親会社のものづくり技術をベースに、今までにない医療機器の新規創出に取り組む

株式会社日進FULFIL代表取締役 錦織 晃氏

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医療機器産業は社会貢献度が高く、安定した成長が期待できる業界だと言われています。しかし、製品や業態への規制が存在し、ステークホルダーも多いことから、新規参入のハードルが高い業界です。

そんな医療機器産業に全く違う業態から参入し、今までにない新たな製品を生み出そうと取り組んでいるスタートアップがあります。それが、自動車のエンジン部品の製造を行っている株式会社日進製作所から分社化した株式会社日進FULFILです。

日進FULFIL社では、自動車部品で培ってきたものづくり体制をベースに、骨ネジを加工する「骨用複合加工機」の開発を始動させるなど、親会社の技術を活用した医療機器の開発に取り組んでいます。

同社の代表取締役である錦織晃氏は、日進製作所の創業者の家系に生まれ、子どもの頃から自然とものづくりに親しんでいたといいます。医療機器メーカーで経験を積んだ後に、一度は日進製作所へと戻った錦織氏がなぜ、社内ベンチャーで「医療✕日進」という未知のものづくりに挑もうと決めたのか。

彼の生い立ちから日進FULFILが立ち上がるまでの経緯、そして全く新たな領域のものづくりに挑む中での苦労や今後の展望について、詳しくお話を伺いました。

錦織 晃氏

代表取締役
錦織 晃氏

京都府京丹後市生まれ。医療機器メーカー勤務を経て2014年に株式会社日進製作所に入 社。自動車部品で培った堅実なものづくりをベースに、新カテゴリ製品を持って医療機器メーカーとして業界へ参入することを目指して活動を進める。2022年から担当業務と共にグループ会社の株式会社日進FULFILへ移り代表取締役を務める。

株式会社日進FULFIL

株式会社日進FULFIL
https://www.sbdi.jp/

設立
2007年01月
社員数
42名

《 Mission》
私たちは医療デバイスで人々の健康を守り、笑顔の輪が広がる社会の実現に貢献します。
私たちはNEOPLAで有限な資源を守り、循環型社会の実現に貢献します。
《 事業分野 》
医療・ヘルスケア/バイオ
《 事業内容 》
株式会社日進FULFILは、株式会社日進製作所から分社化する形で設立されたスタートアップです。日進製作所の強みである精密部品加工の技術を医療機器に展開し、ネジを加工する「骨用複合加工機」の開発等を行っています。また、米ぬか、デンプン、木、竹、もみ殻といったバイオマスとPP、PEなどのプラスチックを複合化したバイオマス複合材料の製造、販売も行っています。

創業者の家系で、あえて家業のことを知らされずに育つ

アマテラス:

まず、錦織さんの生い立ちからお伺いします。現在に繋がる原体験のようなものがあれば教えてください。

錦織 晃:

私は、京都府北部地域にある京丹後市で生まれ育ちました。日進製作所を立ち上げた祖父は島根県の出身で、ちょうど日本が戦争に突入したころ、工場疎開で京丹後市に来たのだそうです。

子どもの頃、実は祖父の仕事についてはほとんど聞かされておらず、社長が父へと代替わりするタイミングでようやく日進製作所のことを教えてもらいました。両親いわく、社長の家の子どもとしてではなく、普通に育てたかったのだそうです。そのため、進路に関する口出しも特になく、自分でやりたいことを探しなさいとだけ言われていました。

小中高と目立ったトラブルもなく、友人や仲間にも恵まれて、楽しく過ごしていたのですが、大学進学の前ぐらいにふと考えました。「今見ている景色は、世界の中でどんな位置づけにあるのだろう」「これから自分は何をやっていくのだろう」

そんな漠然とした思いを胸に抱いたまま、大学は京丹後から出て、東京へと行きました。物心ついた頃から機械やものづくりが好きで、ミニ四駆にハマっているような子どもだったので、工学部へと進学を決めました。

ただ、ものづくりと言っても自動車や航空、宇宙と分野は幅広いため、自分は何をやりたいのか、受験前まで迷っていました。そんな折、たまたまテレビで私が受験する大学の先生が人工心臓の研究をされていることを知りました。

