宇宙の技術を使って、もっと世の中の発展に寄与していきたい
~準リアルタイムGoogle Mapの実現に向けて~ 

株式会社QPS研究所代表取締役社長 大西俊輔氏

QPS研究所は「宇宙の可能性を広げ、人類の発展に貢献する」をミッションに掲げ、小型SAR衛星を36機打ち上げることによって『準リアルタイムGoogle Map』を実現させようという衛星開発ベンチャーだ。
「宇宙産業=一般生活とはかけ離れた世界」と思い込んでいたが、QPS研究所は衛星画像による人や車等の移動の可視化や予測といった社会の効率化への寄与を目的としている。

そんなQPS研究所で代表取締役社長を務める大西氏は、創業者ではなく、後から入社して半年後に社長になったという異色の経歴だ。
今回は、市來取締役・最高執行責任者にも同席頂き、お二人の参画経緯やQPS研究所が目指すもの等について語って頂きました。

大西俊輔氏

代表取締役社長
大西俊輔氏

九州大学大学院在籍時よりQSAT-EOS(九州地区の大学・企業による50kg級小型衛星プロジェクト)のプロジェクトリーダーとして2014年11月に成功に導く。
九州より世界の宇宙産業にインパクトを与えるべく、2013年10月QPS研究所に入社。2014年4月代表取締役社長に就任。学生時代から現在までに十件超の小型人工衛星開発プロジェクトに従事。子供の頃から宇宙が好きで、将来の夢は木星探査。

株式会社QPS研究所

株式会社QPS研究所
https://i-qps.net/

設立
2005年06月
社員数
8名(役員、顧問含む)

《 Mission 》
「宇宙の可能性を広げ、人類の発展に貢献する」
小型SAR衛星に留まらず、良い意味でクレイジーな創造力、行動力、技術力を駆使して、不自由かつ未知にあふれた宇宙という広大な領域が人類にもたらすことのできる可能性を広げることで、ワクワクする未来の創造と世の中の発展に貢献する。
《 事業分野 》
AI
《 事業内容 》
弊社が世界初で開発した24時間、全天候型小型SAR(レーダー)衛星を36機打ち上げることにより、世界中のほぼどこでも好きな場所を平均10分以内に観測し、10分毎に更新されるgoogle mapのような世界を創る。更に定点観測で蓄積した画像データを分析することにより地球規模で未来を予測し、社会の効率化を図る。

豊かな自然と遊びながら「ものづくり」への関心が高まった

アマテラス:

まずは、大西さんの生い立ちについて教えて下さい。

株式会社QPS研究所 代表取締役社長 大西俊輔氏(以下敬称略):

家族構成は、両親に三人兄弟です。兄と姉がいて、私は一番下です。
ちょっと変わっていると言えば、両親、祖父母も含めて全員教師です。そんな中で育っていたので、子供の頃は教師になるのが夢でした。卒業した教え子達が家にやってきて楽しそうに昔話をしているのを見ていると「やり甲斐のある仕事だな」と感じたのです。その夢は後で変わりますが。

私は佐賀で生まれ育ったので、小さい頃は自然の中で遊んでいました。カブトムシやオオクワガタを採ったり、河川敷にダムを作ったりしていました。
川の流れを止めてダムを作るのですが、これが意外と難しい。川を堰き止めるのが難しく、岩を積んであらかた流れを堰き止めた上で、一気に皆で砂を入れるときれいに固まる、なんてことをやっていました。

また、両親が忙しかったので、近くのおじちゃん・おばちゃんに面倒をみてもらっていたのですが、海や山といったいろんなところに連れて行ってもらいました。これが今の好奇心旺盛な性格につながっていると思います。両親と祖父母の間位の年代の方でしたが、活動的な方で、いろんなものを作っていました。例えば鳥もち作って、それでメジロを採りに行き、作った鳥かごに入れたりしていました。

鳥かご作りを見ていると、「手先が器用で、すごいなぁ」と思い、その頃から「物を作るって、おもしろい」と意識し始めました。

『ペットボトルロケット』作りで目覚めた宇宙への思い

大西俊輔:

