株式会社CACTASは、アジア17か国の副業人材/フリーランスのリソースとデジタルマーケティングのノウハウを融合し、ユーザーの課題解決を目指す企業です。
動画ソリューション事業やYouTubeやTikTokをはじめとするSNSマーケティング支援、副業人材/フリーランスの紹介事業など、「HR×デジタルマーケティング」の領域で幅広いソリューションを提供しています。
CACTASという社名はCACTUS(サボテン)の”A”を”U”に変えたもので、「U(あなた)をA(会社の切り札、エース)に」という意味が込められています。「世界中の働くを、たのしく」というミッションは、誰もが好きなことにチャレンジでき、自分の人生の軸を持って最適な選択ができる世界を作りたいという思いを表しています。
代表取締役の青木英佑氏は、起業家である父の影響を受け、スタートアップの世界に興味を抱きました。そして、大学入学後には周囲に「必ず起業する」と固い決意を伝え、26歳でその思いを実現しました。
しかし、起業直後から資金繰りや新規事業の立ち上げなどにおいて、何度も大きな壁に見舞われます。
今回のインタビューでは、創業までの道のりや起業後の苦労から学んだこと、そして青木氏が描く未来像についてお話を伺いました。
若い経営者や起業を考えている方々に、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
代表取締役
青木英佑氏
同志社大学に入学後、学生向けリゾートバイト事業等、複数のビジネスを興す。
卒業後、サンフランシスコに留学し、デトロイトで日系企業の支社立ち上げに携わる。
帰国後、大手PR会社に新卒で入社し、2018年に株式会社CACTASを設立。
動画を軸としたクリエイティブ制作事業に始まり、副業人材のマッチング事業やコミュニティ事業など、複数の事業を展開している。
株式会社CACTAS
https://cactas.co.jp/
- 設立
- 2018年02月
- 社員数
- (従業員数)11 〜 30人
《 Mission 》
世界中の働くを、たのしく
《 事業分野 》
HRTech / コンサルティング / マーケティング
《 事業内容 》
CACTAS(カクタス)はアジア17カ国/ 3,000名規模の副業人材/フリーランスのリソースとデジタル/ クリエイティブ/ テクノロジーのノウハウを融合して、企業課題を解決する会社です。
動画ソリューション事業『MOBAL(ムーバル)』に始まり、企業のデジタルマーケティングコンサルティング、YouTube/ TikTok/ Instagram/ Xの運用代行、副業人材/フリーランスの紹介事業まで幅広いソリューションを提供しています。
- 目次 -
中学時代に父が起業し、次第に興味を抱き始める
はじめに、青木さんの生い立ちや現在の仕事に繋がる原体験などをお聞かせ下さい。
兵庫県神戸市出身で、両親と私の3人家族で育ちました。
父は料理人でしたが、私が中学に入学する頃に父が起業し、その後上場企業のオーナー社長となっています。
小学生時代はムードメーカーで、人を笑わせたり場を盛り上げたりするのが大好きな子どもでした。一方で周りの目を気にしたり空気を読んだりする繊細なところもあり、中学ではストレス性の胃腸炎に悩まされたこともあります。
高校入学後は野球部とバンド活動に没頭する日々を過ごしました。特にバンド活動に熱中し、担任からは「成績が落ちているから、野球かバンドどちらかにしなさい」と言われ、迷わずバンドを取ったくらいハマっていました。結果、大学受験は失敗して浪人することになってしまったのですが(笑)。
現在の仕事に繋がる経験として思い出すのは、やはり父の起業です。
父はフィリピンのエンジニアを活用したオフショア開発から事業をスタートし、現在はM&Aを通じてグループ企業に成長しています。
当時は事業内容を深く理解していたわけではありませんが、家の車が徐々に高級になっていくことで「成功しているのだろう」と子どもなりに感じ、私も次第に起業や事業家という生き方に興味を持つようになっていった気がします。
また、その頃はインターネット黎明期でもありました。時代の寵児となったサイバーエージェントやライブドアなどのベンチャー企業に憧れを抱き、浪人時代には勉強の傍ら起業関連の書籍を読むことが増えていきました。
起業家であるお父様の姿を間近でご覧になっていて、印象に残っていることはありますか?