医療機器の世界に初めて触れ、学びを深めた大学時代

錦織 晃:

受験日前日にそのテレビを見るまで、私の頭には医療とものづくりが結びつくイメージがありませんでした。医療機器という分野に関心を持ったのは、ちょうどその時です。幸い志望校に無事合格できたので、3年次からは工学の力を活用した医療機器づくりについて研究を始めました。

諸外国と比べると、日本は医療機器の世界で遅れをとっています。最先端をいくアメリカと比べると、20年遅いと言われるほどです。そのため、当時の日本企業では、アメリカで医療機器を作ってから日本に逆輸入するといったやり方も増えていました。

世界に追いつけるように、日本の医療機器をより良くしていきたい。そのためにはどうすればいいか。学べば学ぶほど、医療機器の世界は面白く、やりがいを感じられましたし、研究室の先生方の話を聞く度に、日本の医療機器業界に対する課題意識が育まれていたように思います。

また、大学2年の時に1ヶ月の語学留学に行ったのも自分にとっては大きな経験でした。当初は義務教育レベルしか英語を話せませんでしたが、語学留学を経て上達し、その後、研究でも何度か海外に行くようになりました。

高校までと比べて、東京の大学に進学してから、私の世界は大きく広がりました。それまで京丹後の景色だけしか見えていなかった私に、医療機器と海外という2軸が生まれたことで、その後の人生も大きく変わったように思います。

インタビューは大阪府大阪市の日進FULFIL社大阪事業所にて行った。錦織氏(左)とインタビュアーの弊社藤岡(右)

インタビューは大阪府大阪市の日進FULFIL社大阪事業所にて行った。錦織氏(左)とインタビュアーの弊社藤岡(右)

日本GEの勤務を経て、30過ぎで迫られたキャリアの決断

錦織 晃:

就職活動においても、会社選びの基準に医療機器と海外という2軸を置いていました。最終的に内定をもらい、入社したのは米ゼネラル・エレクトリック(GE)の日本法人です。(入社したのはGE Healthcare Japan(株)で、日本GE(株)は別に存在。)

日本GEは、日本でヘルスケア事業に注力している外資系企業の中でも製品開発を日本で行っている数少ない会社でした。医療機器のものづくりを日本でやってみたい、できれば海外のメンバーとも連携しながら、世界にも展開してみたい。そんな憧れを持っていた私にとって、日本GEはまさにぴったりの会社だと思えました。

日本GEでは、30代前半までお世話になりました。大型画像診断装置の機械設計にエンジニアとして携わらせてもらったり、アメリカや中国、インドのチームと一緒にグローバル開発に取り組んだりと、今につながる様々な経験ができたと思います。

転機が訪れたのは、30歳をすぎた頃、父から入った一本の連絡でした。「30も過ぎて、そろそろどうするんだ」と聞かれました。日進製作所に戻るのか、違う道を行くのか。1年内に方針を決めてほしいと言われました。

さすがに自分の進路をすぐには決められなかったので、ほぼ丸1年かけて、どうするかを検討しました。日進製作所で当時代表をしていた方と何度もやり取りをして、会社に戻って自分に何が出来るのか、また当時の課題や将来の展望などを話し合い、整理していきました。

最終的な決め手になったのは、当時の代表から聞いた「グローバルの仕事をがんばってもらいたい」という言葉でした。2002年から日進製作所では海外進出が進んでいて、ちょうど海外支社の設立も相次いでいたタイミングだったので、自分が必要とされていて、役に立てるなら力を尽くそうと思いました。

社内の新規事業として、医療開発事業の立ち上げに挑む

錦織 晃:

2014年に日進製作所に転職し、最初の1年間は研修のような感じで全社の部署を回らせてもらいました。日本GEと日進製作所は同じものづくり企業ではありますが、業種が違うため、様々な違いがありました。

その中で、最初に感じたのは、「現場」に対するイメージの差です。日本GEで「現場」といえば、エンドのお客様が働く環境や部品を組み立てる工場のイメージでした。ところが、日進製作所の「現場」は、機械で金属を削り、切粉を出しながら、加工していく工場がメインなので、そのギャップに驚きました。

