世界最速でも、最先端でもなく、ただ『未来の当たり前』を作っていきたい

ナーブ株式会社代表取締役 多田英起氏

近年、急速に身近な技術となってきたVR(バーチャルリアリティ)。家庭用ゲーム機やアミューズメント施設等でその技術を体感できる機会も増えてきた。このVR技術をエンタメではなく、人々の生活を豊かにする技術として、不動産物件の内覧や観光で展開しているのがナーブ株式会社である。
今回はナーブ株式会社の多田英起氏に、起業までの紆余曲折やその後のエピソード、そして、求める人材像についてお伺いしました。

多田英起氏

代表取締役
多田英起氏

1979年生まれ。兵庫県西宮市出身。
BPOサービス・システム開発の株式会社エーピーコミュニケーションズ入社後、社内ベンチャーとして2015年10月 にナーブ設立。2016年5月にジャフコなどから第三者割当増資を実施し、VR事業のスピンアウトする形で独立。現在事業の急拡大を図っている。

ナーブ株式会社

ナーブ株式会社
https://www.nurve.jp/

設立
2015年10月
社員数
20名

《 Mission 》
明日の当たり前を作る。
《 事業分野 》
VR
《 事業内容 》
VR(バーチャルリアル)コンテンツのプラットフォームの提供

父から「ゲームは買うのではなく、自分で作る」と教わった幼少時代

アマテラス:

まず、多田さんの家族構成や生い立ち、小さい頃の思い出について教えてください。

ナーブ株式会社 代表取締役 多田英起氏(以下敬称略):

家族構成は、父母と姉が1人、それと僕の4人家族です。生まれは西宮ですが、最初の記憶があるのは愛知の御油というところで、その後香川に引っ越しました。
父は自動車の設計や電気系を扱う仕事をしており、パソコンが好きでした。

小学生時代、近所のお兄さんがやっていたドラクエやスーパーマリオをやりたくて「ファミコンを買って欲しい」と頼んだら、当時マイコンと呼ばれていた、今でいうパソコンのようなものを与えられました。

「これではゲームができない」と言うと、「自分で作れば良い」とマイコン入門の本を渡され、読めない漢字と格闘しながら夜中までかかってじゃんけんゲームを作ったのを覚えています。

アマテラス:

小学生が、独学でプログラミングしたのですね。

多田英起:

難解な説明書より、むしろプログラムの方がわかりやすかったです。

当時、作成したゲームはカセットテープに保存したのですが、僕はテープの端の白い部分に録音してはいけないことを知らず、翌日再生してみると折角作ったプログラムが消えていました。今でも忘れられない思い出です。

父からは、そのような方法で「ゲームは自分で作れるのだ」と教えられました。

飽きるまで遊んだ後、勉学の楽しさに目覚めた工業高校時代

アマテラス:

学生時代のお話も聞かせてください。

多田英起:

高校は工業高校に進学したのですが、ここが「勉強しろ」と全く言わない学校でした。
何も言われないのを良いことに、授業も聞かずに月曜日にはジャンプ、水曜日マガジンとサンデー、それからチャンピオンと少年漫画を読みまくり、毎日忙しく暮らしていました。

でも、面白いことに、1年もするとこういう生活にも飽きてきました。それで仲間と「やることないね。久しぶりにプログラミングやろうか」という話になり、改めて取り組んでみたら本当に面白くて。

アマテラス:

自発的にプログラミングの勉強を再開したのですね?

多田英起:

当然授業もあるけれど、勉強となるとつまらない。
それよりも、映画『バックトゥザフューチャー』に出てくる「ホバーボード」という浮き上がるスケートボードを作りたいと思いつき、そこから一心不乱に物理学の本や色々な論文を読み漁るうちに、いつの間に勉強がすごく楽しくなっていました。

遊び飽きた頃に、知識欲求が満たされる楽しさに気が付き、「いくらでも知りたい!」となったわけです。

工業高校ならではの充実した設備や先生方の協力を存分に享受することができ、恵まれた高校生活が過ごせたと思います。

英語力ゼロで渡ったアメリカでの、ビジネスとの出会い

アマテラス:

多田さんは大学時代をアメリカで過ごされたようですが、どんな生活だったのでしょうか?