特に印象に残っているのは、上場前の父の姿です。普段は家族に苦労を見せなかった父が、上場前には急な休日出勤などで関西に帰って来れない日も多くなり、いつになく疲れた表情を見せていました。その姿を通じて、上場の大変さを実感しました。
大学ではイベントサークルや事業立ち上げなどを経験する
大学では、入学直後に京都大学や大阪大学とのインカレイベントサークルを立ち上げました。この頃には「いずれ起業したい」と考えるようになっており、組織運営や大規模イベント開催を通じて、小さなビジネスの経験を積みたいと思ったのです。
また、リアルなビジネスを試したいと考え、サークルで構築した数万人のネットワークを活用して、リゾートバイトや家庭教師の斡旋事業を立ち上げたこともありました。
大学の後半に差し掛かると、起業をより本格的に検討するようになります。
ある時、リクルート社の「スタディサプリ」のようなビジネスを考案し、自ら作成した事業計画を実業家の方に直接プレゼンする機会を得ました。
そこでプレゼン内容以前の問題として問われたのは、「莫大な資金を投じ、自分の人生をその事業に捧げる覚悟があるのか」ということでした。「優れたアイデアがあれば事業はきっと何とかなる」と考えていた自分の甘さや経営の現実を突きつけられ、起業の夢を一旦先延ばしにする決断をしました。
グローバル企業の広い視野を体感できたアメリカ留学
起業を見送った私は、一旦原点に立ち返り、「今の自分に欠けているものは何か、それを克服するために何ができるか」を真剣に考えることにしました。
数万人のネットワークがあるとはいえ、会社に所属した経験もない学生の私にできるのは、個人事業主として小規模なビジネスを行う程度でした。事業をスケールして大きな組織を築いていくノウハウは持ち合わせておらず、早晩限界が来ることは明らかでした。
当時の私には「いずれグローバル企業を作り、世界に挑戦したい」という夢がありました。それを実現するためにも、若いうちに多くのことを学ぶ必要があると考え、多くのグローバル企業が存在するアメリカへの留学を決意したのです。
アメリカ留学では、どのような学びがありましたか?
語学力の向上や新しい友人関係の構築はもちろんですが、アジアやヨーロッパまで事業を展開しているグローバル企業の経営者との交流などを通じ、アメリカの広い視野を体感できたことは大きな収穫でした。また、世界のどこを目指すかに関わらず、英語は重要であることも痛感しました。
留学後半には、デトロイトにある企業でインターンシップも経験しました。日本人社長が経営する自動運転車の検査を行うスタートアップで、私は展示会の情報収集や会場での検査用ソフトウェアの販売などを行いました。
アメリカでの日々は刺激に満ちており、日本では得られない経験も数多くありましたが、一方で語学力の問題や若さゆえの未熟さもあり、汲み取れる情報の粒度や理解度の深さには限界があったように思います。今の自分であれば、もっと多くのことが学べるかもしれません。
ベクトルでファーストキャリアをスタート
大学卒業後、ベクトルに就職を決めた経緯を教えて下さい。
起業か就職か悩んでいた私がベクトルに興味を抱いたきかっけは、父のところに届いた会報誌で西江肇司さん(ベクトル代表取締役)の活躍を知ったことでした。
西江さんの学生時代の活動と私の経験が重なる部分が多かったことで親近感を覚え、また、若者のスタートアップへの投資を積極的に行っていることやグローバルな視点などに強く惹かれました。
そこから「この会社で働くことができれば、M&Aや投資をはじめ、クライアントワークやマーケティングなど幅広い経験と知識を得られるのではないか、そしてこれは将来の起業にも大いに役立つのではないか」という考えに至り、今の自分はベクトルで働くのがベストだと入社を決めました。
入社後は、どのような業務に携わったのでしょうか?
