CEO INTERVIEWS

起業家インタビュー

Vol.55
2016年07月29日
株式会社TABILABO | 代表取締役  久志 尚太郎 氏

株式会社TABILABO
代表取締役 久志 尚太郎 氏

"TABI LABOは新しいコンテンツ流通メディアを創る。本当に困った時に助けを求め、発信できるという
フェアな環境を作り上げていくことが重要だと感じています。"

はじめに

”情報の流通経路を変え、必要な人に必要な情報を届けるシステムを作ることで、
本当に困っている人を救うことが可能となる”と語る株式会社TABILABO 久志尚太郎社長。

そんな久志社長に生い立ちやTABILABO創業のエピソードなどを伺ってきました。

株式会社TABILABO
代表取締役 久志 尚太郎 氏
(くし しょうたろう)

【経営者略歴】
2001年06月 Oxford High School 卒業
2001年09月 Mt San Actonio College入学
2001年12月 Mt San Actonio College退学
2001年09月 WEB アパレルEC事業にて起業
2002年05月 日本帰国。帰国後はフリーランスネットワークエンジニアと外資系金融企業のITプロジェクトに参画
2003年12月 Dell株式会社法人営業部入社 Sales、Sales Leader
2005年12月 Dell株式会社法人営業部退職
2007年12月 Dell株式会社法人営業部復職 Sales Leader、Sales Manager
2010年06月 Dell株式会社法人営業部退職
2011年03月 Npo法人Rainbow Tree 創業
2014年01月 株式会社number9創業
2014年05月 株式会社TABI LABO創業

  • MISSION

    モバイル時代に最適化されたコンテンツ流通加工の実現

  • 事業分野

    マスコミ・メディア

  • 事業内容

    インターネットメディア『TABILABO』の運営

  • 設立

    2014年5月

  • 社員数

    26名(契約社員・アルバイト含む)

  • 企業URL

    http://tabi-labo.com/

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起業家紹介

久志 尚太郎 氏

“自分は人と違う”と意識して育った少年時代

株式会社アマテラス:久志さんの生い立ちについて教えていただけますか?

株式会社TABILABO 久志社長(以下久志):私は、1984年7月1日生まれで、その頃はマッキントッシュの登場や、DELLの創業等パソコン元年の時代です。コンピュータが一気に普及し始めた年が1980年代でした。実は、私の父はIT起業家で、私が生まれる前からコンピュータやITのベンチャーに携わっていた人でした。なので、基本的にインターネットやコンピュータなどは幼い頃から私の近くにありました。
幼い頃から外国の人のような見た目でハーフみたいな顔立ちをしていました。

「かわいいね」、と褒められることもあるのですが、一方では毛深くて自分は人と違って変だという様々な悩みを抱えていて、自分の中に常に矛盾し、相反する二つの感情を抱えて育ってきました。
その自分の中の相反する気持ちが、自分の中の当時の大きな悩みで、おそらく普通の人は抱えないような悩みだと思います。
ビジュアル面で人と違うと判断されるので、自分は人と違い変だ、自分とは一体なんなのかという感情を抱えて大きくなっていきました。このように人と違う事を受け入れる事に必死な幼い頃を過ごしていました。
今思うと、一つの物事を見る際に決して賞賛されるものばかりではなく、人の見方によって色々な見え方も存在し、自分の中で良いものと悪いものの両方を持っている状態が人間として正常な状態だという事に気づくきっかけとなったと思っています。

人と違うという事が常に前提にある中で、今でも大事な言葉として残っている、小学校の頃に父から伝えられたメッセージが2つ存在します。
一つ目からお話し致します。
父は沖縄出身で、頻繁にイスラエルに出張へ行っていました。また、父の父親が3歳位の頃に亡くなっていて、彼は片親でした。
その父は言いました。
「イスラエルを見てみなさい。イスラエルの人たちは4000年前の事や旧約聖書に載っている時代の事を昨日起こった事のように話す。東京を見てみなさい、お前の周りにいる人達は、今まで何10代、何世代とここで生きていて積み上げたものがある。

自分達を見てみなさい。俺とお前はたった2代だ。お前が周りの人と同じようになる為には、人の10倍努力しないと、一人前になれない。それは、周りの人達やイスラエル人は何世代もかけて、積み上げてきたものがあるからだ。だからお前は人の10倍頑張れ。」

私はこの言葉を頂いてから、どうしたら人の10倍頑張れるのかを考え始め、フィジカルにおいては、人の3倍は頑張れても10倍は頑張れない。では、人の10倍頑張り、かつ結果を出す仕組みはどのように作れるのかという点に対して小学生の頃から意識して考えていました。

