CEO INTERVIEWS

起業家インタビュー

Vol.33
2014年12月18日
株式会社クオン | 代表取締役  水野 和寛 氏

株式会社クオン
代表取締役 水野 和寛 氏

キティちゃんのようなキャラクターを創り、
そのコンテンツをグローバルに流通する仕組みを創りたい。

はじめに

水野社長がモバイルコンテンツ開発に携わったのが2001年。それから10年以上キャラクターを作り続け、スマホが生まれた後、急激にユーザーが増えました。
そんななか、ブレずに
キティちゃんのような世界中で愛されるキャラクターを作りたい。
国境を越えて、愛されるサービス、コンテンツを作りたい。

と言ってきた、クオン社の取り組みに迫りました。

株式会社クオン
代表取締役 水野 和寛 氏
(みずの かずひろ)

【経営者略歴】
中央大学法学部在学中にアルバイトで月刊「DTMマガジン」の編集に携わり、そのまま2001年に寺島情報企画へ入社。入社後、着うた、デコメ、きせかえツールなどの携帯公式サイトを立ち上げる。
中でも、デコメサイト「デコメとり放題(現:デコメリー)」は、有料会員約100万人(日本で1位)の規模に。2009年には同社子会社の株式会社テクノードを設立し、代表取締役に就任。スマートフォン(iPhone/Android)向けのゲームアプリを手掛ける。2010年に日本のAppStoreで最もダウンロードされたゲーム「Touch the Numbers」や「らくがきライブ」「うろおぼ絵17」「同じのタッチ」など累計ダウンロード数は1000万ダウンロード超。
2011年に株式会社クオンを設立。国内外向けにスタンプやゲームなどのコンテンツを展開中。

  • MISSION

    文化を創る

  • 事業分野

    web・アプリ

  • 事業内容

    モバイル・スマートフォン向けのWEB・アプリサービスの企画開発 グローバル(アジア中心)市場のキャラクターコンテンツの流通サービス

  • 設立

    2011年8月

  • 社員数

    20名(2014年10月時)

  • 企業URL

    http://quan-inc.jp

起業家紹介

水野 和寛 氏

仕事を通じてやりたいことが見つかり、起業に繋がった。

株式会社アマテラス:株式会社クオンを起業した背景を教えていただけますか?

株式会社クオン水野社長(以下水野):起業家のタイプは大きく2つあると思います。社長になりたいから社長になるタイプと、やりたいことがあってこの事業をやりたいから社長になるタイプと。
どちらかというと後者の方で、こういうことやりたいから社長になったというタイプで、どうしても社長になりたいというのはなかったですね。実際、僕は2001年に新卒で寺島情報企画という会社に入社し、11年ほどいて、IT、コンテンツビジネスに携わってきました。

新卒で入ったその会社は当時は売上数億円でしたが、10年くらいで数十億円の会社に成長して相当な利益が出た。未上場のオーナー会社でしたが、社員は数十人くらいいて、上場企業のようなコンプライアンスや内部管理体制などしっかりしていた会社でした。
そこで事業部長、役員、最後は、子会社の社長をさせていただいたりして、仕事に不満は全くなかった。未上場のオーナー会社だったので相当好きにやらせてもらっていました。

自身の事業部で稼いだキャッシュで新しいことをやることに対してほぼNGが出なくて、自由でした。当時はフィーチャーフォン(ガラケー)の時代なので着メロ、着うた、デコメ(*デコレーションメールの略。携帯メールで利用する絵文字や装飾のついた文字、背景など)、着せ替え、一通りのコンテンツ事業を手掛けて、最後のほうではスマホ事業のための子会社まで自分で作りたいと言ってゼロから立ち上げ、ゲーム事業を手掛けてそれも当たりました。

それでも煮え切らないところがありました。11年間、日本のユーザー向けにモバイルコンテンツを作っていましたが日本以外の広い世界のほうが圧倒的に人数多いですから、世界に向けてコンテンツを作っていきたいなというのがありました。

その辺りでちょうどスマートフォン市場自体が伸びてくる時期と重なりました。
i-modeがちょうど10年周期、10年前くらいからグーッと伸びてスマホが出てきた時にピークになったので、多分これは10年周期くらいだろうなと思いました。スマホの市場は、ここで乗り遅れるとこの先10年くらいは良い波がこないだろうなと。

もともと起業することは考えてなかったのですが起業するならこのタイミングかなというところで、2011年に起業しました。

3年おきに転校していた子供時代。一人で遊べる趣味が必要で音楽作りの世界へ。

株式会社アマテラス:水野さんの生い立ちや前の新卒で寺島情報企画に入社するお話を教えていただけますか?

