、まずはお金を稼ぐことにしました。しかもやるからには徹底的に稼ごうと思いました。

そこで運送業界で配達のアルバイトを始め、繁忙期には休みなく働き、月100万円位稼いでいました。親も商売人だったので「勉強をしないならもう好きにさせよう。勝手に自分で稼げ」と放任されていました。お金を稼いでも使い道がわからず贅沢といっても焼き肉くらいしかない。そうすると学生なりに「あんまりお金を持っていても意味ないな。」「稼いでもあまり楽しくない。」お金と幸せは比例しないのではないかと思い始めました。

つまり欲しい物は全部手に入るけど、本質的な満足感には繋がらない。最初は面白いけど何年か経ってくると、それが本質的な幸せではない事に気付き、そこから人生を悩み始め、「人の幸せって何なのだろう」そういう深いところに入っていきました。

大学時代は自分がこれからどのように生きていくのかと模索が続き、本当に苦しくてアル中みたいにお酒を飲んで日々考えていました。朝まで考えても眠れなく、夜からまたバイト行くような生活を延々と繰り返していました。

最終的に出た答えが「結局人に感謝されないと、本質的に人は幸せになれないのではないか。そこを突き詰めていくと、世界平和に自分が貢献できていないと究極の幸せを感じられないのではないか。」ということでした。

例えば、お金が100兆円あったとしても使い切れません。けれど人に感謝をされる事は単純に嬉しいし、それが100兆円分あったらとんでもなく嬉しい。感謝されることが多ければ多いほど、人は嬉しくなる。お金を否定しているわけではないし経営者として当然必要なのですが、お金儲けだけではどこか嬉しさのカーブが低減する事を、学生時代に身をもって感じました。

お金を得るだけでは心は満たされない。やはり究極の幸せは世界平和に貢献する事なのではないかという思いが強くなっていきました。

当時を振り返る片岡社長(左)とアマテラス(藤岡)

「人が進まない道こそチャンス」その思いで不動産業界へ

アマテラス:大学卒業後、不動産業界に入られましたが、その背景を教えて下さい。

片岡:
私が就職する時期にはバブルが崩壊して、不動産会社衰退論みたいなことが騒がれていました。ただ不動産は人が生活をする上での必要インフラです。住む場所もいるし、働く場所もいる。輸入もできないし、絶対産業としてなくならない。みんなが批判しまくって不動産業界に行かないんだったら、逆に「ここはチャンスだ、絶対に面白い。」そう思い、不動産の道に進むことに決めました。

通っていた大学はいわゆる有名大学ではなかったので、普通に就職活動をしてもいわゆる人気企業の内定は取れないと考え、不動産鑑定士の資格を取ることにしました。大学在学中の5年の春から勉強を始め、卒業後すぐに資格を取りました。勉強はやればできると思っていたので、資格は簡単に取ることができました。

入社面接も正攻法で行けば有名大学のライバルに絶対に勝てないと思い、ここは世界平和について語るしかないなと(笑)。不動産鑑定業界における民間最大手の谷澤総合鑑定所を受けたのですが、世界平和の話が創業メンバーに受けて内定を勝ち取ることができました。

谷澤では、大阪オフィスに配属され徹底的にビジネスの基礎を叩き込まれました。もうめちゃめちゃ厳しかったです。新卒で何もわからない中、いきなり資料一式が入った封筒を渡されて一言「これやっといて」と。最初は「は?シュレッダーですか?」みたいな状態でした。気合と根性で乗り切りました。

自分で言うのもなんですが猛烈に頑張ったので、徐々に「あいつ、頑張っているよね」と、まわりが認めてくれるようになりました。

衝撃的を受けた同期の宇宙語

片岡:
結局、谷澤総合鑑定所は1年半で辞めました。

東京勤務の谷澤の同期と話しをした際に「DCF(Discounted Cash Flow)がなんとかかんとか・・・。」何を言っているのかわからず衝撃を受けました。大阪の鑑定業界は昭和時代から何も変わってない一方、同期はDCFとか訳の分からない宇宙人みたいなこと言っている。このまま大阪にいたらまずい、絶対に今のタイミングで環境を変えなければいけないと思い。東京に行くことを決めました。

アマテラス:その後、東京の大手不動産会社に入りますね。

片岡:
そうです。不動産鑑定の世界は当時まだ師弟関係の文化が残っており、先輩について教わる門下生のような感じでした。それ故に、同じ会社にいたまま東京へ行きたいとは言い辛く、とにかく師匠に迷惑かからずに東京に出る方法として、その会社に飛び込みました。大手かどうかということは、別にどうでもよかったです。