そんな時、小学校でたまたま『ペットボトルロケット教室』が開催されました。早速両親と参加して、ワクワクして作ったことを覚えています。でも、その時は自分で作ったロケットが飛ばなくて、悔しいなぁと…。

そこで、教室を思い出しながら自分で作ろうと考えました。
教室では専用のキットで作るのですが、私はまだ幼くて「キットを買う」ということが思いつかなくて、薬品のゴム栓や、ボールの空気入れ等を使いながら作り、いかに遠くに飛ばすかということをやりました。

とても強く残っている思い出で、そこから一気に「宇宙をやりたい」、「ものづくりの分野に行こう」となりました。

宇宙を目指し、九州大学 機械航空工学科に進学

アマテラス:

どのような学生時代を過ごされたのですか?

大西俊輔:

興味があった理科・数学、理系に進んでいく中で大学進学となり、九州にある宇宙系の大学と言えば九州大学だったので、そこに入りました。

最初に「宇宙工学に行きたい」と思ったのは、大学のシラバス(講義計画の一覧)で『人工衛星工学』を知った時です。

「人工衛星って、工学なのか」とその時初めて知りました。人工衛星には、もの作りとして確立された、理論的に体系化されたものがあるのだ、と。それまでは『人工衛星』について、誰が作っているのか、どうなっているのか知らず、一握りの人たちしか作れないものだと思っていました。
「宇宙工学を学べば、作れるようになる」と考え、『宇宙工学』に進むことを決めました。

そして、大学2年生時に航空宇宙工学コースに進み、その後研究室を選ぶことになりました。人工衛星を作っている研究室は1つだけで、そこに入りたいと思いましたが、先生は八坂先生の後任として入ってきたJozef C. van der Ha教授というオランダ人でした。元々ESA(欧州宇宙機関)等で衛星に携わっていた方です。
ゼミや飲み会を全て英語でやらないといけないので悩みましたが、「うーん、でも、衛星やりたい」と思って、入りました。

このゼミに入ったことがいろんな意味で大きかったです。
Ha先生は自らの技術力でESAやNASAで仕事をしてきた方です。「1人で世界的に動く」ということが、身近に感じられるようになり、「そういう道もあるのかな」と思うようになりました。
「大企業に行って働く」以外の道があることを教えて頂きました。

また、Ha先生は研究において学生の意見を絶対否定しません。特に4年生で入ってくる学生はまだ知識がないので、方向性が間違っていることも言いますが、それでも「おお、いいこと思いつくね」と言って学生のモチベーションを上げます。私自身、そうして頂いて自信が付きました。

『衛星の大家』八坂先生との出会い

アマテラス:

八坂先生との出会いはいつ、どのようなきっかけだったのですか?

大西俊輔:

大学4年時に、大学で行っていた衛星開発のプロジェクトに入ることになりました。衛星を作るには、構造や電源、通信といった様々な専門系があり、入ってきた4年生をそれぞれの系に割り振ります。

私は当初『電源』を希望していましたが、『熱構造』の担当になりました。すると、八坂先生がそこの担当だったのです。
既に大学教授としては退官されていたのですが、『衛星の大家』として特任教授でいらっしゃっていました。
前任の学生がその年に卒業し、それからは私と八坂先生のマンツーマンで開発することになったのです。

これが八坂先生との出会いで、この時に『熱構造』に行けたからこそ、今があると思っています。

若くして、多くの衛星開発プロジェクトを経験

アマテラス:

大西さんは九州大学大学院在学から多くの衛星プロジェクトに参画されていますね。

大西俊輔:

そうですね、十数個の衛星開発プロジェクトに携わってきました。

そのきっかけは、2008年頃に遡ります。
初めてH2Aロケットに小型衛星を一緒に載せるための公募が始まり、九州大学も応募しましたが、残念ながら落ちてしまいました。
衛星を載せるためにはいろいろな解析や試験が必要ですが、その時の公募に受かった香川大学内で対応できないところがあり、応援依頼があったのです。
その際に私が行ったのが、外部との衛星開発プロジェクトに参加するきっかけでした。