水野:父親は国家公務員で刑務所の刑務官、最後は少年院の院長でした。バリバリの堅い仕事ですよね。
少年院とか刑務所の職員は、癒着がないように3年置きくらいにローテーションで全国に異動するので学校も3年置きくらいで転校していました。
それが原体験にあるのかはわからないですけど、多分自分の人生に大きく影響している気はします。
3年置きに友達が変わる環境で、同じ友達と長くいることがあまりなくて。常に友達が増えては入れ替わって、3年置きにまた自分と向き合う、そんな環境ですかね(笑)。だから、自分一人で遊べる趣味が必要でした。高校生くらいの時、友達と音楽バンドをやろうとなったのですが、実際はバンドは組まなかった。多分、小中学校時代が影響しているのだと思うんですけれど、自分1人で音楽を作ろうと思ったんです。高校3年生くらいの時にコンピューターを買って、人と関わらずに自分で音楽作ろうと。

元々、音楽好きでずっと様々なジャンルの曲を聴いていて、自分でコンピューターで曲を作り始めたのが自分のクリエイティブな取り組みのきっかけです。絵を描くのは全然得意ではないのですが、音楽は自然と自分で作り始めましたね。

ロック、テクノ、ジャズ、現代音楽など何でも聴いていました。自分でコンピューターで音楽を作っていることもあって、一番聴いていたのはボーカルがのっていないインストゥルメンタルのテクノ系のミュージック。

テクノって、当たり前ですけどボーカルがない=言語は関係ないので、日本のアーティストが作った曲がヨーロッパで流行ったりとか、ヨーロッパのアーティストが作った曲が日本で流行ったりということが普通にある世界で、何となく僕の中のコンテンツ・グローバル体験の原体験はそこにある気がします。

自分が言語を使わないで音楽を作っているというところに、自分なりのプライドを感じていました。言葉を使わないが故に世界に持っていけるというのがあるのでは、と思っていました。

今でいうと、DJという立場で海外で活躍している日本人もいれば、逆に海外の人が日本に来ているというのもありますけれど、ボーカルのない曲の形で音楽を自分で作ってグローバルに提供して、という世界に憧れはありましたよね。

音楽系出版社でアルバイトして、その会社に新卒で入社。

水野:大学には5年間行っていました(笑)。3年生、4年生の時は就職活動を全くしませんでした。その当時は、自分でコンピューターで音楽作ってて、それを作ることが生き甲斐で授業には行ったり行かなかったりでした。
コンピューターを使って音楽を作ったり、曲を作るのも聴くのも好きだったし、それだけできればいいなと思っていました。友達でも曲を作っている人が多かったこともあり、就職したいという発想がほぼなかったですね。
周りが就職活動をしているのを尻目にいかに我慢できるかというのをやっていたら、案の定留年しました(笑)。できるだけ引き延ばして働かずして学生でいたかった。

今思えば、働くことが嫌だというよりは、僕の中では物づくりとかコンテンツを作ったりクリエイティブな世界に関わりたいけどそっち側で仕事ができるイメージがなかった。とはいえ普通の会社に入ってというのも嫌だなと思っていました。

当時はちょうどITバブルの頃でしたがIT業界はチャラチャラしたイメージを持っていてちょっと違うなと思っていました。もちろんインターネットもやっていましたし、ネットも大好きで、自分もユーザーとしてインターネットをものすごく使っていましたが、どちらかというとIT系の会社には行かずに、ITを使って音楽作ってクリエイティブなほうに行きたいなと思っていました。

ただ、自分にはプロになれる実力もないとわかっていたので、今やっていることの延長線で仕事がないかなと思って、毎月読んでいた『DTMマガジン』というコンピューターミュージックの雑誌の出版社(寺島情報企画)にアルバイトで応募したんです。自分がその雑誌を読んでいて、何か雑誌の中で編集に関われたり、裏方ができればいいなと思って。

