「この国はどうやって生き残るか」という問いに対しては、減っていく労働者不足と生産性向上をロボットで解決するしか方法がないと思っています。

ライフロボティクス株式会社(2016年時点)代表取締役社長 尹祐根氏

ライフロボティクスは2007年に設立され、今までにない新しいタイプのロボットアームを中心に、最先端技術を用いてのロボット開発を行っている。
子供の頃からロボットが好きで、現在は「ロボット技術で日本だけでなく、世界を救う」という強い思いを持ってロボット開発を進めている尹社長。
そんな尹社長の起業に至る背景や現在の取り組み、思いに迫りました。

尹祐根氏

(2016年時点)代表取締役社長
尹祐根氏

ロボットアームの世界的第一人者
東北大学助手を経て、国立研究開発法人 産業技術総合研究所の主任研究員
双腕宇宙ロボット、技術試験衛星VII型搭載ロボットアーム(ETS-VII)、
原子力プラントメンテナンスロボット、福島原発向け高所調査用ロボット、
介護用ロボットアーム等約20年のロボットアーム研究・開発経験

1972年1月 兵庫県伊丹市生まれ
1996年3月 九州大学工学部動力機械工学科卒業
1998年3月 九州大学大学院工学研究科動力機械工学専攻修士課程修了
1999年7月 東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻博士課程後期3年の課程中途退学
1999年8月 東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻 助手
2001年4月 独立行政法人産業技術総合研究所 知能システム研究部門 若手任期付き研究員(5年)
2003年9月 東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻にて博士(工学)取得
2006年4月 独立行政法人産業技術総合研究所 知能システム研究部門 研究員
2007年12月 ライフロボティクス株式会社設立、取締役 CTO
2010年4月 東京理科大学工学部 非常勤講師(2015年3月31日まで)
2010年10月 独立行政法人産業技術総合研究所 知能システム研究部門 主任研究員
2014年1月 ライフロボティクス株式会社 代表取締役 CEO&CTO (現在に至る)

ライフロボティクス株式会社

ライフロボティクス株式会社
https://liferobotics.com/

設立
2007年12月

《 Mission 》
人を活かすロボティクス 私たちは、人を支援する協働ロボットの開発と提供を通して、人が新たな価値を創造することに貢献します。
《 事業分野 》
モビリティ・ロボティクス
《 事業内容 》
シンプル動作のピッキング用協働ロボットCOROの開発・製造・販売・アフターフォロー等

メカが大好きだった少年時代

アマテラス:

尹さんの幼少時代、学生時代のお話をいただけますでしょうか?

ライフロボティクス株式会社 代表取締役社長 尹祐根氏(以下敬称略):

子供の頃からメカが好きで、家の掃除機が壊れた時もドライバーで掃除機を分解していました。幼稚園の頃からロボットアニメをよく見ており、そのオモチャを買うこともありました。ちょうど小学生の頃にガンダムが放映され、ガンプラを買って、ジオラマを作ったりしていました。

アマテラス:

メカに関心を持つような理由やきっかけはありましたか?

尹祐根:

思い浮かぶことはやはりアニメです。ロボットアニメに非常に影響を受け、そこから物を作ることが好きになりました、小学校の時はラジコンやプラモデルをひたすら作って、改造して、壊して遊んでいました。運動に関しては、スイミングの選手として試合に出ており、ボーイスカウトで野外活動もしていました。

アマテラス:

室内で遊ぶ子供か外で遊ぶ子供か、どちらかに振れてくると思うのですが、尹さんの場合は両方好きだったのですか?

尹祐根:

私の場合はどちらも大好きでした。中学では陸上部に入り、短距離が学校で一番速かったため、100mと200mとリレーの選手に選ばれました。跳躍も得意で、幅跳びと三段跳びの選手に選ばれ、三段跳びでは地域の記録保持者になることもありました。勉強面では、数学と物理、理系が得意でしたが、国語と社会と英語は普通だったので、学力は平均より少し上くらいでした。学校と部活動が忙しかったので、ラジコンやプラモデルは、息抜きでたまにやっている程度でした。

1日18時間を勉強に費やした受験時代

アマテラス:

高校時代はどのように過ごされていたのですか?

尹祐根:

中学と同じ陸上部に入り、100m・200m・リレー・三段跳び・棒高跳びの選手に選ばれました。棒高跳びでは県の強化選手にも選ばれました。特に塾には通わず、学校の授業を中心に勉強していました。

アマテラス:

浪人されたそうですね?