谷澤での1年半はかなり頑張ったこともありましたが普通の5年分の勤務に相当するくらいの密度で充実していて、基礎もしっかりと叩きこまれていたので、大手に行っても楽勝でした。部長だろうが何だろうが関係なく自分の意見はしっかり発言できました。

そこから2年くらいは外資系のファンドのデューデリジェンスばかりをしていていました。何となく感覚をつかんできたタイミングで、キャリアアップをしようと米系不動産投資会社のAIGグローバル・リアルエステイト(現インベストアセットメント)に転職をしました。

起業の為に必要な事は必然的に身についていた

アマテラス:大阪からスタートし、東京へ。そして外資系不動産投資会社へとステップアップですね。

片岡:
米系不動産投資会社AIGグローバル・リアルエステイトは結果的には自分の肌にあったすごくいい会社でした。不動産鑑定士の業務範囲は広く、民法、会計、バリュエーションの勉強をしていたため、すんなりキャッチアップができました。基本的に投資の一連の流れである、アクイジション・バリエーション・契約書チェック・会計に関する一通りの基礎知識があるので、最初の案件こそ手こずりましたがすぐに慣れました。

そういう意味でAIGはとてもいい会社で、案件をファインディングするところから関わりました。大きい会社は部署が分かれていて仕事が細分化されていますが、AIGは分かれていなくて全行程を一人で行っていました。いわゆるソーシングからクロージングまで全部やる。だから起業して自分でやる際には、全てがもう経験済みでした。先ほども言ったように「ベストを尽くしていれば、過程の選択は神様が導いてくれる。」当時の私にとってはベストなキャリア選択でした。

自らの本心を問うため飛び込んだヘッジファンド

アマテラス:その後、米系ヘッジファンドへ転職されたいきさつを教えて下さい。

片岡:
不動産投資に携わり4年程経って仕事に慣れてきた頃、「一体自分は世の中をこれで良くしているのか。世界平和に貢献しているのか。」との迷いが生じてきました。

社会を良くしたいという思いが強いのか、それともある程度会社に慣れてきたから刺激を求めてメンタルが弱くなっているだけなのか。自分の中で何が重要なのかを確かめるべく、金儲けをした人が勝ちという価値感の強い米系の大手ヘッジファンドに転職することにしました。

結果的にはそのような価値観が合わずすぐにヘッジファンドは辞めました。

ようやく結びついた、本当にやりたいこととお金儲け

アマテラス:ヘッジファンドを辞めた後、2008年に起業されますが、起業に至った背景を教えて下さい。起業当時、リーマンショックのタイミングですね。

片岡:
当時はまさにリーマンショックの最中でした(笑)

創業当初の2年程度は、声をかけてくれた会社のコンサルティングをしていました。リーマンショックで世の中は不景気でしたがしっかりと成果を出していたので、かなりの額の報酬をもらっていました。本格的に今の事業を始める際にも、その会社が資金を貸してくれ、おかげで銀行の借り入れもなく、事業のスタートを切ることが出来ました。

アマテラス:起業時に資金を用立ててくれる人がいるというのは片岡さんが信用されていた証ですね。

片岡:
創業時の苦労より、5年程経った頃に本当の苦労を味わいました。

一言で世の中変えると言っても、一体何をすればいいのかをずっと悩んでいました。結局自分の得意分野は不動産投資なので、シェアハウス・元麻布農園などの様々な事業を運営する一方、より良い社会をつくる為の不動産投資をして、利益をしっかりと出さなければいけないと思っていました。

考えていく中でたどり着いたのが2014年「シャッター商店街の再生を通して地域を応援しよう」ということでした。地域を良くしたい、地域創生に携わりたい、その方向に一回舵を切ろうという決断がその頃できました。世の中を変えていきたいという自分の本心と、お金儲けもしっかりとするということがようやく結びついてきました。

地元の若者で賑わいをみせる甲府ぐるめ横丁
2017年9月にオープンした宮崎ひなた横丁

「黒字倒産」そんなことは教わっていません

片岡:
資金繰りの面では、実はうちは3回くらい黒字倒産をしかけています。

不動産投資の一番辛いところは、例えば1億円の土地を買ったとしたら数千万、建築でも多額の着手金がキャッシュで出ていきます。特に創業当時は当然信用もなくローンも多く組めません。人件費もかかるし会社の維持費もかかる。黒字なのにお金が手元にない。「あれ、そんなの教えてもらってないし(笑)」と思いました。