また外資系企業と地元密着型の企業の違いも強く感じました。日進製作所は京丹後市に根ざしているため、社員同士の関係性が地縁に近く、仕事とプライベートが一体化しているような感覚がありました。一方、日本GEは外資系の組織でドライな感覚があったので、社内の雰囲気の違いにも戸惑いました。

ただ、前職との違いは色々あったものの、社内に入って見てみると、日進製作所ならではの良さも肌で知ることができました。現場の仕事が本当に丁寧で、真面目で品質の高いものづくりが社内に浸透しているのが見て取れたからです。

そうこうしているうちに1年の研修期間が終わり、次の仕事をどうするかという話になりました。もともとは海外で働く話になっていましたが、会社の方針が変わり、その時の上司と私、2名体制で社内の新規事業として医療機器への取り組みを任されることになりました。

医療機器の事業といっても様々な進め方がありますが、図面や部品を既存のメーカーからもらって、生産していくやり方ではなく、全く新しい医療機器を自社で開発し、製造まで全て内製していこうと決めたのです。

新たな領域で新製品を自社で開発・製造するのは、当然ながら既存の製品を後発として追いかけたり、あるいは部品だけを作ったりするよりも困難です。しかし、難しい挑戦だからこそ実現できれば差別化ができますし、何より技術の壁がそのまま後発の事業者に向けた参入障壁になると考えました。

既存の開発チームが機能せず、社外からの採用にも難航

錦織 晃:

難しいがゆえにやる意味がある。そう考えて取り組みだして、最初にぶつかった壁は製品設計のやり方そのものでした。日進製作所の中に工作機械の開発を行っているチームはあったのですが、要求される技術領域や技術開発のやり方とのギャップに大変苦労しました。

外部からの人員強化も必要だと考え、採用活動も行ったのですが、京丹後市という立地的な問題もあり、当初は全く人が集まりませんでした。

そこで思い切って、拠点を変えることにしました。日進製作所の大阪事務所は当時、別のチームが使っていたのですが、2階と3階が空いていたので、そこを採用活動に使わせてもらうようにしたのです。

大阪に来てからは、少しずつ新しいメンバーが増えてきているものの、組織づくりの問題には苦労しています。組織づくりの問題は初期からずっと悩んでいる部分ですし、今も色々工夫を重ねる日々です。

事業の立ち上げ当初から、メンバー全員がいい仕事をできるようにしていきたいという思いは一貫していますが、そうなるとどうしても成果を問う必要がでてきますし、同時にそのプロセスも見ていく必要があります。

採用を進めるにしても、会社としてどういう人を良しとするのか、行動特性や価値観に対する基準を設けるべきだという思いが、次第に強くなっていきました。ここで壁になったのが、親会社である日進製作所の人事制度です。

 

製品開発や採用、共同研究の壁を超えるべく、別会社化へ

錦織 晃:

日進製作所の人事制度は、工場における生産活動を効率化するために設けられています。ところが、医療機器の開発という新たな業務領域に必要な人材を採用しようとすると、そのやり方では上手く回らないことが分かってきたのです。

新規事業に特化させた会社を日進製作所とは別で設けたほうがいいのではないか。製品開発や採用で壁にぶつかりだした頃から、そんな考えが浮かぶようになりました。中核事業とバランスをとって事業を進めるよりも別会社で専門的に仕事を行った方が、効果的に事業を進められるということも見えてきました。

そういった経緯から、2022年に別会社として動き出したのが日進FULFILです。もともと会社自体は2007年に設立しており、バイオプラスチック事業を行っていたのですが、医療機器事業と統合させるかたちで、社名も改め、今の日進FULFILになりました。

日進FULFILの始動に伴い、経営陣の構成から人事体制まで一つずつ見直し、社内の仕組みも整えていきました。その甲斐あって、2022年からは人材採用や製品開発など、それまで苦労していた社内の一連の仕事がスムーズになりました。

大学との共同研究における利益配分とノウハウの積み上げ

アマテラス:

2017年末から島根大学医学部整形外科学教室が研究する「骨折治療支援システム」の構築に参画されるなど、日進FULFIL社は大学との連携に力を入れておられるように思います。共同研究を進めるにあたって、具体的にどのような課題があったのでしょうか?