その後、私が高校へ入学し卒業する際も、起業した際も自分のキャリアにその時のメッセージは繋がっていきました。

二つ目は、父が駅伝部にいた頃に、当時の監督に言われた言葉です。
「走って走って走って走って、もう走れないと思ってからが練習の始まりで、それまではただのウォーニングアップだ。」
という言葉です。もう走れないと思ってから、一歩二歩三歩進んだものがその人の血となり肉となり、本当の力になる。それまでは、ただのウォーニングアップで、一歩前進ではなくて、ただの現状維持であると小学生の頃から父に言われていました。

このようなメッセージを頂いて育ち、かつ自分は変わっているという事を肯定しなきゃいけないという思いを抱えて小学校時代を過ごしていました。

有名中学校に進学するが1年で中退。高校からアメリカへ。

久志:こうして、進学校の中学に入学しますが、一年で中退してしまいました。
面白くなかったからです。

その中学の皆が持っている考え方やそこにレイヤーの人達は自分にとって刺激もなければ興味もなく、進学校とはこんなものかという気持ちになっていました。ここでは、私が6年間過ごしてもなにも残らない。
今の自分以上の存在にはなれないと感じました。

そして中学校一年生ながら、自分の意思で学校を辞めて、地元の公立に戻りました。
親には反対されました。学校からもものすごく反対されました。別にいじめられていたわけではなく、問題があったわけでもない。むしろ、バスケット部の一年生のキャプテンでした。
しかし、それでも振り切って学校を辞めて、真逆に行こうと決めました。

自分の考え方の一つなのですが、壁や超えられないなにかに直面した際には、それを乗り越える努力は行いますが、真逆に振ってみる事を大事にしています。
細かい軌道修正するのではなく、思いっきり違う方向のことを行ってみる事を会社の方針でもそうですし、私自身も大事にしています。
そうすることで人生の振れ幅を広げ、アウトプットがよくなることに結びついていくと確信しています。

この中学には何もないので、ここで一番を目指しても意味がないと考え、ではここの真逆とはなんだろうと考えた時に、中学一年生の頃の自分は、このレイヤーの真逆は金髪だと考えました(笑)
中学校二年生の時に茶髪にして地元の中学校に戻りました。
不良になりたかったわけではなく、自己表現や自分らしく生きるということを追求してみたかったのが理由です。
見た目は不良で、一年生の段階で二年生、三年生の勉強をしていたので、授業に行かなくていいと考え、ふらふらしていました。そうして、だんだん悪い人たちと遊ぶようになっていきました。

当時は進学校エリートの反対は茶髪の不良なので、不良の世界を見てみようと考え、不良という真逆の世界を見てみました。
私は、自分が何かを知りたいと思った時に、自分が体験してみることを常に行動指針に置いています。要は、した気にならない、やってみないとわからないというのが前提にあって、こうしてみたいと思った事は全部行動する事を大事にしています。
中学卒業後、アメリカに渡り、現地の高校に編入し翌年卒業しました。
1年で高校を卒業したことになりますが、アメリカでは単位を獲得すれば卒業できるので周囲の協力を得ながら努力しました。
そして近くの大学に入学しました。

アメリカ滞在中に9.11テロ発生。大学を中退し、起業。

久志:大学へ入学するとすぐに衝撃的な出来事が起こりました。9.11テロです。

今までの、アメリカ市場主義、経済至上主義だったものが、転換期を迎えたと感じました。節目だと。
それまでのアメリカは私の記憶の中では、アメリカ最強、アメリカ万歳のような雰囲気を感じていました。しかし、それが崩れ、そのような時代ではないと確信しました。では、次の時代はどうなのだろうと考えた時に当時の自分では思いつかず、加えてアメリカの大学は専攻をきちんと決めないといけないのですが、専攻を決めきれませんでした。17歳でしたし、9.11テロにより時代も変わってしまったので。
そこで、大学へ入学したものの、やめて起業しようと思い、すぐに退学しました。

実は私は、高校生の頃にビジネスモデル作りに関わるアルバイトを行っていたのでどのようなビジネスが成功するのかを考える機会がありました。そうしてアメリカで自分のビジネスをスタートさせました。

まず古着のビジネスを立ち上げました。
現地にいる日本人に対して古着を安く売り、日本にも売るというビジネスです。
販売経路としては、インターネットと、ガレージセールのようなもので、勝手に場所を作って売っていました。
他にも、日系のパン屋さんの仕事の手伝いとしてどうやったらもっと売れるかなどを考える仕事もしていました。

古着ビジネスの原点は、実は中学校の頃です。フリーマーケットなどで安く洋服を仕入れて、自分がそれを実際に着てかっこいいというブランディングをして、友達にそのシャツを高値で売るようなことを行っていたのでその経験をベースに始めました。

株式会社アマテラス:この先このままで良いのかという不安はなかったのですか?