そこでアルバイトとして採用してもらいました。コンピューターミュージックを扱う人に対して機材やソフトウェアを紹介するという、かなりマニアックな雑誌の編集者として入りました。
ですので、元々IT業界に入ろうという気すらなかったですし、社長になるという気もなかったです。

そして、新卒でそのまま寺島情報企画に入社しました。

新規事業で着メロ関係の事業に関わり、ITビジネスの道へ

水野:やってみたら雑誌の編集ってすごく大変で、文章を書くスキルが全然なかったので、編集者としては相当低レベルでした。本当に使えないので(笑)、パシリみたいな感じです。掃除するかパシリするか。たまに文章書いて直されて怒られて。

当時、その会社が雑誌以外のモバイルのメディアを取り組もうとなった時に、社内で一番若かったというだけの理由で「着メロとかわかるでしょ」と指名されて着メロ関係の情報サイトを立ち上げました。

当時着メロサイトが乱立していたので、それを整理する雑誌みたいなサイトを作ってくれと大手携帯キャリアさんから依頼されて立ち上げたのがきっかけです。そこから、着うた、デコメ、着せ替え、占いなど、いろんなサイトを作っていきましたね。

2007年くらいから、フューチャーフォンのコンテンツビジネスは売上があがらなくなって、スマホビジネスへの取り組みをしたいと思い始めました。なのでiPhone発売日には、表参道で並んで買いましたよ(笑)。親会社の中にスマホアプリ研究開発グループが作られて、そこで1年位モヤモヤとやっていました。でも、やはりそういうグループでやっていても駄目だなと思って、別会社を作ってやりたいとなってきました。

スマホ事業は親会社と事業領域がかぶらないので、もとの業務の責任者も兼務しながら、2009年に子会社を作って社長をやらせてもらう形になりました。

株式会社アマテラス:子会社社長就任後2年ほどして2011年にクオン社設立に踏み切った背景は?

水野:子会社を立ち上げて、スマホで広告収益型のゲーム事業に取り組みましたが、収益で月商数千万円まで行きました。スマホは黎明期の事業で、その当時としては相当進んでいたと思います。

同時に、スマホ市場全体が伸びてきていることを実感していました。

僕自身はベンチャー企業の感覚が全くなくて資本のことはわかっていませんでしたが、ビジネスで接点のあったノボット(ネット広告配信会社)の小林社長が事業を成長させ、大手企業に会社を売却するなど、身近でそういう人が出てくると、スマホ市場向けのベンチャー企業が今後も可能性がありそうだな、と思いました。

やはり10年周期くらいのビジネスの流れがある。2001年からすごい勢いで伸びていたi-modeの歴史を見ていたので、スマホでまた来る、次は10年後にならないとこのタイミングは来ないなと感じていました。あれは大きかったんです。なので、起業に踏み切ったのは市場環境的なところも大きかったですよね。

自分としては、子会社は思っていたより上手く進んで、やることなくなったとまでは言わないですけど、会社を作るというプロセスも新規事業も経験できたし、スマホの事業も立ち上げることができたので、ほんとに独立するしかなくなった。

すごく良い会社で、すごく給料もよかったし、待遇には全く不満がなかったのですが満たされない何かがどんどん出てきました。

海外で事業を展開していきたいという思いもありました。寺島情報企画の子会社で作ったコンテンツはダウンロードはすごく多かったのですが国内のみで海外はそんなになかった。

いろんな要因がわーっと押し寄せてきて、ある日辞めようと思ったんです。何かが溜まりに溜まってリミットを超えたんでしょうね。で、次の日「辞めます」と言いに行きました。

その時、子会社の社長という立場でしたし、子会社で採用した人間もいたので、辞めると決めてから一人一人呼んで謝りました。2011年の6月に辞めると決めてから7月末に退職し、8月4日には新しい会社ができていました。かなりのスピードだったと思います。

株式会社アマテラス:ちょうど東北大震災の3か月後ですね、震災の影響もあったのですか?