最初の配属は社長室業務を兼務している部門でした。新人研修で好成績を収めたこともあり、希望が通った形でした。
しかし、ここで早くも挫折を経験します。当時の私には、学生時代に組織運営や事業立ち上げの経験があったことで「仕事もきっとうまく行くはずだ」という慢心があったのだと思います。しかし、実際には先輩のスピードに付いて行けず、作業の抜け漏れで叱られる日々が待っていました。
その後、1年目の途中で社長室業務を兼務している部門から営業に異動することになります。
当時、ベクトルでは「総合的なPRやトータルプロモーションを販売する技量がない」という理由で、1年目の社員が営業に配属されることはなかったのですが、自ら上長に掛け合い、営業に挑戦してみることにしたのです。
営業は肌に合っていたのか、異動後間もなくから成果を上げることができ、それからは同期も次々と営業に配属されるようになりました。ただ、私自身には歯がゆさがあり、どこか満足しきれない気持ちの残る1年目となりました。
業務時間以外では、将来の起業に向けて毎週10個の事業アイデアを考え、ビジネスモデルや事業計画の勉強も続けていました。
また、週末にはエンジェル投資家を集めてピッチバトルも開催していました。ピッチバトルは新しいビジネスアイデアや現在のトレンド、投資性向やピッチ資料のフォーマットなど、役立つ情報が得られる貴重な場だったのです。
そして、入社2年目、26歳のときにCACTAS起業に踏み切りました。
長年の思いを叶え、社会人2年目で起業
起業というのは何となく踏み出せるものではなく、強く背中を押されるきっかけや強い覚悟が必要なものだと思います。青木さんが起業に踏み切ったきっかけは何だったのでしょうか。
特定のきっかけがあったわけではなく、長年の思いが積み重なった結果だと思っています。大学時代からずっと「絶対に起業する」と言い続けていましたし、周囲もそのつもりで私のことを見ていたと思います。
起業のタイミングについては、「今か、あと何年か経験を積んだ後か」と少し悩みましたが、会社で先輩たちと話す中で「PR業務の知見や営業スキルは成長するが、起業に必要なスキルに数年では大きく変わらない」という印象がありました。
それよりも、起業の機会をうかがっているうちに時代の流れに追い付けなくなる危機感がありました。
また、仲間の存在も起業を決断する大きな理由になりました。
当時、多くの仲間が私の起業を応援してくれ、「青木がやるなら協力したい」と言ってくれるメンバーもいました。
しかし、これも数年後には状況が変わり、「結婚して家庭を持ったので、ジョインは難しくなった」となる可能性もあります。やはり起業するなら今だという結論に至りました。
複数事業の同時立ち上げに失敗し、1年で資金が尽きる
2018年の創業から6年が経過しますが、特に創業当初にはどのような困難がありましたか?また、どのようにその壁を乗り越えて来たのでしょうか。
最初の壁は資金問題です。経営の柱であった動画制作の受託事業は順調に収益を上げていたのですが、あの頃はとにかくチャンスがありそうなものやワクワクするものに挑戦してしまう癖があり、クリエイター向けのポートフォリオSNSや複業マッチング事業、音声メディア事業など、稼いだお金や内部留保でどんどん他の事業を進めていました。
しかしリソース不足の中、プロダクトアウトの発想で複数の事業を同時並行で立ち上げたことにより、どの事業もPMFしないままピボットする結果となってしまいました。
そして1年後には見事に資金が尽き、2期目は資金繰りに明け暮れることに。
事業や人員についても徹底的に見直し、新規事業は現行事業とのシナジーやリソースの限界を考慮し、本当にやりたいものに絞るようになりました。
また、苦肉の策として、同じシェアオフィスを個人で借りている人に声を掛け、私たちのオフィスに入っていただき一部賃料の負担をお願いしたりと、あらゆる手を尽くしコストカットを行いました。
ただ、実はこの苦肉の策には予想外のメリットももたらしました。
シェアオフィスを借りている個人事業主は皆さん何らかの専門分野を持っており、彼らから様々な教えを受ける機会ができたのです。特にWeb制作会社出身の方には、その後CACTASにジョインしてもらうことになりました。
このように創業初期にひと通りの苦労を経験し、無駄の多い会社からようやく脱却することができたと思っています。苦労はありましたが、学びも多い濃厚な2年間でした。
新規事業への挑戦と失敗から多くの教訓を得る
そうすると、本格的に事業拡大に乗り出したのは3期目からでしょうか。
そうですね。3期目で資金問題を克服し、本格的に「働くを、たのしく」の実現に向けて新規事業に取り組み始めました。
最初に手掛けたのはフリーランス向けの教育事業やネットワークコミュニティ運営事業、そしてフリーランスのリソースを活用したクラウドソーシングサービスです。映像制作で多くのフリーランスと繋がりができたことで、この人たちの働く環境を改善したいと考えたのです。
しかし、これらの事業はいずれも失敗に終わりました。
教育事業は動画制作に特化したeラーニングコンテンツを100本以上制作し、アプリも作りましたが、結果的に莫大な損失を出しました。クラウドソーシングサービスも先行投資が嵩み、回収することができず。
頭では「入念に調査を行い、課題をクリアにして、プロトタイプを検証し、β版をリリースして…」という正しい道筋は理解していたものの、新しいアイデアが浮かぶとすぐに実行したくなるのが私の悪い癖でした。この2つの失敗で、「うまく行く」という思い込みで飛びつくことの危険性を痛感しました。
痛い失敗ではありましたが、「固定費を抑え、新規事業の検討は慎重に行う」という管理体制を整えるきっかけとなり、少しずつ経営がうまく回り始めた気がします。
現在は「フリーランス」を軸に、受託ビジネスとSESの中心に事業展開していますが、お陰様で順調に伸びています。
会社が成長軌道に乗った転換点はどこだったと思われますか?