錦織 晃:

一番大きかったのは、利益配分の問題です。最終的に求める成果はそれぞれ異なっており、協力的に行う活動をどのような順番で進めるか、ということも大きな問題になります。ドクターの価値観や考え方を知り、企業としてのあり方もきちんと説明した上で、すり合わせるには時間がかかりました。

結局、双方の役割分担も含めて、こちらの考え方や思いをどれだけ正直に言えるか。そこをきちんと伝えた上で、双方に取ってよい形でお付き合いできるかどうかを早期で見極めることが企業としては大切だったと考えています。

ありがたいことに、島根大学の先生とは非常によい関係を築けていて、当社の企業としての活動を認めていただいた上で、学会でも製品を紹介くださっています。そういった共同研究のノウハウについても、分社化を機に、積み上げてこれたと思います。

既存事業と新規事業における戦略の違いを肌で学ぶ

錦織 晃:

ただ、分社化してからも、事業計画の作り方やチームの作り方など、試行錯誤は続きました。戦略の部分でいうと、既存市場で展開していくやり方と新規市場を開拓していくやり方の違いを体感して、認識を変えていくまでが大変でした。

なぜなら、日本GEや日進製作所では、既存の市場や売上がすでにあるところで勝負していたため、ゴールから逆算して戦略を立てるやり方が染み付いていたからです。しかし、新規事業ではそうはいきません。

そもそもゴールの見通しが立たないところからスタートするわけですから、手持ちのものからPDCAを回しつつ、積み上げていくしかないわけです。ゴールがわからないなりに、前に進んでいかなくちゃいけない。既存市場での動き方と原則がそもそも違うのだと学ぶまでに数年かかりました。

今思うと、既存のやり方に囚われすぎて視野が狭かったですし、新参者はどう振舞うべきかといった認識が大きく不足していたと感じています。既存市場であれば、計算や合理性をもとに選択していけば、ある程度いい結果が出せると思うのですが、新規事業だと話が変わってきます。

会社として、そして一人ひとりが個人として「どうありたいか」、そして「どうすればもっと面白くなるか」。先行きが見えない中でも前に進んでいくための推進力として、そういった情緒性が会社も個人にも求められるのだと知りました。

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自社に合った人材の採用に向けた社内体制の改善

アマテラス:

現時点(2024年8月)で感じておられる採用面の課題があれば教えてください。

錦織 晃:

分社化する前は、親会社の人事部門を通じて大手の人材紹介会社等を利用しながら採用をしていました。今は自分たちで採用を進めていまして、媒体選びや求める人材の伝え方、面接時の評価基準などを色々模索しているところです。

親会社のブランド力や採用力に頼らずに、自社に合った人を採用していくためのノウハウが当初全くなかったのですが、ケースを重ねるごとに、だんだんチームとして人材を見極めていく方法が少しずつ出来上がっているように感じます。

今一番不足している人材は、エンジニアです。当初は医療機器業界の経験があるエンジニアを求めていたのですが、それだとなかなか採用がうまく行かないので、最近では業界経験は特に問わないことにしました。

とはいえ、エンジニア経験者と一言で言っても、人それぞれスキルやレベルにも違いがある中で、会社としての期待値をどう伝えていくか。採用の入口となる面接段階に限らず、入社後の組織づくりのところでも、日々難しさを感じています。

正直なところ、日進FULFILという会社を経営してみるまで、中途採用はもう少しマッチングが上手く行きやすいものだと思っていました。実際にやってみると、甘くないというのが正直なところです。採用の成功確率をあげていくためにも、面接まで来てもらえる人の数をいかに増やしていくかが、今後の課題です。

会社の理念である「3つのF」を軸にした組織づくり

アマテラス:

自社に合った人材を採用するという観点でいうと、日進FULFIL社は企業理念として「3つのF(満たす・果たす・成し遂げる)」を掲げておられるかと思います。バリューに込めた思いや考えについてもぜひお聞かせください。

錦織 晃:

当社の社名は、空っぽの状態を「FULFILl(満たす)」会社でありたいという思いがもとになっているのですが、それと連動するかたちで分社化した際に理念を定めました。お客様のお悩みやニーズを自社の製品やサービスで満たすというのが、まず1点。