多田英起:

高校卒業後は世界に視野を広げたいと考え、「アメリカの大学へ行こう」と思い立ち、英語も分からないまま、とにかく行ってしまいました。

インターネットと出会ったのもこの頃です。当時、日本はPC-98(PC-9800シリーズ)擁するNECが全盛期でした。ネットスケープが登場し、「インターネット革命だ!」と世の中がわくわくした時代でしたね。

ところが、ボストン空港に降り立ったらどこにも日本語はなく、全部英語じゃないですか。「Departure」と「Arrival」の看板でさえ全く分からない。最終便で到着したので、どんどん空港の電気が落ち始めて焦りました。
唯一持参した『これで完璧ガイドブック』という本には、挨拶は「How are you?」だと書かれていたのに、いきなり「How are you doing?」と言われ、すぐに本が役に立たないことも分かりました。

アマテラス:

最初は語学学校に入ったのですか?

多田英起:

そうです。最初に入った語学学校でも、英語を使って英語を習うことに苦労しました。買い物でもレストランでも全ての意味が分からず、生命の危機を感じるレベルでしたから。
語学学校を卒業した後も、MIT(マサチューセッツ工科大学)に行きたかったのに落ちてしまいました。

アマテラス:

東大よりも難しいですからね。その後、どちらに進学されたのですか?

多田英起:

結局、ボストンではノースイースタン大学とウェントワース工科大学で学びました。
ノースイースタンはビジネスに強い大学なのですが、勉強してみたら物凄く面白く、「よし、ビジネスだ!」とそのままビジネスにメジャーチェンジすることにしました。

アメリカでは食生活の違いや言葉の壁、そして大学の授業の進め方の違いなどに辛い思いもしましたが、銀行のインターンなど貴重な経験もすることができ、やはり大変楽しかったです。

部下を救ってくれた恩義からエーピーコミュニケーションズに入社

アマテラス:

アメリカから帰国後の生活についてお聞かせください。

多田英起:

帰国直前に父が骨髄腫という病気で倒れ、実家に戻ることになりました。

闘病中、母は「骨髄腫友の会」に入り様々な情報収集をしながら父の面倒を見て、僕はひとまず仕事には就かず、父が好きだった登山に付き合って四国中の山を登ったりして、久しぶりに家族との時間を過ごしました。

一緒に過ごすうちに、改めて父に対するリスペクトの気持ちも湧いてきました。父の人生は「こういう風に終われるのはすごくいいな」と思える人生だったように思います。

父の亡くなった後、仕事を始めました。
最初に入った会社は大企業過ぎて思うような仕事が出来ずに辞め、その後転職したベンチャー企業は入社後間もなく経営危機に陥りました。

そこで、当時所属していたチーム10人くらいで就職活動を始めました。幸い僕はすぐに内定が決まったのですが、部下の就職活動のために100社くらい面接を受け、「僕の部下にこんな人材がいるのですが、御社のお役に立てると思います」と話しました。会社が潰れて部下が路頭に迷うのだけは避けたいと思い、必死でした。

でも、経験の少ないエンジニア2人だけどうしても決まらず困っていたところ、最後にエーピーコミュニケーションズ(以下、APC)に拾ってもらいました。何度か会ううちに、僕の顔がみるみる疲れてきたのを見て、救いの手を差し伸べてくれたのです。

この決断に大変恩義を感じ、結局僕も3年間の約束で、彼らと一緒に入社することにしました。

退職願いから一転、新規事業立ち上げへ

多田英起:

そして、約束通り3年後に退職を申し出ると、社長から「3か月間、何でも自由にやって良いから頑張ってみないか」と声をかけていただき、有難く受けることにしました。

とは言え、たった一人のプロジェクトでどうすれば良いか分からず、まずはお付き合いのあったIIJに相談の電話をしてみると、「500万円出す。それで何を作るかは、一緒に考えよう」とチャンスを頂けることになりました。そして、新しい組織を立ち上げることになりました。

アマテラス:

素晴らしいですね。これが今のVR事業の始まりですか?