久志:一切不安はありませんでした。これからの時代はこうしていくものだと確信していましたから。
どのようなことかというと、9.11テロ後に自分の道は自分で切り開かないといけないと感じました。
今まで正解だったものが、また今まで良かったものが、不正解だとか間違いだとか言われる時代が来た。というのが911テロの第一印象でした。

アメリカが攻められる事など、考えもつきませんでしたし、あんな大きなテロが起こるなどそれまで誰も考えていませんでした。
しかし実際にそれが起こった。今まで正義だったものが、否定された。
今まで善だったものが見方によっては悪で、悪に見えていたものが見方によっては善だった。
そのひっくり返る感覚をその時すごく感じて、これから何をしなければいけないかという正解を自分で作らなくてはいけない。自分の道は自分で切り開いていこうと思い生きていたので、その時は自分がヒーローのような気分でした。

日本帰国。社会に居場所を探し職を転々とし、DELLへ。

株式会社アマテラス:アメリカで旅をしながらの生活をどれほど続けていたのですか?

久志:おそらく1年もないですね。そのような生活を送った後、日本に帰ってきました。
なぜなら、今では当たり前となっていますがカフェとアパレルを掛け合わせたようなビジネスを
日本で展開したいと考えたからです。

しかし、日本では出来ませんでした。
親から、大反対を受けて、店舗を借りる際の保証人に印鑑を押してもらえませんでした。
さらに、家を追い出されました。
それからしばらくは地獄でした。古着のビジネスができない以上、どのようにして生きていこうか考えていました。

私のその頃のキャリアは日本では全く通用せず、高校中退の若者と同じ扱いです。どのようにして社会の中で生きていくかを模索していました。

18歳くらいの時に、様々な仕事を行いながら考えた結果、もう一度ちゃんとITの世界へ戻ろうと決めました。
私は幸い、英語が話せて、かつコンピューターの事も大まかには理解出来る。なので、ネットワークのエンジニアになろうと考え、ネットワークのエンジニアをやり始めました。
エンジニアリングスキルは大したことはなかったのですが、エンジニアリングと英語が両方できる事で重宝され、エンジニア系の会社と契約して、外資系証券会社や、米軍のプロジェクトなどに出向してプロジェクトに参加する仕事を行っていました。

結果、社会の中で稼げるようになったのですが、シスコシステムズの検定試験(シスコ技術者認定テスト)に1点足りず落ちました。自分はエンジニアに向いてないのではないかと思い、そのプロジェクトが終了したタイミングで当時もっとも勢いのあった外資系PCメーカーのDELLに法人営業部のセールスとして入社しました。この時、19歳でした。

株式会社アマテラス:DELLに入社後、トップセールスとして活躍し、また世界を旅されDELLに戻っていますね。

久志:DELLに入社してからをお話しいたします。
19歳から21歳までのDELLでの2年間では、当時のDELLのトップセールスにまでなる事が出来ました。
しかし、体調を崩し、2カ月ほど入院する機会があり、その入院をきっかけに死というものの存在が改めて近くに感じました。よく、毎日人生最後の日のように生きなさいと言いますが、まさにそうだと思いましたね。
そのように生きなければいけない思い、21歳の時にDELL社を退社しました。

そして、また2年間世界を旅していました。
当時やり残していたことは二つでした。
一つ目は、学校でちゃんと勉強するという事。
二つ目は、日本とアメリカしか知らなかったので、世界が変わるとはなんなのかという答えを自分の目で見る事です。

9.11が変えた価値観。消費社会ではなく自分で作る時代へ

久志:そうして、2年間の世界旅行をスタートいたしました。
最初の半年間は経済成長著しいBRICs(Brazil, Russia, India, China, and South Africa)に興味を感じていたこともあり中国を徹底的に見て回りました。

しかし、中国では経済発展が主で、それは昔日本が行ってきた事であるし、アメリカはそれで崩壊した。
中国にはヒントがないと考え、真逆の違う旅のスタイルへと変えて、世界中のヒッピーコミュニティを回る事にしました。