尹祐根:

高校時代は部活動中心で生活していたので、受験勉強の準備があまりできていませんでした。そこで、予備校に通い、浪人時代の1年間は計画的に過ごしました。得意なものも伸ばしつつ、苦手なものも克服する必要があるので、受験までのスケジュールから逆算して1週間のスケジュール、1日ごとにやることを決めて、1日18時間勉強していました。18時間勉強できたのは、陸上部で基礎体力を養ってきたからかなと思っています。その結果、苦手科目も克服することができ、ロボット研究ができる九州大学工学部に合格することができました。

自ら掴み取ったチャンス。念願のロボット研究。

アマテラス:

学部と修士ではロボット研究ができなかったんですね。

尹祐根:

はい、学部の研究室選択ではロボットの研究室に入れず熱力学の研究室に配属され、さらに、修士課程でも大学院試験で良い点数を取ることができず、金属疲労破壊の研究室に配属されました。ロボットの研究ができず、失意を抱えて就職を考えていた時に、たまたま他大学の博士課程でロボット研究をしている知り合いの先輩に「博士課程でもロボット研究はできるんじゃないの?」と言われました。実際は何の経験もなしに博士課程で新しい研究を始めることはとても大変なことなのですが、当時の私は大変なことを気にせず、それだ!となりました。ネットで全国にある大学の研究室を調べた結果、東北大学の教授が宇宙ロボットを研究していて、非常に惹かれたんです。その教授に会うために、様々な手段でアポを取り、博士課程への進学を希望している旨を伝えました。最初は、「ロボットの知識がまったく無い君にはとても難しいよ」、と言われました。あきらめずに「どうしてもロボットがやりたい」と伝えると、教授は「博士号を取得するまで何年かかるか分からないけれども、それで良かったら覚悟の上で来なさい。ただし、大学院試験に合格することが前提です。」と言われ、覚悟を決めた上で試験を受けて、合格し、東北大学に進学しました。

アマテラス:

博士課程から専門を変えるのは大きなチャレンジですね。博士課程の入学試験とはどのようなテストだったのですか?

尹祐根:

修士課程に進学する際の試験と同様なので、数学、英語、力学などのベーシックなものです。けれど、修士課程では研究がベースになるので、学部で習うような勉強をかなり忘れてしまうものなんです。そのため必死で研究する一方で、試験に向けた勉強もしました。博士課程に進学するまでは、簡単なFortranのプログラミング経験しかなく、C言語はまったく知らないレベルでした。ロボット工学に関してもほとんど知らないので、学部の学生たちと一緒に授業を受けて一から勉強しました。ただ、勉強と研究がとにかく楽しくて仕方なかったので平日も、土日も、祝日も、正月もずっと大学にいて、本当に大学で生活していました。そして1年半経った時の2年生の夏ぐらいに、研究室の教授から「助手に応募しませんか?」と誘われました。

アマテラス:

それは尹さんが優秀で目を付けられていたということですよね。

尹祐根:

たまたま助手のポストが空いたのと、今後伸びる要素があると感じてもらったからだと思います。博士課程を中退して助手になったのですが、ただロボットの研究を始めて1年半なので基礎知識が足りないため、助手になってからも授業に参加させて頂いていました(笑)。

助手になって1年経った時に、私の研究を評価してくれる人が国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)にいて、「研究者採用の公募がかかっているので応募して欲しい」と言われました。世界中から優秀な人たちが応募するので厳しい競争になるけど、採用されれば日本のトップの研究者たちと研究できる環境に行きたかったので、受けてみたら通ってしまいました。博士課程を中退していたので、博士号を持たないまま産総研に入り、産総研で研究しながら東北大学において論文博士で学位を取得しました。産総研での研究は、原子力プラントのメンテナンスロボットや人型ロボットの腕を使った研究をしていました。基本的に『腕』が好きなのでずっとロボットアームの研究をしていて、2006年頃から、これからは人口減少による労働者不足が大きな問題になると考え、人の近くで動く協働ロボットが今後の日本を救う技術になると考え始め、協働ロボットの研究を始めました。

アマテラス:

東北大学でロボットを学び始める時に、ロボットアームをやりたいという思いがあったのでしょうか?

尹祐根:

はい、人の手と腕の器用な点に興味がありました。どう制御したらあのように器用に動くのだろうと興味を持ち、とにかくロボットで人の手先の器用さ(手先技能)を実現したかったのです。原子力プラントのメンテナンス、人の代わりになるような介護ロボット、製造業のロボットなど全てにおいて腕を使うため、そのあたりをやっていきたいと考えていました。

起業することはあまり考えてなかった。

アマテラス:

産総研で研究者をされてから起業される背景をお話いただけますか?