水野:やっぱり震災の影響はあったと思います。会社が中目黒駅前のGTタワーという大きなオフィスビルの中に入居していました。そこの11階にいるときにちょうど震災が起きましたが、生きるか死ぬかと。。
すごい揺れて、ほんとにこれはもう死ぬかもしれないなと思うのを人生で初めて体験した。どうせ死ぬんだったらやっぱり1回くらいは自分でチャレンジしてみたいなというのは、起業したいくつかの理由の中の1個ではありますね。完全にそれだけの理由ではないですけど。おそらく全体的なムードというか、ちょうど2011年に起業した人の中には後押しした何かがあったと思います。

『代々木発世界へ。Quan.Incは、スマートフォンを通じて新しい習慣、遊び、文化を創り出します。』

株式会社アマテラス:会社のホームページのトップに理念が記されています。御社の理念について教えていただけますか?

水野:『文化を創る』というところをやりたいと思っています。

ゲームやエンターテイメントを作ってお金を稼ぐということををずっと取り組んでいますが僕がいろいろやってきた事業の中で面白かったと思っているのは“デコメ”なんです。

その当時の女子中高生、女子大生にデコメで文化的なムーブメントが起こった。みんながデコメをやっていて、自分たちが作ったコンテンツを日本中の人が使っていたんです。

事業としてきちんと収益を上げることはすごく大事ですが、単純に面白いだけではなくて人の生活に入り込んで使ってもらいたい。
デコメはコミュニケーションの中で使われていて、人生を左右するような恋愛の告白だとか、すごい局面でも使われるわけですよね。そういうところに入り込めるようなコンテンツを作りたい。

ただ『文化を創る』というと、NPO法人的な感じになっちゃいますけど、そうではなくて、きちんとした文化になるようなコンテンツを作って、それで収益も上げていくことができればと思っています。

根本にあるのは、僕らはコンテンツを作って、そのコンテンツでお金を稼ぐためだけにやっている訳ではない。作ったコンテンツで、それぞれの人の生活が幸せになったり元気になったりとか、毎日使ってもらい習慣化してもらい、それによってライフスタイルを少しでもリッチにしていきたいんです。

その部分と収益性の部分がうまくバランスをとりながらやっていくことがこの会社のあり方で、それを日本だけではなく世界中に広めていくことを実現したいと思ってます。

スマホ系企業が集まる『代々木系』をプロデュース。

株式会社アマテラス:『代々木発世界へ』とありますがこの思いについても教えてもらえますか?

水野:もともと代々木に思い入れがあったわけではないですが僕は人と同じことをするのが好きなタイプではないので、オフィスをどこに構えようか考えたときに、渋谷とか六本木は嫌だなと。五反田とか自分でいろいろと歩いて探して代々木にたどり着きました。

代々木の街自体、 代ゼミが駅前から少し撤退してしまったり下り坂なのですが、これから街自体がぐいーって伸びていくかも、という直感があった。あとは単純にこの近辺ではオフィス賃料が安いということがありました。

自分自身はプロデューサー属性があると思っていて、コンテンツをいろいろ作ってきましたが、プロデューサー発想だと、既に流行っているものに乗っかってやるのはあまり好きではなくて、これからいけそうなものを流行らせようとするのが好きなんですよね。
代々木という街がこれから盛り上がったら面白いかなと、プロデューサー的な視点で代々木という街を選んだ気がします。

起業するときに、『代々木系』という名前でコミュニティをつくって、近辺にスマホの会社を集めて、代々木ゼミナールと一緒に提携して、そこに毎回200人とか300人規模でスマホ関係の勉強会をやっていたんです。

日経新聞やTV(ワールドビジネスサテライト)でも『代々木系』を取り上げていただきました。最近は一緒に主催していた企業が皆成長して各社長が忙しすぎて、もうセミナーをやる余裕がないのですけれど(笑)

資金1,500万円。学生中心メンバー5人でスタート。

株式会社アマテラス:起業時には『仲間集め』、『資金』でみなさん苦労されますが、このあたりはどうされたのですか?

