時代を変える産業に火をつける。スタートアップの社会実装を通じて新しい流通基盤を作る

株式会社KAEN代表取締役 川田勇輝氏

どれだけ優れたサービスだとしても、世の中に普及するまでには一定の時間や労力が必要です。特に、リソースの少ないスタートアップの場合、どれだけ優れたサービスだとしても、市場のシェアを獲得する前に力尽きてしまうケースも珍しくありません。

特に、SaaS領域のサービスだと、10億円20億円と資金調達した金額をWEBマーケティングに投下した結果、広告で獲得できるリードの質が広告費と見合わず、苦戦しているという話をよく耳にします。

毎月何千万円も広告費をかけて、リードを得ているのに、想定以下の従業員規模の企業にもリーチしてしまい、結局何割かを無駄に捨ててしまっている。そんなSaaS領域のサービスが抱えるペインを解消し、「時代を変える産業に火をつける」べく取り組んでいるスタートアップがあります。それが、株式会社KAENです。

同社の代表取締役である川田勇輝氏は、大学時代に経験したスタートアップのインターンで、創業当初のメルカリやBASEと言った今を時めくベンチャーと空間を共にしたことをきっかけに、起業家としての高い志を抱いたのだそうです。

学生時代から幾度も挫折を経験しつつ、それを乗り越えながら自らの想いの火を形にしてきた川田氏。彼が描くKAEN社の展望について、これまでの経緯や創業後のご苦労と合わせて、詳しくお話を伺いました。

川田勇輝氏

代表取締役
川田勇輝氏

1988年生まれの栃木県宇都宮育ち。新卒で株式会社エスキュービズム入社。大手小売、飲食企業へEC、iPadなどコンサル営業やプロダクト開発を経験。途中、社内ベンチャーとして光通信型営業会社の立ち上げに参画。その後、日本美食株式会社にて創業メンバーとしてインバウンド×フィンテック領域の事業を立ち上げを経験。Wakrak株式会社では再度立ち上げ時に参画し、資金調達、営業設計、代理店戦略などの事業構築・運営を行う。2019年12月に株式会社KAENを創業。

株式会社KAEN

株式会社KAEN
https://kaen-inc.com/

設立
2019年12月
社員数
8人

《 Mission》
時代を変える産業に火をつける
《 事業分野 》
SaaS・webサービス
《 事業内容 》
株式会社KAENは、「時代を変える産業に火をつける」をミッションに掲げ、未来をより良く変えるサービス/事業のための新しい流通基盤を生み出すことに挑戦しています。当社が運営する完全成果報酬型 商談創出プラットフォーム「TAAAN(ターン)」は、新たな産業/事業/サービスにとってのセールスインフラサービスです。今後もSaaSを始めとした新たな産業の普及、素晴らしいサービスを本当に求められている人々に届けられる仕組みを提供して参ります。

The日本式教育方針の両親の期待に応えて勉強に励んだ子供時代と最初の挫折

アマテラス:

まず、川田さんの生い立ちについてお伺いします。現在に繋がる原体験のようなものがあれば、教えてください。

株式会社KAEN 代表取締役 川田勇輝氏(以下敬称略):

私は栃木県宇都宮市の出身で、半導体の商社を経営していた父と、亭主関白な父を笑顔で支える母の元で生を受けました。特に「半導体で未来をつくるんだ」と意気込み、60代でも会社の上場を目指す父の姿には強く影響を受けました。後に起業という選択肢を選んだ一つの要因になっていると思います。

両親どちらも最終学歴が高卒だったこともあり、父も母も「子どもには良い生活をさせてあげたい」「いい学校に行かせてやりたい」と力を尽くしてくれていました。両親の期待に応えたくて、小中と勉強をがんばった結果、宇都宮高校という県でナンバーワンの高校に進学できました。

ところが進学後、受験で燃え尽きてしまったのか、勉強に全く身が入らなくなってしまいました。2年間ちゃらんぽらんに遊び回り、結局、大学受験に失敗。二浪しても志望校に入れず、親に迷惑をかけました。