尹祐根:

起業することはあまり考えて無かったです。世界TOPのロボット研究者になることが目標だったので。しかし、当時は、商品化に賛同してくれる企業や事業家がいなかったのと、人口動態から今後は労働力が足りなくなることは明白だったので、自分で会社を立ててやるしかない、それしか選択肢は無い、と考え始めました。

ロボットの必要性を理解されず、お金も集まらなかった最初の7年

アマテラス:

ものづくりの会社は最初に先行投資がかかり、ITベンチャーと比べて軌道に乗るまでのハードルが高いと思うのですが、どのように乗り越えてきたのでしょうか?

尹祐根:

ライフロボティクスを創業した2007年の頃は、協働ロボットの話をしても誰も理解してくれませんでした。2008年にリーマンショックが起きて人が余りました。その人が余っている状態で将来人が足りなくなるから協働ロボットが必要だと言っても誰も理解できません。理解されなければ、お金は集まらない、お金が集まらないと人も集まらない。誰も相手にしれてくれない状況のまま、2014年ぐらいまでは開発費に貯金を切り崩して充てていました。

アマテラス:

一方で、売上があがるまでは時間がかかったと思います。

尹祐根:

ライフロボティクスとしては、2015年末まで売り上げはほぼゼロです。このため、私は創業から2013年末まで無給で働いていました。

アマテラス:

では研究開発は尹さん、一人でやっていたのですか?

尹祐根:

はい、メンバーが増えたのは本当にここ数年の話です。最近になってちょっとずつ僕たちの協働ロボット事業が理解されるようになったので。そして、去年(2015年)の10月に初めて本格的な投資を受けることができました。

アマテラス:

売上が無く、資金調達もない状況で積極的に人を採用していたことになりますね。

尹祐根:

売上予定も不透明で、手元にお金もないにも関わらず、なぜそういうことをしたかと言いますと、去年(2015年)の12月に国際ロボット展(隔年開催)がありました。この国際ロボット展が、日本国内で協働ロボットの大きな転換点となり、協働ロボットに対する認知が広がるだけでなく、本格的な取り組みが始まると予想していたのです。だからこそ、大企業と同規模のブースを出展し、全世界に対してライフロボティクスという名前を出し、業界内で確固たるポジションを確保する必要があると。そうしないと、そこですべてが終わる、考えていました。2年後の2017年では遅すぎる、去年のあのタイミングしか絶対にない、考えていました。お金も何もなかったですが、そこにターゲットを置いて、メンバー全員が本気で全力で開発を進めました。

アマテラス:

ここが勝負どころだと確信があったのですか?

尹祐根:

はい。世界の動きを見て、そう確信していました。そのため、資金調達前から国際ロボット展への出展を決めました。初めての資金調達なので、多くの障害にぶつかり、社内には厳しく支出の削減を強いた時期もありました。何事にもあきらめずに取り組んでいたので、国際ロボット展に出展する時期の直前に私たちの事業に理解を示すVCが現れ、資金調達が成功し、事業が一気に立ち上がりました。今でも、メンバーを含めて、私を信じて協力してくれた方々には感謝しています。

新しい概念のロボット

アマテラス:

ライフロボティクスの技術的なブレイクスルーはどのように起こってきたのでしょうか?

尹祐根:

技術的なブレイクスルーは、トランスパンダー®テクノロジーをベースにした肘がないロボットアームを生み出したところです。

この基本コンセプトは、2007年ぐらいに複数のメンバーから生み出しているのですが、ロボット分野における発明にも繋がっています。
これまでずっとロボットアームの研究をやっていて、私も人の腕のような垂直多関節型ロボットをたくさん使ってきました。垂直多関節型ロボットって、とても扱いが難しいんです。肘はいろんなところにぶつかるので、とても邪魔なんです。肘がある限りプロしか使えないロボットだと感じています。それを協働ロボットとして世の中に広げるためには、どうすれば良いのか?答えは、素人でも簡単に使える道具にすることだと考えました。例えば、誰でも鉛筆を使えますよね。ロボットもそのようになっていかないと本格的に広がらないだろうと。それを実現するためにロボットってどうあるべきだろうと考えた時に、肘があったらやっぱりダメだと考えました。そのため、肘をどうなくしたら良いか何人かのメンバーで話をしている中で、基本コンセプトが出てきました。その基本コンセプトに捕らわれずに、さらに考え抜くことで、今のトランスパンダーの基本技術が誕生しました。トランスパンダーを使った肘のないロボットアームCOROは世界で初めてです。