水野:寺島情報企画を辞めると言ってから1か月と3日くらいで起業しています。
有休消化中の土日などで全部準備して、なるべくタイムラグなくと思って立ち上げました。当然前の会社から人を引っ張って来る訳にいかないですし、一人で立ち上げました。

前の会社にいたときに、いつも夏休みの時期にサマーインターンみたいな感じで来ていた大阪の学生がいて、寺島情報企画で作っていたゲームの大ファンで「一緒に何かやりたい」といつも言っていました。起業した8月はちょうど夏休みの時期なのでその学生に連絡して「夏休みの予定空いてる?」と聞いたら「空いてます」と言うので、彼が最初の1ヶ月間、オフィスで寝泊まりしながら手伝ってくれました。

彼の周りの学生を2人集めてもらい、知り合いの新潟のエンジニア1人に業務委託で来てもらい、自分含めて計5人集まりました。

最初、資金調達をするかしないか悩んで、結局しなかったんです。自分の手金で500万と、あと銀行から1,000万借りました。前の会社の実績もあったので、融資は比較的スムーズにできました。ベンチャーキャピタルとは何社かと話しましたが、自分の資本だけでやろうと決めて、結局1,500万で100%自分の資本で始めました。

そのお金をもとでにさきほどの5人で一番最初のプロダクツ、チャットアプリ「LOUNGE」を作りました。

競合サービス、『LINE』が立ちはだかる。

株式会社アマテラス:いよいよ事業立ち上げですね。事業立ち上げではどのような壁が待ち受けていましたか?

水野:『LINE』という大きな壁にぶつかりました。起業の頃、2011年7月くらいにちょうどLINEが出たんです。
寺島情報企画を辞める頃に、チャットアプリは絶対に来るなと思っていました。ずっとデコメ事業をやっていたので、メールのコミュニケーションがどう変わっていくのかをずっと考えていました。メールのコミュニケーションは、絶対チャットで変わっていくと思っていたんです。

実はLINEがでた時は、チャットアプリではLINEよりもカカオトークが日本でも優勢で、カカオトークの日本版を作ったら絶対いけると思っていました。
なので、最初にチャットアプリを作るというのは決めていました。その時にちょうどLINEが出た。その時に見たLINEはカカオトークそっくりだったので「これカカオトークじゃん」と思って、そんなに深く意識はしていませんでした。

少ないメンバーでなんとか最初のチャットアプリをリリースしたのは2011年11月でした。翌年の2012年の春くらいに最初の闘いがくるなと思っていました。

ただ、LINEが圧倒的に強かった。今でも忘れないですがLINEが2011年のちょうど11月くらいに、タレントのベッキーを利用してテレビCM始めました。多分、みんななんとなく覚えてると思いますが。

あの当時、僕は全く予測ができなかったんです。1円も稼いでいないアプリでテレビCM打つなんてありえないと思っていたので。
2012年の春くらいに闘いが来るだろうなと思っていたのが、前倒しで2011年11月か12月に来てしまった。そのタイミングでLINEが相当なお金をかけてユーザーを100万人くらい獲得してしまった。もうどうしようもなくなりました。資金調達も何も考えている暇もなく、LINEが1か月くらいでユーザーを持っていってしまった。

LINEは無料通話で打ち出していましたが実態は無料通話よりもスタンプが利用されていたと思います。無料通話とスタンプを上手く使い分けて、チャットを一気に普及させたんです。

差別化するためにサービスを女性ユーザー向けにしたりとか、海外ユーザー向けにしたりとか、いろいろ取り組みましたが、やってもやっても全然ユーザー増えていかなかったですね。この半年位が本当にきつかったです。

僕らの中では、同じ分野で一番手、二番手、三番手くらいまで生き残るというイメージがありましたがこのジャンルは一番手しか残らなかった。
今、どこの国でもそうですけれど、ネットサービスではナンバーワン以外は生き残りが難しい。

全然売上はあがりませんし、チャットアプリはお金が出ていく一方でほんとにお金がなくなって、1,500万円くらい一瞬でなくなるんだと思いました。

いくつか仲のいい会社がスマホ事業を立ち上げるからコンサルしてほしいと相談されていたので、コンサルをしながらお金をつなぎました。

ほんとは、チャットアプリのような(先行投資型の)事業モデルをやるのであれば、ベンチャーキャピタルから調達したらいいのでしょうけど、当時は自分の好きなことを外部に文句を言われずにやりたいので1,500万円が尽き果てるまでやろうと思っていました。

『Tech in Asia』のイベント参加を機にアジアシフト。事業が軌道に乗り始める。

株式会社アマテラス:どのように会社を復活させていったのですか?

