CEO INTERVIEWS

起業家インタビュー

Vol.58
2016年11月02日
株式会社ホープ | 代表取締役社長  時津 孝康 氏

株式会社ホープ
代表取締役社長 時津 孝康 氏

ベンチャー企業には大してお金もないし、大して能力もない。あるのは事業にかける熱量だけだ

はじめに

「自治体に特化した総合サービス」という新しいビジネスを開拓した株式会社ホープの時津社長。創業当時は1年8ヶ月間受注ゼロといった困難もありましたが、それらを乗り越え、現在は多くの自治体に対してサービスを提供しています。
そんな時津社長に学生時代のエピソードやホープ創業の経緯、今後の事業展開について伺ってきました。

株式会社ホープ
代表取締役社長 時津 孝康 氏
(ときつ たかやす)

【経営者略歴】
福岡県朝倉郡夜須町生まれ。2005年福岡大学卒業と同時に有限会社ホープ・キャピタル(現:株式会社ホープ)を設立。「自治体を通じて人々に新たな価値を提供し、会社及び従業員の成長を追求する」という企業理念のもと、有料広告事業を中心に自治体の財源確保をはかる新たなビジネスモデルを確立している。

  • MISSION

    自治体を通じて人々に新たな価値を提供し、会社及び従業員の成長を追求する

  • 事業分野

    コンサルティング

  • 事業内容

    Public Private Sharing(PPS)事業

  • 設立

    2005年2月

  • 社員数

    87名 ※パート含む従業員数は100名(2016年10月時点)

  • 企業URL

    http://www.zaigenkakuho.com/

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起業家紹介

時津 孝康 氏

1日もサボらずに続けた少年野球。その努力を母に認められたことが成功体験に

株式会社アマテラス:子供の頃の時津さんについてお話し頂けますか?

時津:特徴的なのは、野球を約4年間やっていたのですが、1日もサボらずに続けていました。私は根が真面目でして、サボるという選択肢が自分の人生の中でありませんでした。

小学校5、6年の時に強く記憶に残っている出来事があります。1日も練習を休まない私とは対照的に、弟はしょっちゅう練習をサボっていたのですが、大会で弟がレギュラーに選ばれて私が選ばれなかったのです。悔しくて悲しくていたたまれない気持ちになりました。
引退した時、母に「あなたは1日も野球をサボったりしなかった。それは本当に偉いことだよ」と褒められたことを覚えています。それがすごく嬉しく、「俺は下手だし器用じゃないけど、こうやって努力を重ねていけば誰かが見てくれる」と思えるようになり、1つの成功体験となりました。

中高でも水泳やテニスをやりましたが、基本的にサボったことがありません。勉強でもスポーツでも何をやらせてもうまい人はいると思いますが、私はそのようなタイプではないため、人よりも頑張らないといけないと自分に言い聞かせて生きています。

株式会社アマテラス:小さい頃から努力家だったわけですね。

時津:そうですね。地味だったと思いますが、努力家でした。
中学校1年生からは水泳を始めました。覚えているエピソードがありまして、私の地元では2月に寒中水泳が恒例行事としてあり、真冬のプールを25メートル泳ぎました。先輩たちは来ず、結局1年生だけでやることになったのですが、「逃げたら負けだ」と思って意地で行きました。

学生時代を語る時津社長

「俺の居場所はここじゃない」と思って生きてきた学生時代

時津:ただ、中学校時代の私は周囲に流されるところがありました。
中学校3年生の時、私たちのグループ20名くらいで問題を起こしたことがあります。学校に全員の親が呼び出されましたが、「何でこんなことで呼ばれないといけないの?」と私の親以外全員が怒っていました。しかし、その中で私の父は、「今回の件に関しては、親である私どもが全責任を負うべきだと思う。息子たちがやったことに対する補償は全て私がやりたいと思う。本当にご迷惑をお掛けしました」と最初に謝っていました。
それを見た時に「俺、こんなことしていたら変な人生になる」と思い、その翌日から、グループと少し距離を置きました。そのために私は孤立しました。しかし、「このままではダメになる」という思いがあったので、最後までそのグループには戻りませんでした。「環境を変える」ということを中学生の時に学びました

株式会社アマテラス:その事件がたまたま引き金になっただけで、元々そのように思う要因があったのではないでしょうか?