そこからは、あれよあれよという間に様々なプロジェクトに関わっていきました。
衛星開発の世界は狭いので、プロジェクトに携わる内に皆と顔見知りになります。「これやるけど、誰かいないか?」となった時に、「あいつがいるぞ」と声を掛けて頂いたようです。

取締役・最高執行責任者 市來氏(以下敬称略):

衛星開発には大企業も取組んでいますが、一つの衛星開発の始めから打ち上げまでに10年程掛かっています。となると、1人が関われるプロジェクトの数はせいぜい2~3個程です。

大学の小型衛星は開発スパンが短いこともありますが、大西はこの年齢で既に十以上の衛星開発プロジェクトを経験しています。これは実に貴重な経験で、日本中探してもそんな人材はなかなかいません。

そのため、例えば、ベンチャー企業や大学で「構造系、もしくはプロジェクト全体をみる人材が欲しい」となった時、大西に「来てくれ」となるのです。

そう考えると、最初が他大のプロジェクトだったにせよ、それを経験できたことが大きな資産になっていますね。

衛星作りを「九州で頑張っていきたい」

アマテラス:

そういう状況ですと、「民間企業に就職する」という選択肢は早くから無かったのでしょうか。

大西俊輔:

そうですね。多くの小型人工衛星プロジェクトに携わった経験から「小型人工衛星は大学生でも作れる」と実感していて、しかも作り方もそんなに難しいわけじゃない。ただ唯一、『作るための条件』が皆分かっていないだけで、これが分かればどこでも作れるのではないかと思っています。

そういう中で、九州には衛星を作る土壌が育ってきていました。他の地域と比べても高いレベルになっていたので、そこを活かしたいという思いがあり、「九州で頑張っていきたい」と決意しました。

博士まで取ったし、いろんなネットワークもあったので、「最悪何とかなる」という思いもありました。

「九州域に、宇宙産業を根付かせる」とクラスター作りを先導してきた創業メンバー

アマテラス:

「九州で頑張っていきたい」という思いが、QPS研究所への入社に繋がったのでしょうか?

大西俊輔:

元々、QPS研究所は八坂先生(現、九州大学名誉教授)、桜井先生(現、九州大学名誉教授)、それと先生方の大学時代の同期であった舩越さん(元三菱重工業)3名で、2005年に設立された企業です。

その一番の目的は、「九州域に、宇宙産業を根付かせる」ことです。

それまで、九州に宇宙産業はありませんでした。種子島や内之浦という射場が域内にありながら、製造はほぼ関東、東海という状況でした。

1995年に八坂先生が九州に来られて、「射場に近い、九州に宇宙産業を根付かせたい」と考えられたのです。また、九州域に大学や学生の小型衛星のプロジェクトが多く立ち上がっていたので、それを支援する立場にもなりたいという考えもありました。

先生方は九州中を行脚し、200社程の企業に対して「御社の技術を宇宙に生かしてみないか?」と呼びかけた中から『北部九州宇宙クラスター』と言われるものが出来上がっていきました。今では様々なエキスパートの20社程が宇宙産業に参加し、日本を代表する程の力をつけてきた企業もあります。

また、このクラスターによって技術継承の問題が解決されました。
大学衛星プロジェクトの一番の問題点は、学生が卒業すると技術の伝承ができなくなることです。
九州でも同じ状況でしたが、大学のプロジェクトに企業を積極的に入れ、担当者をつけてもらいました。それによって、学生が卒業しても企業にそのノウハウが蓄積されるようになったのです。

ですので、九州の協力企業は、衛星の設計段階からプロジェクトに参加します。学生は全く知らないところから作るので見当外れなところもあるのですが、そこに対して製造も考えたフィードバックをくれる。
初期段階からもの作りを一緒にやってくれるのは、他にはない強みだと感じます。

その中からQSAT-EOS(キューサット・イオス)という衛星プロジェクトが生まれました。私も学生時代からずっと携わっていて、最終的にはプロジェクトマネージャーを担当しました。2014年11月にロシアから50センチ級衛星の打ち上げを成功させましたが、これは九州大学が中心となり、地元大学や地場企業が一緒になってほぼ九州域で作った衛星でした。