県内屈指の進学校でしたから、同じ学年を見渡せば、東大や京大、早稲田・慶応クラスに進む層が半数以上、残りは浪人して、翌年の受験に備えるというのが周囲の当たり前でした。今思うと、当時の自分は、日本社会における暗黙的な偏差値至上主義や世間体といった、誰かにとっての「正解」や自分の承認欲求に囚われ、自分で自分の首を締めていたように思います。

受験失敗で円形脱毛症、懲りずに就職活動で100社に落ちて、二度目の挫折を経験

川田勇輝:

そんな経緯で大学に入ったものの、1年目の前期は取得単位ゼロ。高校時代の挫折を引きずったまま、約半年間、家に引きこもっていました。自分の人生に否定的になっていたので、大学も辞めてしまうつもりでした。

そんなどん底から脱出できたきっかけは、円形脱毛症でした。症状の改善方法をネットで調べたところ、「気にしないこと。気にしないためには、走ること」を推奨する記載を見つけたので、その通りにひたすら走ってみたのです。当時住んでいた国分寺から新宿まで約23km、走り終えた頃には気分が晴れ晴れとしていました。

またそのタイミングでずっと連絡をくれていた仲のいい友達とも会えたことで、気持ちが切り替わり、大学生活に復帰することができました。「自分の人生をやっぱり諦めたくない」という思いに行き着いたのです。

そこからは、後悔がないように思う存分遊びましたし、「希望の大学には行けなかったけれど、いい企業に行けたら幸せになるんじゃないか」という考えのもと、ひたすら就職活動に打ち込みました。

いくつもの会社に挑んでは落ち、気づくとエントリーは100社を超えていました。就活にのめり込みすぎた結果、単位が足らず、就職先も決まらないままに半年留年することになりました。人生で二度目の挫折を味わったのです。

社会のインフラづくりに挑む起業家に囲まれたインターン

川田勇輝:

就活に苦戦する中、エントリーシートを綺麗に書けるようにしたいという目的からインターンを始めることにしました。当時の学生たちがほぼ誰もしていなかったスタートアップでのインターンです。そこでの経験が、後の私の人生を大きく変えました。

私がインターンをさせてもらったスタートアップは、ベンチャーキャピタルのイーストベンチャーズとインキュベイトファンドから出資を受けていたため、イーストベンチャーズのシェアオフィスを使っていました。そこには、メルカリやBASE、Gunosyといった今の社会のインフラとなるサービス作りに取り組む起業家たちが勢揃いしていたのです。

インターンでの仕事はかなり大変でしたが、周囲の起業家たちの姿を見ながら「自分にも同じようなことができるんじゃないか」と思うようになりました。また「挑戦した自分がいたからこそ、この空間にいられるのだ」という気づきを得たことが、大きな転機になりました。

過去の自分の人生を振り返る度に、「挑戦によって人生がより良くなっている」 と感じます。挑戦から得た経験と思考のもとに、今の自分がいる。だからこそ、挑戦者を支援したい。自分の人生の選択ができる人を増やしたい。そんな思いが軸にあるからこそ、今のKAENがあるのだと思います。

上場を目指すベンチャー企業で多岐に渡る業務を経験

アマテラス:

インターンでの経験を経て、エスキュービズム社に新卒で入社されたのはどういった経緯だったのでしょうか。

川田勇輝:

当時、「ITといえばゲーム」という意識が強かったのですが、インターン時代の経験から、できれば社会のインフラを作れるようなITサービスに関わりたいという思いが強くなっていました。

そんな中、「ITのインフラをつくる」というビジョンを掲げていたエスキュービズムのECサービス事業は、私にとって魅力的に映りました。あとは単純に、ECが格好良さそうという憧れめいた気持ちもありました。