多田英起:

いいえ、まだです。当時、会社ではITコンサルをやっていたのですが、コンサルだけでは少々面白みに欠けると感じていたので、それに加えてシステムの構築から導入、さらにその後の補償まで丸ごと提供してみたら面白いのではないかと考え、チャレンジしてみることにしました。

これが成功し、次のステップとしてNTTやKDDIと一緒に我々にしかない技術を開発して技術に特化したイノベーションを起こそうと、様々な事業を開始しました。その中の1つにVR事業があったのです。

その時点では組織も40名ほどの大所帯になっていたのですが、事業が順調だったこともあり、VRにはかなりの額の投資を行いました。ただ、残念ながら売上はゼロでした。

アマテラス:

当時VRは最先端過ぎて、発注元も理解が追いつかなかったのではないですか?

多田英起:

はい、お客様はNTT研究所だけでした。
でも、VRには大きな可能性を感じて、「この技術で世の中が変わる」と確信しました。そこで、もっと世の中が変わる新しい研究をしなければと思いました。

失敗の繰り返しから辿り着いた「未来の当たり前をつくる」という経営方針

アマテラス:

その後、事業全体としては順調だったのでしょうか?

多田英起:

色々な分野に取り組みましたが、失敗の連続でした。

その中でも一番苦い経験が、とある企業のクラウドサービスです。そこから国内のクラウドを発展させようと考えたのです。

国内の通信キャリアがプライベートクラウドを提供すれば、市場企業がパブリッククラウドの3倍あるので、パブリックの代表のAmazon Web Serves(以下、AWS)に勝てるのではないかと考えました。
しかし、全く歯が立たず、最終的にはAWSの1強になってしまいました。

アマテラス:

確かにあらゆるところに入っていますね。なぜ負けてしまったのでしょうか。

多田英起:

最大の要因は、「視線の先」の違いだったと思います。
僕らはひたすらAWSを意識し、機能も価格も全て彼らとの比較で売り込んでいました。一方、AWSは僕らの方を一切見ていませんでした。ただシンプルに、変えたい未来だけを見据えて進化を繰り返していました。

「勝てないかもしれない。」と諦め始めると、ダイレクトコネクトを使って我々の牙城だったプライベートクラウド市場まで徐々にAWSに喰われだして、悔しいけれど完敗でした。

技術面では絶対に負けていないはずなのに、提供するサービスは相手が遥かに優れているということに、非常に危機感を覚えました。

実はこの「技術的には勝っていたけれど、なぜか負けた」という言葉は、日本のエンジニアがよく言う言葉です。しかし、負けたという事実に間違いはない。この言い訳は一回捨てようと思いました。

「勝った人」と「負けた人」ではどちらの学びが大きいかというと、僕は「負けた人」だと思っています。
その負けた経験を活かし、以後真剣な投資に集中するようになりました。気にするべきは損益分岐点でも他社が提供する機能でもなく、「自分がどのように世界を変えたいのか」ということです。

1位がいて、アメリカにこんな会社があって、その会社を追いかけて、みたいな話は絶対面白くないし、勝てない。

未来の社会のビジョンは自分達で描いた方が絶対面白いはずです。
来年の自分達よりももっと色々作りたいし、もっと早くリリースしたい。来年の自分達をどうにかして超えたい。すなわちそれは「自分たちが社会をどう変えるか」です。

アマテラス:

それが多田さんの現在の経営方針に繋がっているのでしょうか。

多田英起:

「ナーブの60回の失敗」と言っているのですが、僕は数多くの失敗を繰り返して来ました。でも、失敗と改善を繰り返せば世の中に近づくし、もっと高速回転で繰り返して行けば自ずと未来が見えて来る。