クラスター存続を危惧。QPS研究所への入社を決意

大西俊輔:

しかし、資金のついたプロジェクトは、これが最後となりました。この後衛星開発プロジェクトはなくなり、開発経験のある学生は卒業し、衛星開発に携わる学生はほぼいなくなりました。

私は、「このままでは、このクラスターを存続させるのが難しくなるのではないか」と危惧を抱き始めました。

私は、各地に散らばっている九州出身のエンジニアの方が戻って来られるような土壌を作りたいと考えていたのです。

市來:

宇宙工学を教えている大学は東大や東工大、東北大等日本中いろいろとありますが、その卒業生は必ずしも宇宙関係には進まず、投資銀行やコンサル、大手IT企業等に就職しているようです。
それに対して、九州大学で宇宙を学んだ人は、宇宙の仕事に就かれる方が多いのです。その結果として、現在の宇宙業界の中堅層では九州出身者が頑張っているとも聞いています。

そういう方々は「地元には戻りたい。ただ、宇宙分野で働ける場所がほとんどないので、家族を背負って生活していくのは難しい」と、関東等日本中に散らばったまま残らざるをえない状況です。

大西は、「それは勿体ない。九州に戻りたいと思っているのに、その場所がないのであれば、そういう場所を作りたい」という思いから、QPS研究所に入った経緯があります。

大西俊輔:

そういう人達を巻き込んでいくことで、九州の宇宙クラスターが益々発展していくと思っています。そんな思いもあって、八坂先生達に「入社させてください」とお願いしたのです。

「条件をクリアすれば、入社。但し、社長を務めよ」という試用期間

アマテラス:

QPS研究所の入社半年後に社長就任されましたが、そのことも含めた上で入社なさったのですか?

大西俊輔:

「入るならば、社長になる」というのが前提でした。ただ、そもそも入社について、元々の経営陣から反対もされました。

桜井先生は「今後の事業計画が立てられるのであれば、入社してもいい」という意見で、八坂先生は「入れ」という感じでした。しかし、当時社長を務めていた舩越さんからは大反対されました。
経営者であった船越さんはQPSの資金繰り等も理解していて、「これだけ有望な若手がQPSに来ても、潰す可能性がある」と危惧されていたようです。そこで、「来るべきではない。大企業に行け」というご意見でした。

三者三様でしたが、結局「入社後半年間で、会社として成り立つ道を見せることが出来れば、その後は社長としてやっていく」ということになりました。

市來:

創業した先生達はステータスの面でも、生活の面でも、既に十分築き上げたものがありましたので、「稼ぐ」、「働く」というより、「宇宙を九州に広めたい」、「宇宙に関わり続けたい」」というモチベーションからQPSをやっていたのだと思います。「そんな自分たちの道楽に前途ある大西を付き合わせるわけにはいかない」という気持ちもあったのではと思います。

だから、「自分でやる分の金は稼げる」ことを示してくれるのであれば、入社しても構わない。但し、入社するなら、社長をやるという条件になったのだと思います。

プロジェクト業務受託等による売上獲得で、試用期間をクリア

アマテラス:

試用期間では困難等はありませんでしたか?例えば、既存のメンバーたちとの関係はどのようなものでしたか?

大西俊輔:

メンバーとの関係構築については、問題ありませんでした。
元々衛星プロジェクトで一緒にやっていましたし、元々の経営陣との年齢差も、孫と祖父のような関係で良かったです。親と子くらいだと、難しいこともあったかも知れませんが。

市來:

(創業者の)3人共、基本的にアイデアを否定しないのです。どんなアイデアであっても、「おもしろいな。まず、やってみようか」から始まる。八坂は世界的に見ても日本でおそらく一番有名な宇宙の先生の1人ですが、それだけの権威の方が全く否定もせずに「やってみよう」と言ってくれる。それによってサポートされている部分は大きいと感じます。

アマテラス:

とはいえ、それなりに認めてもらわないと入社条件をクリア出来なかったと思います。どのようなことで認めてもらったのですか?