私が入社した2013年、エスキュービズム社はちょうど上場に向けて急成長していた時期でした。約3年間の在籍期間の間に、営業からカスタマーサクセス、出向先での店舗スタッフにプロダクト開発と、多岐に渡る業務を経験させてもらいました。

特に、入社して3ヶ月で出向することになった中古品リユースをしている大手企業の現場では、様々なことを学ばせてもらいました。ITシステムやサービスが想定よりも店舗で使われていないことに驚きました。

現場の目線からITシステムやサービスが使われていない理由を知ることができたのは、良い学びだったと思います。そういった現場の実情を報告したところ、そこから課題を解決するためのプロダクト開発に携わることになったのも面白い経験でした。

「お客様のため」を見つめ直すキッカケになった営業会社立ち上げ

川田勇輝:

そういった経験を重ねていく中で、上場に向けて売上を増やすべく、社内ベンチャーとして光通信型営業会社の立ち上げに参画することになりました。営業職だった父の影響を受け、自分もきちんと営業できるようになりたいという思いもありました。その時の経験も、今のKAENの事業に大きな影響をもたらしました。

当時の営業は「ひたすらテレアポを重ね、高単価のホームページを販売する」というスタイルでした。並行して、お客様のお役に立とうとWebマーケティングについても学びましたが、webマーケティングについて勉強すればするほど、「今販売しているものは、お客様のためになるサービスなのか」という疑問が強くなりました。

また、自分達だけ単純に儲かるだけではなく、社会課題を解決できるような仕事がしたい。そんな思いを感じていたタイミングで、また社会的意義があると思えるのは、スタートアップだと感じ始めていました。

そこで、たまたま知り合いから面白いスタートアップがあると紹介されて転職したのが、日本美食(現在のTakeMe)でした。2016年時点で日本にはなかったインバウンドビジネス✕フィンテックの決済インフラを日本に社会実装しようとする同社の取り組みを知り合いから聞き、興味を持ちました。

「ITを通じて人々の消費行動が変わっていく仕組みをつくってみたい」という思いから、日本美食社の1人目の社員として飛び込み、2年ほど働きました。まだアプリも完成していない段階からのテレアポ営業から始まり、採用広報、事業アライアンス、資金調達など、様々な業務に携わりました。

誰かの正解や承認欲求に悩み、日本美食からWakrakへ

川田勇輝:

日本美食での業務から学んだことは非常に多かったのですが、社長の方針で自分より優秀な人材がどんどん採用され、上司として配置されていく中で、正直なところ、葛藤もありました。

創業メンバーという立場や周囲からの評価、そして自分の承認欲求にまた振り回されて苦しんでいる自分に対し、「これでいいんだろうか」と悩み続けました。結局、日本美食を退職することになり、そこからWakrakに参画しました。

Wakrakの創業者である谷口怜央氏とは元々、日本美食の頃からの付き合いで、クライアントを紹介したこともありました。その時紹介した顧客から「こういうサービスが欲しかった」という言葉を耳にしたとき、「お客様の本質的な課題を解決できるサービスっていいな」と思ったのを良く覚えています。

あとは、私自身が様々な仕事を経験する中で、「様々な経験や環境を通じて人は成長できる」という仮説を持っていたので、ワークシェアリングの市場には可能性を感じていました。多くの人に人生の選択肢を増やすきっかけを提供できる、やりがいのある仕事だと感じたのです。

Wakrakはすでにアプリケーション自体は完成しており、これからの成長の兆しが見えて来ているタイミングでした。谷口と二人で事業を進めていく中で、少ないリソースでどれだけ最高の成果を出していくかを考えながら、WEBマーケティングや代理店戦略に注力していきました。

新たな自分になろうと決めて、KAEN創業へ

アマテラス:

KAEN社を創業されたのは2019年12月ということで、まだコロナ禍の影響もほとんどなく、Wakrak社の事業も伸び盛りだった時期かと思います。そこから会社の創業に踏み切られた理由を教えてください。

川田勇輝:

日本美食もWakrakもビジョンが強い会社でした。そのため、どこかで自分が「社長のやりたい夢を叶えるためのコマ」になってしまっているような感覚がありました。

今でも良く覚えているのですが、2019年の4月、2歳になる前の娘を抱いて、桜が満開の公園に行きました。娘が生まれて、仕事も順調で、それなのにふと自分の顔を見たら、表情が死んでいることに気づきました。

もっとやりがいや生きがいを感じられることをした方が、自分のためにも娘のためにもなるのではないかと思いました。創業メンバーであるというポジションに気を取られ、誰かの評価、生き方の正解を気にして、承認欲求に囚われる自分から脱却したかった。

ちょうど令和元年で31歳を迎えるタイミングだったので、「31で新しい自分になろう」と心に決めました。そうして、心の中でくすぶっていた「火」を「炎」にすべく、KAENの挑戦が始まったのです。

自己資金で立ち上げ、破格の銀行融資を情熱で獲得

川田勇輝:

KAENは、創業時に資金調達をせず、自己資金で起業しました。これまでの経験から、「お客様の欲しいものを提供し、お金を頂いて生活する」ことをきちんとやりたいと思ったのです。

当初は「世の中を変えていくようなサービスの社会実装の支援をしたい」という思いのもと、スタートアップ向けの代理店構築コンサルを一人でしていました。3ヶ月ほどは順調に進んでいたのですが、そこからコロナ禍に突入し、毎月の売上が半分以下まで落ち込みました。

もともと事業をスケールさせていくために、融資の利用は考えていたので、助成金も活用しつつ、銀行には足繁く通いました。結果、こちらの熱意を理解いただき、創業から1年も経っていない段階だったにも関わらず、破格の額を融資してもらうことができました。

資金調達に成功したことで、ようやく時間的なゆとりが生まれたので、そこからようやくプロダクト作りや仲間集めに入りました。小学校や中学校時代の知り合いに30人ほど声をかけたところで、一人目のCTOを紹介してもらうことができました。

 CTOの採用に成功したことで、2021年の初めにはサービスのプロトタイプがある一定レベルまで仕上がり、お客様もある程度確保出来た段階で、エクイティでの調達に動いた流れです。

2年間売上が伸びず、人も離れていった先の快進撃

川田勇輝:

幸い、エンジェル投資家の有安伸宏氏から出資を受けることができたので、私とCTO、そして社員1名の3人で、プロダクトのPMFを進めていきました。

そのまま順調に行くかと思ったのですが、実は2年間全くと言っていいほど売上が伸びず、支出超過の状態が続きました。余裕があったはずのキャッシュもどんどん目減りしていき、残高が心もとなくなっていきました。

そんな中で迎えた2020年7月、CTOと社員がそれぞれ会社を離れて独立することになり、 私一人だけの組織に逆戻りすることになりました。 オフィスでひとり、泣きました。当時は「もう終わった」と本気で思ったのですが、その翌月、さらに状況が激変しました。

プロダクトの契約だけはしていたものの、ほぼ利用していなかったエンタープライズの企業が利用し始めてくれたことで、売上が倍増。すでに仕組みは出来上がっていたので、そこからさらに毎月の月次が爆発的に成長し、右肩上がりに伸びていったのです。

SaaSベンダーのペインを解決できる「TAAAN」の強み

アマテラス:

プロダクトが変わっていないのに、そこまで売上が急に伸びた理由は何だったのでしょうか。

川田勇輝:

当社が運営している完全成果報酬型・商談創出プラットフォーム「TAAAN」のクライアントは主にSaaSベンダーです。現状、国内トップベンダーはほぼ全社、当社のサービスを利用されています。

なぜそんな事ができたのかというと、当社のプロダクトがSaaSベンダーのペインをしっかり解決しているから。販売代理店側の顧客データや実績を集めているので、SaaSベンダーが本当にリーチしたい顧客にセグメント分けをした上で、効果的なリードにアプローチできます。