転換点は大きく3つあると思っています。
1つ目は、業務のデジタル化です。
それまでは、「行動量が勝負」という根性論に基づき、私や役員を中心としたコアメンバーは会社に寝泊まりし、朝から夜遅くまでひたすら働く日々を送っていました。しかし、新型コロナウイルスの流行をきっかけにDX推進に取り組む中で、様々な「無駄」が存在することに気づき、パフォーマンスを可視化し、数字で業務管理を行うことの重要性を認識しました。
このように「量」だけではなく「質」にも目を向けるようになったことで、生産性の向上と労働環境の正常化を達成することができました。
2つ目は、「識学」を導入したことによる組織化や仕組み化です。「識学」を導入して組織の役割定義やルール作りなど会社の規律を整えたところ、各々のメンバーが達成すべき目的が明確になり、組織への貢献度が測定可能な数値によって客観的に判断されるようになりました。
その結果、メンバーの生産性が向上し、マネジメントに頼らずとも自走できる組織作りが達成されました。
3つ目は、自分を含む社員の成長です。
結局、会社は人の集合体で、人の成長なくして会社の成長はないと思っています。これは業務スキルだけの話ではなく、マインドセットや人間力という部分にまで及ぶかと思います。
数年間死に物狂いで仕事に向き合ってきたので、僕も成長を促す機会を幾度となく経験し、人を育てる力がつきましたし、同時に社員も大きく成長し、創業期では考えられないくらいのレベルになっていると思います。
このように、業務と組織の最適化を進める中で、個人としての成長意欲や組織に対する貢献意識の高いメンバーが活躍・評価され、さらに成長していける環境づくりができたことが会社を成長軌道に乗せる転換点になったと考えています。
「思ったことは必ず実現する人間」という信頼が仲間を引き寄せる
仲間集めについてもお聞かせ下さい。やることが明確に定まっていない段階から荻田さん、そして大和田さんが参画されたのは驚きですが、人が集まる理由はどこにあると思われますか?
荻田、河野、田渕は元々友人として親しくしていた関係からジョインしてくれました。また、大和田も元同期の友達として紹介を受けて参画したメンバーです。
彼らに「なぜジョインしてくれたのか」と具体的に尋ねたことはありませんが、恐らく学生時代からの働きぶりを評価してくれていたことと、「絶対に起業する」と言い続けていたことで、思ったことは必ず実現する人間だと信頼してもらえたのではないかと思っています。
仲間からの信頼は厚かったのですね。とはいえ26歳の若い経営者ですから、営業先などで「若さゆえの信用の壁」に苦労したこともあったのではないでしょうか。
たしかに、若いことで軽んじられていると感じたことはよくありました。創業当初は社会人としての経験も浅く、「お前に何ができる」という対応を受けることも多かったです。会社の実績も少なく、粘り強く話を聞いてもらう中で関係を築くしか営業の方法がないという苦労はありましたね。
グローバル展開で「世界中の働くを、たのしく」を実現したい
CACTAS社の後の展望についてもお伺いします。青木さんが描くCACTAS社の未来像と、それを実現するための経営課題についてお聞かせいただけますか?