大西俊輔:

売上に繋がる仕事を取ってきたことが一番大きかったです。
プロジェクトで知り合った先輩方や先生方が、「お前、QPS入ったんだって」と製造請負やプロジェクトの業務委託といった仕事を紹介してくれたのです。
ベンチャーや大学のプロジェクトの全体管理、もしくは熱構造系を担当し、1~2年間で週2~3回行くといった契約を結び、プロジェクトに参加していました。

ただ、その後、ここからの脱却が一番難しかったです。
当面やっていくには有難くて、いわゆる『下請け』としてはやっていけるのですが、そこから「次に行く」、「自分で何かやろう」という転換がとても難しかったです。

私が仕事を取ってきて、それをこなすのでは、会社としては向上していかない。私達が何かを主導し、それに皆がついてくるというのが理想です。
「そのためにどうするか」というところから、小型SAR(Synthetic Aperture Rader、合成開口レーダー。天候、昼夜関係なく観測が可能)衛星の着想が出てきました。

「次に行く」ための、市來さんとの出会い

大西俊輔:

小型SAR衛星を実現したいと思った時、当社には技術系しかおらず、その為の方策がありませんでした。
「実現するためにどうすればいいか」が分からなかった時に、市來と出会いました。それは凄く大きな出会いでした。

アマテラス:

市來さんとの出会いについて、詳しく教えて下さい。

大西俊輔:

応援頂いていた九州のベンチャーキャピタルの株式会社ドーガンから市來を紹介されました。

市來:

大西と会った頃、私は産業革新機構に勤めていました。
私は元々福岡生まれ福岡育ちで、「出来れば地方に出資したい」という気持ちを強く持っていましたが、なかなか東京ベースだとご縁もなく、難しい。そこで自腹で九州に行き、おもしろそうな案件を探していました。

そんな時、私の前職(YOCASOL株式会社 代表取締役社長)の株主だったドーガンから「福岡におもしろい会社がありますよ」と紹介され、福岡まで大西に会いに行きました。

大西から「衛星には2種類ある。1つはカメラの衛星、もう1つがレーダー(SAR)の衛星。カメラの衛星は元々大きかったが、小型化する技術ができてそっちに市場が移っている。レーダーは現状大きなものしかない。これが小型化出来れば、恐らくそちらに市場が移行する」という話を聞きました。

幸運だったことに、産業革新機構で数多くの新しい技術、創造的なビジネスモデルを見たり、関わったりする機会を頂いていたおかげで、一瞬で頭の中に小型レーダー衛星を使った未来の姿がイメージできました。
「この技術と組み合わせればこういう世界がつくれるよね」、「この技術を応用すれば、更に画質が上がるんじゃないの?」といった今後がイメージ出来たのです。

「これはおもしろい。地元の福岡だし、福岡から宇宙の産業が生まれるのは嬉しいことだ」と思い、サポートしたくなりました。
機構として出資出来ればと思いましたが、自分の力が及ばずこの時は検討することも難しかった。そこで、上司に相談したところ「個人的にバックアップしていい」と言われたので、普段はメールでやりとりをしつつ、月に1回程福岡に行き、事業計画等を一緒に考えたりしていました。

出資を募る上で、技術系のみで、誰も経営やお金の回し方が分からないという状況では難しいので、「経営人材を誰か入れて」と2015年10月頃に伝えました。大西から「探します」と言われたものの、候補がなかなか出てこない。

その年末に大西と食事した際、「あの件はどうなっている?このままでは、いつまでも誰も出資することを本気で考えてくれないよ」と言ったところ、「市來さん、福岡出身ですよね。来ませんか」と返ってきました。そして、「これもご縁かな」と思い、入社を決めたのです。

倒産の危機?!コストの見直しを図る

アマテラス:

市來さんが入社された後、資金繰りのご苦労等もあったかと思いますが、エピソード等教えて頂けますか?