水野:きっかけは『Tech in Asia』というシンガポールで開催されたテックイベントです。そこにブースを出展してアジアの人たちと話した時に、自分たちのチャットアプリが、どちらかというとアメリカよりアジアの人に受けるんだということがわかったんです。

日本っぽいテイストや、かわいいテイストが売りのアプリだったので、もう思い切ってアジアシフトして、日本っぽいかわいさでどんどん押していった。チャットアプリだけだと良さが伝わらないので、チャットの中のスタンプのところだけ切りだしたスタンプアプリを作ったり、そういうニッチなところもやっていきました。

チャットのプラットフォームを作るのは一旦諦めた、というか置いておいて、プラットフォーム下のコンテンツレイヤーの所でコンテンツ提供事業を始めました。

自社でスタンプを作ってユーザーに提供したり、ユーザー自身でスタンプを作れるアプリを作ったりしました。そのスタンプをLINEのチャットで使ってもらう、という感じです。日本っぽさをより強調してかわいい系にシフトしたのは、2012年3月春くらいです。

売上はすぐには上がらなかったのですがダウンロードがとにかくワーッと伸びました。無料アプリだったのですがタイや東南アジアの国々でApp Storeの1位とか2位になりました。
最初の自分たちの経営課題として売上よりもまずはアプリがダウンロードされていないという部分がありましたが、それは突破できた。

このモデルでいけば、売上は上がらないけれど、元々やろうとしていた海外の人にダウンロードしてもらえるということはわかったので、そこで1つ気が晴れたというか、少し鉱脈が見えたんですね。このモデルだったらもっと横展開してサービスを作っていけるかなと。
とにかくスタンプ系、チャット系、デコメ系、作り続けていけば売上はさておき、海外ユーザーにリーチできるかなと思ってやりました。

それが2012年の6月くらいです。事業の道が見えてきたこのタイミングで初めてベンチャーキャピタルから資金調達しました。

株式会社アマテラス:ようやく事業の道筋が見えてきたところですね。収益化はどのようにされたのですか?

水野:資金調達してアジアでもダウンロード数が何百万とすごく増えましたがなかなか収益につながらない。
カメラ系のアプリと同じで、ダウンロードはすごくされますが収益につながらない、、あれと似たような感じで。
東南アジアでダウンロードされているので、なんとか東南アジアでビジネスにしたいなと思いました。自分で東南アジアのテック系メディアに売り込みにいって、App Storeの1位になってるから取り上げて欲しいとお願いしましたね(笑)。

結局、2012年の4月くらいにタイのテック系メディアや新聞に載せてもらえました。向こうのメディアの人に自分で売り込みをかけて認知度はすごく高まったのですがとにかくお金にならない。毎月とにかくシンガポール、タイ、インドネシアなどアジアに飛んでPR活動に励みました。

その中でも一番タイが日本のコンテンツのかわいいテイストの受けが良かったので、自然にタイにフォーカスしていきました。ダウンロードしてくれるユーザーのほとんどはタイ人や東南アジアの人でしたが、お金にならないこともわかってきてどうしようかなと悩みました。

で、4か月も5か月も毎月通っていると東南アジアのスタートアップ経営者やメディアの人と仲良くなるんですよ。そうこうしてると彼らから、「水野さん、毎月タイに来てるけどちょっと冷静になれ」、「タイより日本のほうが儲かるから。」と言われたんです(笑)。

「そりゃそうだよね。でも僕は海外でやりたいからこの事業をやってるわけで…」と言うと、「そうだけど、せっかくだから、俺の友だちがゲーム事業をやってるから、そのゲームを日本で展開するのを手伝ってくれない?」と言われて、向こうからゲームをもってくるというパブリッシングの事業を始めたんです。

一番最初に取り組んだのが『Unblock Me』という当時6000万ダウンロード、今では1億くらいダウンロードされているパズルゲームです。その会社があるタイのチェンマイまで会いに行って、10人くらいの小さいチームですが、そこのゲームを日本で展開することになりました。