時津:実は元々ありました。小学生の時に仲の良い男の子がいて、その子も同じ中学校に行くものだと思っていたら、私立の中学校に行きました。そこに行くことはかなり珍しいことでした。それが羨ましく、親にお願いをして塾に入ったのですが、その日が中学受験の最終日だったのです(笑)。
田舎者過ぎて世の流れとかを全く理解していませんでした。その友達と同じような環境で育ったのにも関わらず、彼は私立中学校に行き、私は公立中学校に行ったという事実がすごく嫌でした。そのこともあり、「今の中学校は自分の居場所ではない」と思っていたところがありました。

小さい時から目標設定を常にして、そこに追いつく、もしくはそこをライバル視していました。小学校の時はその友達をモデルケースとして立てていた訳です。モデルケースと自分とギャップを埋めることは幼少の頃からやっていました。

株式会社アマテラス:高校時代はいかがでしたか?

時津:私立の高校に入ろうと思い受験をしたのですが、失敗しました。何とか入ることのできたのは工業高校でした。ユニークな学校で、工業高校でも特進学科があり、私は特進で受かりました。特進学科だったためクラスは違いましたが、中学で距離を置いた友達と同じ高校に通うことになってしまいました。正直、学校に通うのが辛かったですが、20人くらいしかいない特進クラスの狭い中で3年間通いました。

部活動も全くしていませんでした。帰宅部みたいに「学校に行って帰る、学校に行って帰る」の繰り返しでした。あまり良い思い出はないです。同じ教室の女の子に2回告白して、振られたこともありました(笑)。高校では全然モテなかったので、あまりキラキラした高校生活ではありませんでした。
大学時代に留学するまで「自分の居場所はここじゃない」、「俺の人生はこんなはずじゃない」とずっと思って生きてきました。

株式会社アマテラス:大学生活はどんなものでしたか?

時津:大学受験でも希望していた大学へ挑戦しましたが、落ちてしまいました。2つの大学を受験していたのですが、自衛隊に10年程いた父から「受験大学両方とも落ちたら、自衛隊に行け」と言われていました。父から本気で言われて、自衛隊かもう一つの大学かの2つしか選択肢がありませんでした。結果、第一希望ではありませんでしたが、何とか大学に合格することが出来ました。

しかし、大学では一人暮らしを始めて、1年生の時に取った単位が15単位、2年生の時に取った単位が4単位でした。
全然大学に行かず、ずっと遊んでいました。アルバイトをしたり、合コンをしたり、映画を観たりしていました。私は映画が好きだったので、携帯の電源を3日程切り、借りたビデオ20本くらいを部屋で3日間見続けたりしていましたね。1人でいるのが心地良かったです。
話は変わりますが、高校時代に2回告白した女の子が同じ大学だったのですが、3回目の告白をしたら、「もういい加減にしてください」と言われました(笑)。

1年間の留学は私の人生のターニングポイントになりました

時津:大学時代、はじめの2年間は単位とか試験を気にせず自由に生きていましたが、2年で19単位しか取っていなかったため大学を辞めることも考えました。自分の居場所はここでもないとずっと思っていました。
どうしたら良いのか悩んでいた時に、当時流行っていたアーティストが海外に行っていたことが脳裏を過ぎり、私も海外に行こうと思いました。その前にニューヨークを2週間程旅行していたこともその一因です。

親に「1年間だけ留学をさせて欲しい」と何とかお願いをして1年間行かせてもらいました。おそらく1年間留学に行ったことが私の人生のターニングポイントだと思います。その瞬間、自分の中の人生のスイッチが押されて変わりました。留学で学んだことは、「自分は井の中の蛙で、世界は広い」ということです。

人生のターニングポイントになった留学について語る時津社長

株式会社アマテラス:留学は語学学校からですか?