市來:

入社してみると、現預金残高が事前に聞いていた額より少なかったのです。そして、自分なりにキャッシュフローシミュレーションをしたところ、このままでは数カ月後には倒産しかねないことがわかりました。

そこから「いかにキャッシュアウトを減らすか」に注力しました。
大学教授や技術者なので、元々コスト意識が高くなく、「そんなことに…」といったことでお金が消えていました。それらを全て洗い出し、「これは不要だから、すぐ解約しよう」と交渉したりしました。

「お金が回らない」というのは死活問題なのですが、大西にしても当初はコスト感覚があまりなくて、苦労しました。
東京にあるベンチャーの仕事を大西が請け負っており、週3日程の業務の為にオフィススペースを借りていました。大西からすれば必要な業務環境だったかも知れませんが、必須ではないので、「週3日ならビジネスホテルに泊まればいいから、すぐに解約して」と伝えました。しかし、数か月経っても解約してくれない。

そこで、ある時「スタッフに満足なだけ給与が払えているか?ここを削ってでも、こいつの給与を上げたいと思わないのか?」と言ったら、初めて気づいてくれました。「確かにそうですね」と言って、その翌日には解約してくれました。

その頃から急速にコストが切り詰まりました。他方、営業は予定通りに進み、プラスに転じていきました。2016年後半にはキャッシュフローの問題は解消されました。

今は、「もっと大きな世界を目指すよね」ということで、更なる資金調達に舵を切っています。

準リアルタイムGoogle Mapの実現に向けて

アマテラス:

短期的な課題、中長期的な課題があると思いますが、どのようなものですか。

大西俊輔:

短期でいうと、現在取り組んでいる小型SAR衛星をまず打ち上げて実証することです。世界において競合他社が2社程いますが、日本発で世界に先駆けて打ち上げたいと考えています。そのための課題はスピードです。「いかに早く打ち上げるか」が大きいと思っています。

中長期的には、衛星を複数上げることです。
SAR衛星は、夜でも、悪天候でも見えます。ですので、災害時の迅速な状況把握等で有用だと考えています。しかし、一個の衛星では、見える頻度の問題があります。

そこで、最終的には36機上げようと考えています。そうすると世界中のほぼどこでも平均10分以内で撮影出来るようになります。10分毎に更新される準リアルタイムのGoogle Mapのような世界が作れるのです。

これによって、これまでは見えなかった人や車、船といった移動体の動きが見えます。それを使って、例えば町全体に拡げたセキュリティシステムを構築できるかも知れない。また、蓄積されたビッグデータから未来予測ができるかも知れない。
基盤としてこれを早く作ると、その次の、それを活用する社会ができてくると思います。

ですので、複数打ち上げを実現したいのですが、課題は資金です。「小型衛星は安い」といっても絶対額は高いですし、それを数十機上げるとなると、大きな金額になります。
まずは、1機打ち上げた上でその成果を確認し、次のステージに持って行くことが重要だと思っています。

市來:

QPS研究所の基本理念として、「(技術により)宇宙の可能性を広げ、人類の発展に貢献する」というがあります。
その第一歩が、QPS‐SARです。QPS‐SARによって、世の中にまだ実現できていないことを、日本発で実現させる。それによって、これまで見えなかったものが可視化できれば、いろんな発見やインサイトが得られ、もっと社会を効率化できるといったことに繋げたいと考えています。

そこで重要なのはスピードなのですが、それはつまり人材です。
現在の人員で次の衛星開発等は進めていけますが、まだ十分ではありません。もっといい人材は欲しいですし、拡張していかないといけない。

また、長い目で考えた時、当社のビジネスは、SAR衛星を数機打ち上げるだけのものではありません。これを産業とし、世の中を良くしていく。そして、世界規模で展開しないと意味がない。
「それを担う人材がいるか?」というとまだです。今後はここにも取り組まねばなりません。

QPSは『宇宙工学の梁山泊』。一芸秀でて志高い人材に集まって欲しい

アマテラス:

中長期も含めて、どんな人材が必要ですか?また、その人物像や求めるマインドセットについてもお聞かせください。

市來:

技術系としては、私達が持っていない分野、例えば、姿勢制御や電源、通信、SARのところを求めています。現在は協力企業がいるので、プロジェクトを進める上では問題はないですが、弊社内でもその能力を持ちたいので、プロパー人材を採りたいと考えています。