日本におけるプロモーションやマーケティングなど全部請負って取り組んだところ売上が月に数百万円ほど立ったんです。

今までは苦労してPRして、タイで広告収入が月10万円くらいだったのが、やっぱり日本の市場は大きいなと思いましたね。日本で作って日本で売ることはもう十分やってきていますし、まずは、東南アジアの会社と組んで彼らのコンテンツを日本で売るところから価値を作っていこうかと思いました。

そこからしばらくは、タイの会社、インドネシアの会社、その辺のアジアのゲーム会社をひたすら回って、自分たちのスタンプとかキャラクターのコンテンツの話をするのですがそのついでに彼らのコンテンツやゲームを日本で売る話もしてくる。輸出と輸入を両方やるというモデルを始めました。

そのおかげで、収益が安定してきました。自分たちはスタンプとかキャラクターとかコンテンツをアジアに輸出しますが、一方でパブリッシャーとしてアジアのゲームやコンテンツを引っ張ってくるという形ができて、うまく循環するようになってきました。

売上がどんどん伸びていきました。ゲームのパブリッシングが上手く回りだすと、今度はコンテンツ提供先も広がってきました。 そういう形で、スタンプをTencent(中国のSNSサービス大手)や米国Facebookにも出せるようになりました。

株式会社アマテラス:今後の事業展開について教えていただけますか?

水野:地域でいうと、東南アジアは全て押さえたいと思っています。今、タイでは、コンテンツに関する輸出入両方やっています。僕らみたいな、東南アジアから日本にコンテンツを輸入するという会社は珍しいんです。そのルートがすごく成熟してきて、いい関係が構築できて、今度は日本から東南アジアにコンテンツを輸出することを始めました。

最近は日本のコンテンツ系の会社で東南アジアに進出したいという会社が凄く増えました。そのような会社からクオンに任せたいという声が増えてきていて、コンテンツを預かって、クオンが東南アジアで販売するというビジネスも取り組み始めています。

東南アジア、特にタイからコンテンツを輸入して日本で売ってきましたが、今後は輸入から輸出へ切り替わってくる。コンテンツ流通業のこのビジネスモデルを今後はインドネシア、その次はベトナムでやろうと思っています。

そのためにもまず最初にコンテンツ商社的な機能を各国に拠点をつくってやっていきたいです。

その次に、自社のキャラクターとか自社のコンテンツの認知度を広めていきたいですね。これは結構当たり外れがあるのですが。

このベースになるのはコンテンツ流通業だと思っています。

株式会社アマテラス:コンテンツ流通ビジネスについてはわからない方も多いと思いますので教えてもらえますか?

水野:スタンプ提供サービスは有料・無料と両方ありますが、完全に無料というケースはほとんどないです。基本的にはエンドユーザーが無料でスタンプを購入しても、コンテンツ提供企業は(LINEやfecebookなど)プラットフォームからライセンス費としてお金をいただいています。

例えば、クオンのキャラクターコンテンツの権利(ライセンス)をプラットフォームに有料で貸して、そのコンテンツをプラットフォームが1年間とか2年間の契約期間に自由に使えるというものです。

クオンが1個キャラクターを作ったら、そのキャラクターをアプリチャットにも出せるしFacebookにも出せる。キャラクターを作ること自体にちゃんと力を入れてやれば、同じキャラクターをいろんな国でどんどん出せるのです。

ゲームとスタンプのコンテンツの作り方はちょっと違うところがあります。スタンプは、コミュニケーションの中で使われるので、相当な頻度で使われます。一度気に入ったスタンプって繰り返し使いますよね。
実際、WeChat(中国のTencentが作った無料インスタントメッセンジャーアプリ)内で、クオンが提供しているスタンプは1億ダウンロード以上です。

ゲームや他のコンテンツを作っているのも、キャラクターをさらに拡大していくという意味で、横でつながっていろんなジャンルのコンテンツを作れたらいいなと思っているためです。コンテンツビジネスの核になってくるところは、キャラクターやライセンスになってくると思っています。

柔軟性があり、グローバルな感覚を持ち、事業を創れる人材求む。

株式会社アマテラス:クオンさんが求める人材像をおしえていただけますか?