そして2点目に、社員一人ひとりが仕事を通じて満たされていくようにしていきたいという思いも込めています。「My job is very fulfilling(私の仕事はとても充実しています)」と、全員が胸を張って言えるような組織にしていきたいと思ったのです。

そうして 2つの「FULFIL」の先に、当社が社会に期待される役割と責任を果たし、さらなる技術の追求をもって成長し続けていくという好循環が起こせれば、自ずと利益にも繋がっていくと考えています。

医療機器の事業は社会性が高く、患者様、ドクター、そして厚生労働省というステークホルダー全てに利がある形でないと、市場に浸透していきません。だからこそ、この「3つのF」を軸に、採用基準の見直しはもちろんのこと、社内の人事評価についても改良を進めています。

覚悟をもって、関係者全てに利のある医療機器を届ける

アマテラス:

日進FULFIL社の今後の展望について教えて下さい。

錦織 晃:

私達は、世の中に存在していない新たな医療機器づくりに取り組んでいます。今開発している「骨用複合加工機」もその1つで、新たなカテゴリーの製品を市場に生み出そうとしているのです。

当然、時間やお金といった先行投資も沢山必要ですし、医療機器という特性上、製品を作った先でも安全性についての責任も重くのしかかってきます。実際に事業を進めている中で、そのあたりの覚悟も問われると強く感じています。

私は、医療機器の事業を継続発展させ、将来的には医療機器メーカーのポジションでさらなる展開を作っていきたいと考えています。誠実なものづくりという日進製作所の強みを活かしながら、長期的に利益を得ていき、最終的に親会社へと仕事を返していくことが目標です。

医療機器メーカーとして新規参入していくためには、医療産業システムに関わるステークホルダー全体の利益を考えなければなりません。たとえば保険制度を適用できるか、病院の収益に繋がるか、様々な規制に適合しているかといったことも、細かく確認していく必要があります。

医療機器業界はアメリカが最も進んでいて、自由度も高いのですが、ステークホルダー全体の利益を考えると、どこの市場から展開を作っていくべきかといったことも、検討の余地が多々あります。

引き続き製品設計や開発も引き続き進めていきますが、今後は当社の製品をいかに市場に受け入れてもらい、顧客を拡大していくかという段階に入っていきます。親会社がものづくりをしているからこそ、将来的には設計のところから製造、販売に至るまで社内で行うことができますし、医療現場に当社の製品がどうお役に立てているのかも体感できるようになるでしょう。

医療機器業界の経験を活かして今までにない製品をつくってみたいという方や、別業界で培ったスキルを活かして、医療に貢献できる仕事がしたいという方には、きっと働きがいを感じてもらえると思います。

アマテラス:

本日は貴重なお話をありがとうございました。

この記事を書いた人

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ただゆり

広島県広島市出身。国際基督教大学卒業後、外資系製薬会社のMRとして勤務。その後、心身を壊し、10年ほど障がい者雇用の現場を経験。30代で県立広島大学大学院に飛び込み、社会福祉学を専攻。並行して、社会福祉士資格を取得。「データ扱いではなく、人の物語に光を当てたい」との思いから、大学院卒業後、インタビューライターとして起業。その後、大阪のベンチャー企業の経営に参画し、ベンチャーキャピタルJAFCO様の広報サポートの他、スタートアップ領域の広報に広く携わる。2024年9月に合同会社そうを設立予定。アマテラスには、2022年8月よりパートナーとして参画。

株式会社日進FULFIL

株式会社日進FULFIL
https://www.sbdi.jp/

設立
2007年01月
社員数
42名

《 Mission》
私たちは医療デバイスで人々の健康を守り、笑顔の輪が広がる社会の実現に貢献します。
私たちはNEOPLAで有限な資源を守り、循環型社会の実現に貢献します。
《 事業分野 》
医療・ヘルスケア/バイオ
《 事業内容 》
株式会社日進FULFILは、株式会社日進製作所から分社化する形で設立されたスタートアップです。日進製作所の強みである精密部品加工の技術を医療機器に展開し、ネジを加工する「骨用複合加工機」の開発等を行っています。また、米ぬか、デンプン、木、竹、もみ殻といったバイオマスとPP、PEなどのプラスチックを複合化したバイオマス複合材料の製造、販売も行っています。