マインドとしては、ベンチャーですし、小型SAR衛星という世の中にないものに取組んでいるので、既存の考え方に捉われず、不可能に見えることでも「やってみよう」と思えるような技術者を求めています。

また、管理・経営系では、2つ程求めているポジションがあります。

今は8人程で、各自自由に動いている組織ですが、今後どんどん人を入れていって大きくしていく中で、社内体制を作り上げる必要があります。ベンチャーから一定規模の企業へと上がっていく中で、組織や体制づくりができる人がまずは欲しい。人事や総務も含めて幅広くできる方がいいですね。

もう1つはCFOです。今のところ、私がCOOをやりながらCFOを務めているのですが、私自身は事業拡大に向けた取組みにより集中した方がいいと考えており、CFOとしてプロフェッショナルな人材を求めています。

アマテラス:

どんな方が貴社に合うと考えていますか?

市來:

誰が言い出したか分かりませんが、当社は九州にいながら『宇宙工学の梁山泊』と言われています。『梁山泊』と呼ばれるからには、一芸秀でて志高い人材に集まって欲しいと思っています。

つまり、「自分はこの部分で絶対に負けない」と言えるだけの、何かを持っている人というのがまずあり、かつ、「日本から」とか「世界のために」と思うような人であって欲しい。ビジネスの利益だけを求めるのではなく、「社会を良くしていく」ことに対するモチベーションが高い人を強く求めています。
それが、当社の皆が持っているマインドですので。

ただ、事業化途上のフェーズで、給与水準は高くはありません。また、福岡という場所も、人によっては難しい場合もあるかも知れません。
そういった点も含めて受け入れてくださる方、私のように何かしら九州、福岡に縁があって「福岡や九州に来てもいい」と言ってくださる方だと、嬉しいです。

まだ小さな会社ではありますが、「そこから世の中を、日本から、進化させてやろう」という気持ち、社会のためという情熱、そして、誠実な人柄といったところが大切だと思っています。そして、そこに求められる能力が伴っていれば、最高です。

ゼロから作り上げ、「世の中を驚かせる」経験が出来る

アマテラス:

最後に、現在の貴社で働く魅力を教えて下さい。

大西俊輔:

技術系の、研究室的な雰囲気が魅力だと思います。上下関係はありませんが、先生がいて、生徒がいて、といった雰囲気です。

そして、やはり世界トップレベルの先生方からその経験や知識を吸収出来ることです。
勿論、こちらから求めていかないと教えては貰えませんが、成長出来る環境、雰囲気はあると思います。

市來:

宇宙工学を経験、学ぶという点から言うと、あれだけの先生が近くにいる環境はなかなかないと思います。完全に独占できますから。

私から言えば、当社は小さな会社ですが、「世の中を驚かせたい」と考えて取組んでいる企業です。そこに加わることで、ゼロから作り上げ、そして世の中を驚かせる経験が出来ると思います。「世の中を驚かせる」って、どこの企業でも出来るという経験ではないと思います。そこを期待してくれると嬉しいです。

アマテラス:

本日は素敵なお話、ありがとうございました。

この記事を書いた人

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

株式会社QPS研究所

株式会社QPS研究所
https://i-qps.net/

設立
2005年06月
社員数
8名(役員、顧問含む)

《 Mission 》
「宇宙の可能性を広げ、人類の発展に貢献する」
小型SAR衛星に留まらず、良い意味でクレイジーな創造力、行動力、技術力を駆使して、不自由かつ未知にあふれた宇宙という広大な領域が人類にもたらすことのできる可能性を広げることで、ワクワクする未来の創造と世の中の発展に貢献する。
《 事業分野 》
AI
《 事業内容 》
弊社が世界初で開発した24時間、全天候型小型SAR(レーダー)衛星を36機打ち上げることにより、世界中のほぼどこでも好きな場所を平均10分以内に観測し、10分毎に更新されるgoogle mapのような世界を創る。更に定点観測で蓄積した画像データを分析することにより地球規模で未来を予測し、社会の効率化を図る。