そしてメンバーと試行錯誤しながら最初のプロトタイプを作りました。ブレイクスルーが何かと言われると、脳みそがちぎれるほど考えまくったということです。単純に「ひらめたらGO!」でうまくいく話ではなく、何年間も成果が出るまで地道に、愚直に、ひたすらトライアンドエラーを繰り返しながら開発してきました。

アマテラス:

この肘のないアームロボットがライフロボティクスの強みとなり、こうして発展されてきたのですね。

尹祐根:

その通りです。従来のロボットは大きく3つのタイプに分類されます。
① 人の腕のような垂直多関節型ロボット
② 動く範囲が狭いけど高速で動くパラレル型ロボット
③ 水平に物を動かすのが得意なスカラー型ロボット

COROは従来の3タイプに属さない、まったく新しい4つ目のロボットと言われています。アカデミックな世界からも、トランスパンダーを使ったロボットは、革新的な評価を受けています。

アマテラス:

お金が入らないままひたすら働く6~7年間という時間はすごく長かったと思うのですがどのような気持ちで乗り越えてきたのですか?

尹祐根:

この国は、生産性向上だけでなく、必ず労働人口減少に伴う諸問題が発生し、従来のロボット技術では解決できず、それを解決する手段や方法を実現しないと日本が滅びてしまう、という考えが前提にありました。所属している組織がどうこうとか、小さな話をしていても仕方がなく、日本が滅びたら全部終わりです。日本を滅ぼさないためには何が出来るかと考えると、私は、たまたまこれからの日本や世界に通用するロボット技術を持っている。であれば、次の子供たちの世代に向けて、出来ることをしたい、人として当たり前のことを、当たり前にしていく、それしかありません。だから、ライフロボティクスを創業し、事業化を進めています。

ロボットが近くで動いていることが当たり前の世界を!

アマテラス:

ライフロボティクスは、ロボットで日本をどう変えていきたいのでしょうか?

尹祐根:

基本的にロボットは道具です。みんながロボットのことを「ロボット」と言わなくなることが、ロボットが普及している証拠になると考えています。例えば、昔はパソコンが導入されただけで、話題となっていた時代がありました。今では誰もが使うので、パソコンが導入されていることを、あえて人に伝えたりしませんよね。ロボットも同じようにしたいと考えています。ロボットが当たり前のように導入され、別に誰もすごいと思わない。今はロボットが導入されたら「すごい」と言われますが、それは普及していない証拠です。全世界で普通にロボットが導入されている世界を創ります。日本はこれまで以上に人が減ることで経済が小さくなっていくため、労働者と生産性の問題は必ず起きます。そこを支えるためには、ロボットしかありません。よく移民を受け入れれば良いという意見がありますが、様々な要因からその選択肢は難しいと考えています。「日本はどうやって生き残るか、日本だけでなく世界を支える新しい産業とは」という問いに対しては、協働ロボットが答えになると考えています。

アマテラス:

日本のこれからの課題をロボットで救おう、ということですね。

尹祐根:

はい、今は団塊の世代が高齢者となり、団塊ジュニアである僕たちの世代が主として支えています。しかし、団塊ジュニアが65、70歳になると、下の世代は人口が少ないので支えるのは極めて難しい。海外から人が来るのも難しい状況ではロボットで支えるしかありません。これは既に日本が直面し始めた危機なのです。「日本が生きるためのロボットを使った基盤産業構築」が僕らのビジネスなのです。そのため、ロボットで単にお金儲けをしたいのではなく、日本を根底から支えるために、ライフロボティクスは存在しています。単なる協働ロボットメーカーではなく、生産性向上・労働環境の改善・人手不足の解消という様々な側面を持つ大きな世界的な社会問題を解決するために、本気で取り組んでいる会社です。私たちの協働ロボットを中心とした事業で、今の日本が持つ問題を解決できれば、これから日本と同様に人口減少に陥る中国やインドなどにも、私たちのビジネスを展開できます。日本は輸出により外貨を稼ぐことが重要な点であるため、そうすることが日本を衰退から救い、今後も発展していく礎になると考えています。それくらい重要な局面にきているのです。

アマテラス:

ライフロボティクスの課題は何ですか?