時津:ペンシルバニア州の語学学校でした。その学校では「私たちはハーバードに行きたい」とか「MITに行きたい」とか思っている学生が世界中から来ていて、「この人たち凄い」と思いました。目標設定を高くしないと、人生はつまらなくなることをその1年間で学びました。
もう1つ学んだことは、ずっと「この環境は自分には合わない」と思って20年間生きてきて、初めて必死に勉強する人たちの環境に放り込まれた時に、そこに適応する自分がいたことです。周りが勉強しているから「自分も負けたくない」と思い、そこに自分がアジャストしようとしていました。

そのような環境に行かないと自分は居心地が悪く、この環境をずっと求めていたことに気付きました。それが私の中では、人生にとって大きな発見でした。そこで知り合った人たちは友達かもしれないと感じました。

株式会社アマテラス:3年次に復学したのですか?

時津:はい、復学しました。帰国後は自分が何でもできる人間だと思っていて、営業のバイトがしたいと思い、営業のバイトを始めて月々50万円くらい稼ぎました。自分に自信があったため、社長に「フルコミでやらせてくれ」とお願いをし、売っただけ給料を貰っていました。仕事先からバスで移動していたら授業に間に合わず、タクシーで大学に行ったことも。当時は第2課長という役職に就き、社長以外のメンバーは私が大学生だと知りませんでした。

株式会社アマテラス:時津さんはプロフェッショナルな環境に置かれると燃えるタイプなのでしょうね。

時津:そうですね、凄く良い経験でした。当時の社長を見ながら、「やはりチームを作らないと大変になる」といったことも気付きました。

話は変わりますが、2002年に結婚しました。私が22歳の時、学生結婚をしました。
妻は私の5歳上で、27歳でした。妻は、結婚を考える年齢だったため、「私と結婚するか、別れるか」の2択を迫られ、私は結婚を選びました。当時の私の本業は学生でしたので、私の親には結婚を反対されましたが、妻の親が私の面倒をみてくれることになり、結婚をさせてもらいました。

株式会社アマテラス:営業の仕事しながらですか?

時津:彼女も私も働いていました。私に関しては、大学に通いながら営業の仕事をし、さらにファイナンシャルプランナーを取るためにダブルスクールもしていました。大学も真面目に通いました。「両親の為に卒業をしないといけない」という使命感から頑張りました。3・4年時には単位をほぼ上限まで取得しました。

福岡で会社をつくる

株式会社アマテラス:就職という選択肢はあまり考えてなかったのですか?

時津:殆ど考えていませんでした。会社をつくらなくても、個人事業主でやった方が良いと言われたこともありますが、「俺は会社がいい。社長になりたい」と言い、会社をつくる決意をしました。

その際、自分に2つルールを課しました。1つ目のルールは、『300万円(当時有限会社をつくるために必要であった資金)をこの23年間生きてきた信用で集める』こと。2つ目のルールは、『言い訳をせず、何事も自責で行う』ことです。未だにこのルールは自分に課しています。
妻と一緒に親戚を回って頭を下げ、困難を乗り越えた結果、2ヶ月半くらいで300万円を集めることができました。

会社を創業する決意をした当時の自分を熱く語る時津社長(右奥)

株式会社アマテラス:会社を始める決意をした際にやりたいことは明確にありましたか?

時津:大学生の後半からずっと何をしようか考えていたため、頭の中に様々なビジネスプランがありました。
留学中に知り合った友達が、浮浪者やゴミが溜まっていた高速道路下の場所をフットサル場にするプランを提案して実現したことがあり、それを聞いて当時の私は「こういうことができるようになったら凄いな」と思いました。実はこのことが今のビジネスモデルを描くヒントになり、役所の遊休スペースを有効利用して、人々にとって有用な場所をつくろうと考えました。

はじめは、他にも税金の滞納整理業務や自治体の営業代行アウトソーシングサービス等を含めて3~4つのビジネスプランがありましたが、3カ月程で全部潰れました。
全て自治体に提案したものの、話を聞いてもらえませんでした。アポなしで福岡市役所とかに突撃していましたが、社員一人でホームページもないような会社に税金の滞納整理業務を委託するはずがないですよね(笑)。