「うちキャッシュ無いじゃん。来月給料払えないじゃん。」そういうレベルにまでいきました。よく通帳が後10万円しかないとか聞きますが、そんなの私からしたら恵まれている話で「来月2000万円足りない。このままでは倒産してしまう。」というところまできていました。「黒字倒産」を身を持って学んだのは、5年程前の37歳の頃でした。

創業以来ずっと黒字だったのに。要はキャッシュフローのマネジメントがきちんと出来ていませんでした。今思えば、あほですよね(笑)

熱いお話しの中でも、常にユーモア溢れる語り口の片岡氏

アマテラス:社長は経理のプロではないので、ありがちな話ですね。それをどう乗り越えましたか。

片岡:
この業界のおもしろいところは、人の信用で成り立っているところがあります。同業の仲間や先輩経営者に「資金が必要です」というと、「お前とこの物件を担保に1億円貸すよ。」と助けてくれる人がいたおかげで切り抜けてきました。先輩達も大変な思いをしてきているので事情をわかってくれているのだと思います。金利はかなり高かったですが(笑)
ただ、借りたお金をしっかり返せるかどうか不安で眠れない日々が続きました。

起業家教育が必要という人がいますが、本当は黒字倒産とかそっちを教えるべきだと。
「確実に倒産する10個のパターン」みたいなことを教えた方が絶対に為になる(笑)。

不動産投資の強みを活かして事業を成長させていく

アマテラス:アスラボさんの事業成長のイメージを教えてください。

片岡:
今まではベンチャー企業で創業オーナーというのもあり、感覚で経営を行っているところがありました。マーケティングをした結果どうするとかではなく「社会的にここにこういうものが必要なんじゃないか、あったほうがいいんじゃないか。」そこから事業をつくることが多く、その度にマネタイズの壁が大きく立ちはだかります。

また甲府の横丁事業を始める前、渋谷・恵比寿でレストラン経営もやっていました。レストラン事業でもかなりの額のキャッシュが必要でしたし、多額の赤字を出していました。今はエリア・イノベーション事業に集中する為に撤退をしています。

少しずつでも儲からないと事業としての存続は難しい。いろいろと考える中で、不動産投資を絡めればどのような事業もできるという結論に至りました。不動産投資は私の十八番でもありますし、冒頭言ったように不動産は全てのインフラです。例えば、教育をするにも校舎が必要、農業をするにしても農地が必要で、そこには絶対不動産が絡みます。地域創生も含め、全ての社会生活において不動産は必要不可欠な存在なので、そこに事業を上手く絡めていけばどのようなこともできるという事が私の考えです。

そこにテクノロジーをのせていくことが、今後のアスラボにとって大きな課題になると思っています。

本気で取り組むことで地元の人の信用を勝ち取っていく

アマテラス:地域創生のビジネスでは地元の人から信用を得る事は大変だと想像しますが。

片岡:
エリア・イノベーション事業ではとにかく「俺たちは目立ってはいけない。あくまで黒子であり、主役は地元の人達だ。」という考え方を徹底させました。

始めは「お前ら誰だ?若いし、本当にやれるのか?」などと言われていました。でもきちんとやることをやっていれば誰かが見ていてくれるし、1000人が興味なくても、1人でも興味を持ってくれた人が手伝ってくれる。それで乗り越えていきました。

また次の3つのことを大切にしました。
1、 自分たちで地域の物件を買ってきちんとリスク取る。
2、 社員が現地に住み、本気で地元の人達と向き合う。
3、 補助金を一切あてにしない。
(補助金を否定している訳ではありません。よそ者が補助金の話をすると「結局お前ら補助金目当てで来たのだろう」と思われて信用されない。)

自分達でお金を出して買うし、社員も出張ベースではなく移住し、補助金には頼らない。そうなった時、我々の本気度が伝わり、地元の人からの見方も大きく変わっていきました。

信じて支えてくれた仲間がいたからこそ乗り超えられた

アマテラス:約20名の社員がいますが仲間集めというところでは、どのような苦労をされてきましたか?