私がここまで来られた背景には、経営者の父を持ち、学生時代にはサークルや事業立ち上げなど、さまざまな挑戦の機会に恵まれた環境がありました。そして、これらの経験を通じて、明確な目的を持って就職や起業の選択をすることができたのだと思います。
この恵まれた環境を「ラッキーだった」と終わらせるのではなく、誰もが私と同じように好きなことにチャレンジできる機会を持ち、自分の人生において最適な選択ができる仕組みを作りたいと考えました。「働くを、たのしく」というミッションは、こうした思いを込めたものです。
私たちは、時代の流れや技術の進化を最大限に取り入れ、組織と個人がより自由で確実、そして高いパフォーマンスを発揮できる世界を目指しています。
現在、CACTASは「世界中の働くを、たのしく」を目標に、マーケティングやデザイン・クリエイティブのフリーランスを集め、受託プロジェクトや人材紹介事業を通じて活躍の場を提供しています。今後は、日本国内にとどまらず、グローバルにボーダレスなプロジェクトを展開するインフラを整備していく計画です。
これらの目標を実現するためには、より多くの海外プロジェクトを創出し、海外人材とのネットワーク構築を進める必要があります。
最近は日本国内におけるフリーランスのネットワークにプロジェクトが集まるという仕組みができつつあります。今後はこのネットワークを基盤に、どのようにグローバル展開していくかが課題だと考えています。
達成すれば成功体験、未達であれば成長の機会。結果重視の組織に拘りたい
青木さんが目指す理想の組織像について教えてください。
組織や事業の成長に伴い、理想の組織像も何度も変わってきました。
最初は『ONE PIECE』のように、「自由の中で全員が一つの夢を追う」形が理想でした。
そして社員数が増えて来てからは、組織の整備のため「識学」を導入しましたが、結果私と社員の間に距離が生まれ、ベンチャー企業らしい熱量が薄れるとともに離職も増えてしまいました。
その後は「識学ハイブリッド」と私は呼んでいますが、組織として一定のルールを設けつつ、私が定期的に社員に自分の思いを伝える機会を設ける体制を取り入れています。
現在、私が最も重要だと考えているのはバリューにも掲げている「結果主義」です。
会社には「何か国にグローバル展開する」「フリーランスのネットワークを何千人規模に成長させる」「何件のプロジェクトを作る」など明確な目標があります。これらの目標は各部門に落とし込まれ、最終的に個々の具体的な数値目標となります。
結果を出すことは成功体験となり、未達であれば成長の機会が得られます。こうしたプロセスは組織の成長にも繋がるはずだと信じており、それが結果重視の組織を目指す理由です。
今は海外展開に向け新たな挑戦を始める最高のタイミング
最後の質問です。このタイミングでCACTAS社に参画する魅力と働き甲斐について教えて下さい。
当社はまだまだ小さな組織ですが、「日本発のグローバル企業を目指す」という大きな夢があります。
もちろん同様の夢を抱く企業は多いと思いますが、私たちは日本で既に一定のビジネス基盤を築き、PMFを達成しつつある状態です。そして、この成功をもとに海外展開に向けて新たな挑戦を始めようという最高に面白いステージにいます。
既に海外をマーケットとした複数の事業が立ち上がっており、新しくジョインするメンバーにはそうした領域にも積極的に挑戦し、更なる成長を導いて欲しいと思っています。
また、創業直後の様々な危機は既に乗り越えており、今は1→10、10→100と一気に成長を加速させるフェーズに入っていくタイミングです。この急速な成長曲線を描くスピード感は、スタートアップならではの面白さだと感じています。
先ほどもお話ししましたが、私たちは結果主義の組織です。結果を出せば役職も給与もどんどん上がりますし、それに伴い裁量権や新たな挑戦機会も増えていきます。成長意欲が強い方にとっては、刺激溢れる環境を提供できると思っています。
私たちの目標に共感し、一緒にチャレンジしたいと思われる方からのご応募をお待ちしています!
株式会社CACTAS
https://cactas.co.jp/
- 設立
- 2018年02月
- 社員数
- (従業員数)11 〜 30人
《 Mission 》
世界中の働くを、たのしく
《 事業分野 》
HRTech / コンサルティング / マーケティング
《 事業内容 》
CACTAS(カクタス)はアジア17カ国/ 3,000名規模の副業人材/フリーランスのリソースとデジタル/ クリエイティブ/ テクノロジーのノウハウを融合して、企業課題を解決する会社です。
動画ソリューション事業『MOBAL(ムーバル)』に始まり、企業のデジタルマーケティングコンサルティング、YouTube/ TikTok/ Instagram/ Xの運用代行、副業人材/フリーランスの紹介事業まで幅広いソリューションを提供しています。