背水の陣で太宰府市役所と初契約。それがきっかけとなり、上昇気流に

時津:広告ビジネス1本に絞り、これでダメだったら諦めようと思いました。
しかし、広告事業の営業に行っても、話を聞いてもらえず、名刺さえ貰えませんでした。そのため、アルバイトをして生計を立てていました。預金残高11,551円までいったことも…。身長181cmで体重が49.8kgまでになりました。

最初に契約してくれたのは、大宰府市役所でした。頻繁に営業をしていた自治体だったため、おそらくそこの係長が私のことを可哀想だと思ったからでしょうね。身体的にも精神的にもボロボロで本当にきつく、終わりのない戦いをしていた状態に、希望の光が見えた瞬間でした。

厳密に言うと、「今度入札をするから、ホープ・キャピタルさん参加して」と言われて参加することにしました。しかし、手元には20万円しかなく、このままでは入札へ参加しても別の代理店に取られてしまう可能性もあったため、妻から100万円を借りて「これで最後にしてください」と言われました。一世一代の勝負を賭けた入札でした。
結果として、入札で勝ち、その広告枠から130万円の売上が出ました。仮に入札で負けていたら、会社は終わっていましたね(笑)。
太宰府市との契約がきっかけで1年8カ月間1回も鳴らなかった会社の電話に毎日連絡が来るようになりました。30万円、60万円、1500万円9000万円、1.5億円、1.9億円、3億円と売上がどんどん上がっていきました。

株式会社アマテラス:創業初期の仲間集めについて教えてください。

時津:これは結構大変でした。求人を出しても1人の会社には人はなかなか来ません。最初に社員が入ったのは2007年1月4日です。月給7万円で働いてもらっていました。そこから半年間は2人でやっていました。私の給料はゼロだったため、妻のバイトの給料で食べていました。2007年6月に天神のibbビル3階に移転しました。2008年の4月にもう1人入ってくれました。

株式会社アマテラス:どのように採用をしたのですか?

時津:当時出していた求人では上手くいかず、新卒に切り替えました。それで福岡大、九州産業大、西南学院大の企業説明会に私が行き、福岡大の説明会で3人目の社員を採用しました。今考えると、やはり2番目と3番目の社員の存在は大きかったと思います。
2009年にもう1名採用して4人になり、2010年には3人採って7名になりました。今思えば、5年前くらいまで10人くらいの会社でした。

アマテラス藤岡(左)と創業当初を語るホープ時津社長(右)

株式会社アマテラス:成長の壁はありましたか?

時津:明らかにありました。1つ目の壁は、社員が20人を超えて中途採用を始めた時くらいです。中途採用の社員にはいろいろな人がいて、権利を強く主張する社員もいました。創業期は分かりやすくいうと、残業代等を出したこともなく、残業という概念がない状態でした。しかし、人を増やしていくと、そうでは行かなくなります。
2つ目の壁は、私が今まで感覚的に行っていた業務をどのように他の社員に任せるかということです。例えば、恵比寿で「水を売れ」と言われたらおそらく相当売れると思うのですが、それは私だからできることであって、普通の人は「どう売るのか」というフローが必要だと思います。そういうものを仕組み化しないといけないということは壁だったと思います。

株式会社アマテラス:仕組み化をしていくことで、中途で採用した人たちをうまく活かすことができるということですね。

時津:そうですね。社員が20人を超えた時から私のマネジメントも弱くなっているはずです。その状況で社員を束ねるためのマネジメントシステムを構築しないといけないという課題が2013年から未だに続いています。

「ベンチャー企業に唯一あるのは、事業にかける情熱だけだ」

株式会社アマテラス:初めは数名の会社で信用が低かったと伺いましたが、どのように信用を生み出したのですか?