片岡:
一番初めに事業に参画してくれた社員とは、もう十何年の付き合いです。一番しんどい資金繰りのところから一緒に乗り越えてきていて、彼の存在はすごく大きいです。いなかったらもう経営を辞めていたかもしれない。

それこそ毎日死にたかった。何のためにやっているのかもよくわからないし、資金繰りは大変だし、金策ばっかりしなくてはいけない。そんな大変な中社員も次々と辞めていく。今思えば全部自分が悪いのですが、当時はそう思える余裕もないし、何かを責めたくなる精神状態でした。そんな時もずっと信じて一緒にやってくれる仲間がいたから、乗り越えられました。

成長をしていく中で多くの社員が辞めていった原因として上場を目指したところが大きいと思います。上場を目指すとなると、優秀な人材が必要です。
創業前からずっと支えてくれる社員と、AIG時代から一緒に仕事をしている事務の人が2人いて組織としては筋が通っていて会社が崩壊することはない。そう思えた時に、妥協せず優秀な人材を積極採用しようと決めました。その中で、実力主義を徹底してポジションの入れ替えなどを行った結果、しんどく感じてしまったのかもしれません。

採用の際には、とにかく理念というか何のためにこの会社があって、何をしていきたいのかということをしっかりと語るようにしています。
時代の流れもあり、「お金儲けは大事だし、ビジネスマンとしての成長も大事。でも社会の役に立つことも大事。」と考える人が増えてきていると感じています。仕事を通じてマズローの法則でいう社会的欲求や尊厳欲求を満たした人が次のステージを求めています。そのような人達がアスラボに興味を持ってくれ、理念に賛同してくれる。現在は優秀な社員を採用しやすい環境になっています。

人が思いつかないものを発想しそれを形にしていける、そんな人に来てほしい

アマテラス:アスラボさんが求めている人物像を教えて下さい。

片岡:
何かを乗り越えてきている人、後はどのような時にも前向き・ポジティブな人です。大切なのは分析をすることではなく、未来を見る想像力。イノベーションを起こせるか、クリエイティブな感覚を持っているかです。

アスラボは理想の社会を作ろうとしているわけだから、過去の延長線上というより、人が思いつかないものを発想しそれをきちんと形にしていける、そのような人物を必要としています。

「こういうのがあったらいいよね。」と言える人は大勢います。私はいつも社員に「アイディアにはあんまり意味ない。アイディアをちゃんとアクションプランに落とせることに意味がある。」と言っています。例えばLEDを作れるような天才はほぼいません。そこを目指しているわけではなく、普通の人が考えつくことをいかに実務に落としこむか、そこが大切です。それこそまさに今アスラボがやっていることです。

今アスラボに参画する魅力

アマテラス:今のアスラボに参画する魅力を教えて下さい。

片岡:
今社員は20人弱ですが、皆相当きちんと仕事をしてきていて、とても優秀です。本当に優秀な仲間と仕事ができ、その中で成長ができる事だと思います。

どんなに優秀で人柄の良い人でもすぐに採用はせず、お互いの為、その人がきちんと活躍できるポジションがあるかどうかをしっかりと考えてから採用をしています。

ベンチャー企業は、言い方は悪いかもしれませんが、頭を下げて仕事をしてはいけないと思っています。決して謙虚でないという意味ではなく、頭を下げてお願いするビジネススタイルだと、下請けになってしまい成長はしません。当然謙虚だし、頭も下げるし丁寧ではありますが、下請けにはならない。私達はそう決めています。その立ち位置は大分作れてきていると思います。

また地方創生ビジネスで成功している会社は実際には少なく、その中でも我々にしかできない強みを持っています。現在多くの会社から様々なオファーがあり「地方でいい事業を展開しています。だから一緒にやりましょう。」という話がしっかりとできるようになってきています。そのような環境の中、会社を自分の力で成長させる感覚が味わえると思います。

これはいい意味でも悪い意味でもありますが、まだしっかりと組織が形作られていない部分があるので、本当に優秀であれば、当然社内での声も大きくなるし「こういう会社にしたい。こういう事業をしたい。」といったように、自分が中心メンバーになって会社を作っていけると思います。

アマテラス:素敵なお話をありがとうございました。

「社会をより良い方向に変えていく」ため日々奮闘するアスラボの皆さん
寄稿者:岩崎 恭子
株式会社アスラボ
https://asulabo.jp/
設立
2010年6月
社員数
17名
《 Mission 》
「イノベーションによって、理想の明日を創る」現代の社会は、多様な選択肢とそれを可能にする仕組みが求められています。こうした時代を切り拓き、社会をより良きものへと変革していく。私たちは理想の社会像を事業を通じて知の力で実現します。
《 事業分野 》
web・アプリ
《 事業内容 》
・コレクティブレジデンスをはじめとする各種シェアハウスの企画・運営
・新しいライフスタイルを提案するリゾート施設等の企画・運営
・エリア・イノベーション事業
・法人向け不動産活用の企画・運営
この企業の募集情報を見る

RELATED POST