Facebook(META)やGoogleといった世界規模のプラットフォームでも対応できないペインを当社のプロダクトなら解決できるというのは、圧倒的な強みです。特にSaaS領域とは相性が良く、火がつくのは時間の問題だったのだろうと思います。

息を吹き返した組織とともに、第二創業として爆発的な成長に向けて

アマテラス:

最後に、KAEN社の今後の展望について教えてください。

川田勇輝:

2020年7月に人がいなくなり、しかし売上はどんどん上がっていく中で、改めて今後どうしていきたいかを考えました。社長の年収を跳ね上げていく選択肢もありましたが、「もう一度チームを作って、挑戦したい」と思い、再度仲間を集め始めました。

人の紹介で現在のメンバー達と出会い、KAENが組織として息を吹き返したのが2023年1月のことです。ここからさらに、プロダクトのリニューアルや事業の多角化を図り、第二創業期として組織を爆発的に成長させていく予定です。

今後間違いなく組織拡大の壁にぶち当たると思いますが、一つひとつ学んでいきながら「皆が気持ちよく働けて、楽しくやりながら、スケーリングしていく」経験を実現させていきたいと思います。

やりがいと生きがいを大切に、仲間と「炎」を起こす

川田勇輝:

「時代を変えるような産業に火を点ける」こと。これが、KAENが目指すビジョンです。私達は現状、セールステックやマーケテックの領域にいますが、今後はよりブラッシュアップしていき、産業自体の構造を変えていくような取り組みに挑んでいければと思います。

そのためにも、組織を一緒につくっていく過程ごと楽しみ、共に勝利を目指していける仲間と出会いたいです。スキルや能力、経験も確かに重要ですが、「やりたい」「楽しい」という根幹が整えば、パフォーマンスも付いてくると感じています。

心に火がついた上で「やりたい」「楽しい」を大前提として大切にする組織をつくっていきたいですし、メンバー達全員がそういう意識を持って取り組める状態にしたいと思います。

エンジェル投資家の有安氏にも、当社の成長率は褒めていただいています。成長性の高いマーケットに身を置いているからこそ、お客様に喜ばれて、社会の役に立っているという実感を日々味わえます。

これからKAENは、会社組織やカルチャーを作り上げていくフェーズに入ります。やるべき仕事はたくさんありますが、その分確かなやりがいと生きがいを感じられる環境があります。ぜひこれからの仲間と社会に「火」を点し、共に「炎」を起こしていきたいですね。

アマテラス:

本日は貴重なお話をありがとうございました。

この記事を書いた人

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ただゆり

広島県広島市出身。国際基督教大学卒業後、外資系製薬会社のMRとして勤務。その後、心身を壊し、10年ほど障がい者雇用の現場を経験。30代で県立広島大学大学院に飛び込み、社会福祉学を専攻。並行して、社会福祉士資格を取得。「データ扱いではなく、人の物語に光を当てたい」との思いから、大学院卒業後、インタビューライターとして起業。その後、大阪のベンチャー企業の経営に参画し、ベンチャーキャピタルJAFCO様の広報サポートの他、スタートアップ領域の広報に広く携わる。2024年9月に合同会社そうを設立予定。アマテラスには、2022年8月よりパートナーとして参画。

株式会社KAEN

株式会社KAEN
https://kaen-inc.com/

設立
2019年12月
社員数
8人

《 Mission》
時代を変える産業に火をつける
《 事業分野 》
SaaS・webサービス
《 事業内容 》
株式会社KAENは、「時代を変える産業に火をつける」をミッションに掲げ、未来をより良く変えるサービス/事業のための新しい流通基盤を生み出すことに挑戦しています。当社が運営する完全成果報酬型 商談創出プラットフォーム「TAAAN(ターン)」は、新たな産業/事業/サービスにとってのセールスインフラサービスです。今後もSaaSを始めとした新たな産業の普及、素晴らしいサービスを本当に求められている人々に届けられる仕組みを提供して参ります。