尹祐根:

人材です。人材が圧倒的に足りていません。エンジニア、営業、メンテナンス、総務、人事など、全てが足りません。なぜなら、僕たちの成長スピード以上にお客様のニーズが顕在化しているからです。
僕たちは名刺にもホームページにも「ベンチャー」という言葉を使っていません。それは、ベンチャーという言葉に甘えたくないからです。「ベンチャーだから、ここは許してもらえるだろう」という言い訳を絶対にしたくありません。それは単なる甘えだと思っています。メーカーとしてお客様には安心して使って頂くために、そのような言い訳は全部やめました。お客様からの期待を超える商品を作るためのプレッシャーを自分たちに課しています。

アマテラス:

求める人物像について教えてください。

尹祐根:

人として当たり前ではありますが、誠実で嘘をつかない人です。また、感情ではなくて論理的にコミュニケーションが取れる人です。仕事をしていると必ず失敗をします。特にチャレンジする人ほど失敗をします。その失敗を隠さず、正直にメンバーに伝え、失敗を正確に分析し、次に生かすことが非常に重要だと考えています。

もうひとつが、常識を疑う人。私たちは「redefine(再定義)」を大切にしています。全てのことを「本当にそうなの?」としっかりと自分の頭で考えられる人です。他の人に言われたからではなく、自分の頭で考えて行動することが重要です。そのため、私が「何かやってね」とお願いした数日後に「何してるの?」と聞きます。その時に「尹さんに言われたからやっています」と言うのは、ダメです。それは、単に言われたことを盲目的に取り組んでいるだけです。自分の脳みそをフルに動かして考え、納得していない場合はしっかりとディスカッションすべきです。これをライフロボティクスでは非常に大切にしています。そうでないとライフロボティクスで働いている意味が無く、個人の成長にもつながりません。

「本気で成長できる環境」それがライフロボティクス

アマテラス:

ライフロボティクスさんで働く魅力を教えてください。

尹祐根:

私たちが設定した厳しい選考基準をクリアした本当のプロフェッショナルと一緒に働くことができます。このため、大半が中途採用です。また、一般的にはリスクを取らないと言われる、家族持ちが多いのも大きな特徴のひとつですね。さらに個人に与えられる仕事の裁量がとても広く、他部署との連携も早く深いことです。ディスカッションにおいても上下関係の壁はありません。入社したばかりの人でさえ、私に対して反対意見を言い、私の意見も採用されないことが多々あります。そのような意味で風通しはとても良いです。これからの日本を支える基盤産業となるべく圧倒的な働きがいのもと、人として社会人として大きな成長を実感できます。なぜなら、私が求めるものが全て世界TOPレベルだからです。さらに、自分の頭で考えるということを徹底しています。意見に対して「なぜ思い付いたか」、「根拠は何か?」「定量的・論理的な説明は?」などを徹底的に聞きます。ディスカッションは相当きついと思います。

アマテラス:

常に考えることが要求される。その分成長できる環境はありそうですね。

尹祐根:

確実にあります。逆を言えばそれをしないと人は伸びません。ライフロボティクスは、成長したいという強い意欲がある人以外は採用しません。そうでないと入社後とても苦労しますから。私は産総研でのロボット研究を通じてアメリカのMITやスタンフォードなど世界トップの研究者・エンジニアのスキル・思考方法・働き方を知りました。そして、彼らと同レベル以上のものをメンバーに求めます。なぜなら、ライフロボティクスは日本を支えるために世界トップの会社になるためには、彼らと勝負して勝つ必要があります。ライフロボティクスで働くということは、そういうことなのです。
求める成果のレベルは高く、スピードも要求します。そのため、ライフロボティクスの事業にコミットし、努力を惜しまず成長に貪欲な人、チャレンジしたい人には最適な会社です。逆に、それを望まない方は絶対来ないほうが良いと思います。「今流行のロボットスタートアップに行きたいな」ではなく、本当にガチで、自分の限界や世界に挑戦してやろう!くらいの意気込みが必要です。

アマテラス:

貴重なお話ありがとうございました。

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

ライフロボティクス株式会社

ライフロボティクス株式会社
https://liferobotics.com/

設立
2007年12月

《 Mission 》
人を活かすロボティクス 私たちは、人を支援する協働ロボットの開発と提供を通して、人が新たな価値を創造することに貢献します。
《 事業分野 》
モビリティ・ロボティクス
《 事業内容 》
シンプル動作のピッキング用協働ロボットCOROの開発・製造・販売・アフターフォロー等