時津:2013年8月にグロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)から増資を引き受けてもらったことを機に、情報制度と信用はあきらかに変わったと思います。

また、当時のメインバンクがお金を貸してくれず、私が資金繰りで困っている時に佐賀銀行が私を助けてくれたことがありました。そのため、「上場するタイミングがあれば、佐賀銀行に株を割り出したい」と思っていました。上場して佐賀銀行がキャピタルゲインを得ることができたので、良い恩返しになったと思っています。

株式会社アマテラス:お金以上にトラックレコードという形で残りますし、彼ら自身もベンチャーキャピタルとしての箔がつきますよね。

時津:私が九州男児だからかもしれませんが、義理や人情に対する思い入れは人より強いです。

余談ですが、福岡でスタートアップについてお話をさせて頂く際に、私はいつも、「ベンチャー企業なんて大してお金もないし、大して能力もない。唯一あるのは、事業にかける情熱だけだと思う。その熱量が高ければ応援されて、仲間が増えてくる。フェイスブックで『女の子のいる店に行ってボトル開けた』とか書くと、誰が見ても良い気はしないし、誰も応援しようなんて思わない。『事業の熱量が高い』ということだけを書いて、周りに応援されるように」と話しています。
だから、大宰府市の契約が取れた要因を考えると、恐らく自分の熱量と時の流れだったと思います。

自治体に特化した総合サービス会社へ

株式会社アマテラス:御社のビジョンを実現する上での経営課題はありますか?

時津:事業ドメインが圧倒的に少ないことです。現段階でのビジネスモデルはアドの領域から抜け切れてないため、自治体に特化した代理店だと言われてもおかしくはないと思います。
行政の状況は10年前と今とで全く違い、おそらく今から10年後も大きく行政は変わるため、そこにサービス参入のポイントやタイミングが多く出てくると予想をしています。世の中が変わり、自治体も変わっていく中で、当社も広告に留まらずに他の事業ドメインを作っていく必要があります。
特に、今後は自治体に更にITの力を導入していきたいと考えています。
現状としてはITサービスを強めていく中で、それらの人材がいない事が最も大きな経営課題だと考えています。

今後の事業プランを語る時津社長

株式会社アマテラス:長期的な経営課題はありますか?

時津:長期的な経営課題は、"上場のジレンマ"というものに陥ってしまうと、すごくつまらない会社になってしまうことです。やはり上場をすると株主のことを考える必要があるため、ダイナミックな挑戦をしにくくなります。それによって組織が硬直をしてしまい、新しいことができなくなってしまう状態に陥ると、何のためにやっているのかが分からなくなります。

BtoGという最先端の仕事の魅力

株式会社アマテラス:どのような人がホープに合っていますか?

時津:合わないのは、決まりきったルールの中でしか戦えない人です。
上場企業とはいえ完成しているわけではなく、常に完成形を目指しているため、うちの会社には曖昧なことがたくさんあります。曖昧なことに慣れている人、曖昧なことに耐性がある人である必要があります。

株式会社アマテラス:ホープさんで働く魅力を教えてもらえますか?

時津:現在は事業開発のフェーズに入っており、私ともう1名の役員で新しい事業をつくろうとしています。そのため、ダイナミックな挑戦が推奨されています。

また、65%が新卒採用であるため、他企業で得た知見やノウハウがホープではすごく賞賛され、高く評価されると思います。65%の新卒採用者は、それらをスポンジのように吸収するはずです。
私たちは、地方創生といわれる自治体マーケットに新しい業態で最初に切り込もうとしています。現在最も変化をしようとしている産業は自治体のマーケットだと考えて、自治体に特化した総合サービス会社という旗を立てています。そこの最先端で事業ができることは、ビジネスマンとして非常に魅力的だと思います。

他方で、私が11年間で作り上げた“ホープの文化”を大事にして変えたくないという思いが強いため、これを許容できるかが大事な点になります。要は「部長だから、役員だから偉い」という考え方はしておらず、「ホープは挑戦する文化の会社なので、どんどん挑戦して2022年までに売上100億円を作る。成長の足かせになるのであれば、役職のある人でも降りるべきだ」といつも社員にも自分にも言い聞かせています。
そのため、役職についている人の年齢も若いです。役員が33〜35歳くらいで、部長陣が27~35歳くらいです。若い人にも挑戦する環境があることも魅力の1つかもしれません。

株式会社アマテラス:素敵なお話をありがとうございました。

edited by 江畑俊行

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