水野:事業をつくれる人がまだ不足しています。海外の拠点をつくったり事業をつくったりできる人が必要です。またグローバルに展開していきますので、グローバルな感覚をもっていることも必要です。英語が流暢に喋れなくてもOKです。世界をフラットに見れる。要するに、東南アジアが成長することをなんとなく理解していて、自ら海外に行くこともそんなに嫌じゃない、むしろ海外に赴任したいなくらいの感覚を持っていて、かつ、自らの技術をもって日本発のコンテンツを発信することに興味があるような人に来てほしいですね。

一番重要視しているのは柔軟性です。あまり体育会系な社風ではないので、誰々がこういうのを決めたからこれに向かってやっていくぞ、おー!みたいな感じはないです。それぞれの自主性を重んじてやっています。
方針がこう変わりましたとか、明日からタイじゃなくてインドネシア向けにやりますとなった時に、柔軟に対応できるというところは必要かなと思います。

株式会社アマテラス:クオンさんで働く魅力を教えてください。

水野:自主性と言いましたが、結構現場に任せています。もともと自分がクリエイティブなものを創りたい側の人なので、アウトプットが出てくるまではほとんど口出ししないです。作っている最中に口出しされるのは作り手からすると本当に嫌なのでそれはしないのと、いいアウトプットが出てこなかったとしても結構我慢はしますね。現場を信頼して、現場のつくりたいように、やり方とかも自由にやってもらってます。

僕自身はエンジニアではないですけれど、エンジニアからは「エンジニアではないのにエンジニアのことをよく理解してくれているのでありがたい」とよく言われます。
それは単純に自由にやってもらって、最後は自分が責任取ればいいんだと思っているからですね。

労務環境はかなりいいと思います。インプットがないとアウトプットできないと僕自身は思っているので、なるべく働く時間と遊ぶ時間をわけて、クリエーターには休む時は休んでリフレッシュしてほしいと言っています。

中国のTencentのようなアジアのトップIT企業ばかりと仕事をしていることも魅力だと思います。そのような企業の幹部と直接交渉したりすることは大変なこともありますが、なかなかない機会だと思います。
そのような会社とのリレーションシップは今後5年10年と考えた時に、より価値あるものになっていくと思います。

あと手前味噌ですが、自分自身のコンテンツビジネスに携わってきた経験をどんどん仲間に引き渡しているところなので、そのノウハウや知見はプラスになると思いますね。
実際に、TencentやFacebookに対しデコメで培った自分の経験を切り売りしているコンサルタントみたいな感じです。彼らからすると、日本でコンテンツの経験を持っている人と組みたいというのがある。そのニーズがあるうちに陣地を広げながら、その中で自分たちオリジナルの価値の高いコンテンツを提供して、さらにその基盤を強化していきたいですね。

あとは、テクノロジーを使って、コンテンツ流通を整理したり、キャラクターとかライセンスの流通を整理するような事業をやろうと思っています。
そういったところまで作ることができれば、自らコンテンツを作っていくところと、コンテンツをつくる人の流通を整理するところと、両方きちんとやって、最終的にそれがコンテンツを通じて文化を創っていくところに行きつくのかなと思っています。

キティちゃんのようなキャラクターを創り、そのコンテンツを流通する仕組みを創りたい。

株式会社アマテラス:水野さんの夢は?

水野:自分たちでサンリオのキティちゃんみたいなキャラクターを作りたいと思っています。それと同時に、そのコンテンツをもっと簡単に売るような流通の仕組みをつくりたいと思っています。

例えば、地球の裏側、ブラジルに個人のアプリ開発者で1000万ダウンロードのユーザーを抱えてる人がいたとして、その人がキティちゃんのキャラクターを使いたいと思っていても簡単には使用できないと思います。双方のニーズはマッチするはずなんですが、交渉の窓口が複雑だからです。

これをテクノロジーの力を使ってきちんと解決してあげれば、必要な人に必要なキャラクターを使ってもらうことができるんじゃないかなと思っています。

そのためには、自分たちで有名なキャラクターを作りたいですし、同時に、そのコンテンツを流通する仕組みをつくりたいなと思っています。

株式会社アマテラス:水野さん、素敵なお話ありがとうございました。

edited by 藤岡清高

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