ヒッピーコミュニティには様々なヒントがあり、道中に私の結論は出ていました。
9.11テロの時に感じた事に加え、これからの時代は、与えられるものを消費するのではなくて、自分が欲しいものを自分で作る、自分で切り開いていくという事が必要なコンセプトであるということに確信しました。どのような事か言いますと、日本では遊びや価値観や概念など、様々なものを与えられます。

遊びとしても、カラオケにいくのではなくギター持って、焚き火の前で自分で歌う。これは遊びを作っている事だと思います。家や食べ物を自分で作っている人が世界にはたくさん存在しています。

しかし、東京や日本の中では、与えられたものを消費する事が主で、仕事も含め、価値観も、文化も与えられている。それが、当たり前になっている現状があります、そうではなくてそれを作る。
自分が良いと思うものを自分で作り上げる事の重要性を実感しました。

今は、何が正解で正義かがわからない中で、かたや盲目的に飼いならされ、消費をしてしまっているけれど、そうではなくて、自分が必要だと思うもの、欲しいものを自分で生み出す、作り出す力がこれからのコンセプトだと思いました。

その後、23歳の時にまたDELLに戻り、マネージメントに携わりましたが、しばらくして退職しました。

TABILABOが生まれた背景。コンテンツ流通の革命が起こっている。

株式会社アマテラス:現在、TABILABOのVISIONは「モバイル時代に最適化されたコンテンツ流通加工の実現」ということですが、このVISIONはどのように生まれたのですか?

久志:DELL退社後からお話します。宮崎県にの串間市へ移住して、自分で作るという旅をしていた際に考えていたコンセプトを実際に表現しに行きました。まず、食べ物や家を自分で作ってみようと考え、その生活をスタートさせました。

ところが、現地である問題が発生していることを知りました。
どうにかしようと私は署名運動を起こし、数万人規模のフェスを企画しましたが、結果的に開催することが出来なくなってしまいました。

その時に、私は山の上に住んでいたのですが、山の上からTwitterで署名運動を拡散しました。
Twitterで拡散して、印刷して署名してもらうスタイルだったのですが、一週間で多数の署名が全国から集まりました。

その時に私は、コンテンツ流通の革命が起こっていることに気づきました。
それまでは、多くの人にきちんとした情報を届ける為にはテレビや雑誌やラジオといった既得権益に則ったメディア網のみでした。これらを使わずに多くの人にコンテンツをリーチし、影響を及ぼす事は不可能と思っていましたが、新しいコンテンツ流通メディアの仕組みを作る事により多くの人に本当の情報を届けて社会にインパクトを起こすことができる事に気づいたのです。
ムーブメントが起こり、今までなら届く筈のなかった情報が多くの人にリーチされ、かつ署名という形でレスポンスが返ってきたのは事実です。

本当は問題が様々ところで起こっているのですが、それを届けられなかったり、届けるにはメディアの力が必要であったりと、埋もれてしまっている情報や重要な事実がありました。しかしそれは、然るべき形にコンテンツをフォーマットして、然るべき形で届ければ多くの人にコンテンツを届けることができることに気付きました。これが現在私がメディア事業を行っているきっかけになっています。

そこで、東京に戻ってきた際に、自分がやるべきことを思い返し、海外の情報が日本に全然届いていないという問題意識と、新しいメディアの在り方がこれから必要とされていて、それは本当に起こっていることを、または困っている人の情報を多くの人に拡散できるような新しいメディアの仕組みにすることだと感じてこの事業を始めました。

株式会社アマテラス:TABILABOは久志さん自身の原体験から始まっているのですね。

久志:問題としては、コンテンツの形が流通経路に合っていなかったり、または流通経路における重要な形成符を加味していなかったりすると、コンテンツが必要な人へ届かないことがあります。しかし、最適な形にすればコンテンツは自然に多くの届くべき人に届くと私は思っています。

お金をかけなくても。それを実現することによって、宮崎県にいても自分のような困っている人の問題が解決されて、困っている人を救うことが可能となり、さらに多くの人が知るべき本当に起こっていることを伝えることができると考えています。

これからTABI LABOは世界を見ていきますが、世界に出る事や今どこにいるかというのは、重要ではなく、私たちがその中で、日々どういう情報を受け取って、本当に困った時に世界中に助けを求め、発信できるというフェアな環境を私たちが作り上げていくことが重要だと感じています。

株式会社アマテラス:久志さん、素敵なお話ありがとうございました。新しいコンテンツ流通メディアの構築、応援しています。

edited by 烏山尭

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