僕らがやっていることは結果的には世界を変えることになり、それが世界の当たり前になっていくはずです。決して凄く難しいことを世界最速でやろうとしている訳でも最先端を走ろうと思っている訳でもなく、ただシンプルに「未来の当たり前」を作っていきたい。それが僕らの今の方針です。

運命を大きく変えた、(株)アイリッジ小田社長との出会い

アマテラス:

それでは、そろそろVR事業のお話を聞かせてください。

多田英起:

先にお話ししたように、VRとの出会いは鮮烈でした。
初めてVRを見たときの衝撃は、アメリカでネットスケープに出会った時のそれを遥かに超えていました。大きな可能性も感じましたし、何よりもとにかく面白かった。

その頃、今の事業の大きな転換点となる出会いがありました。
先程も話しましたが、僕たちはクラウドを初め様々な分野への投資を行っていました。その中の一つにO2O(オーツーオー、Online to Offline)もあったのですが、そこでアイリッジという会社を紹介され、小田社長とお付き合いが始まりました。

アマテラス:

アイリッジは2015年に東証マザーズ上場しましたね。

多田英起:

その通りです。
うちには高い技術があり、実はO2Oにも早くから目を付けていました。しかし、僕らは上場に至っていなかった。しかし、出会った時はまだ数人の会社だった彼らはその後急拡大し、上場したのです。

「この差は何か?」どうしても答えが出ず、アイリッジの上場パーティに伺った時に、小田社長に聞きに行きました。

「アイリッジの上場はとても嬉しいし、僕の人生で一番楽しい日だけれど、同時に一番悲しい日だ」と伝えました。そして、現在投資しているVR事業について、どうやってアイリッジのように育てて行けば良いか分からないと、率直に相談してみたのです。

すると小田社長は、「資金調達をやったらどうだ。資本戦略を考え、資金調達をしよう」と言ったのです。

初期の資金調達に恵まれた順調な独立

アマテラス:

小田社長が仰ったことは、独立のすすめだったのでしょうか?

多田英起:

そうですね。それをきっかけに、VRに特化した事業をスピンアウトする形での独立を模索することになりました。

事業を拡大するためには資金が必要です。
1年では2億円、2~3年やるとなると多分5~6億円は必要だと試算していましたが、間違いなく会社からは引っ張れないし、引っ張るべきではないものだと思っていると話すと、「だったら、外部から資金調達すれば良い」と、資本戦略を立てて下さいました。

アマテラス:

驚きました。上場企業の社長自らがそこまでやってくれたのですね。

多田英起:

初期の資本戦略は、9割9分9厘小田社長が立てたものです。僕はタイトルから「(仮)」を外しただけです。僕はそこしかやっていません(笑)。あまりにも完璧で、口を挟む余地はありませんでした。
現在、僕らの仕事は全てその資本政策通りに進んでいます。

アマテラス:

独立初期の資金調達はどのようにされたのでしょうか?

多田英起:

最初は小田社長から何社か紹介を受けました。そして、ベンチャーキャピタル(VC)から億単位の調達をしました。

アマテラス:

最初から億単位ですか!明確なプロダクトがまだあるわけではなく、出荷者としてはまだまだこれからという状態ですよね。

多田英起:

はい。技術のベースとビジネスのアイデアはあって、そこの2つを繋げるノウハウがないという状態でした。
そのため初めに出資の相談に行ったときはさすがに断られたのですが、次に別件でお会いした際に弊社の変化の速さを評価していただき、一転お願いできることになりました。

その他、元の会社APCや電通からも出資して頂き、次の段階に進む足固めができました。

人材採用で失敗…。組織を刷新し、躍進へ

アマテラス:

とても順風満帆な船出に見えますが、苦労したことはありましたか?

多田英起:

新しく採用したメンバーがなかなか機能せず、かなり苦しかったです。

営業にしても開発にしても優秀な人材ばかりだったのですが、新旧メンバーの融合が上手く行かず、社内環境がみるみる悪くなりました。

また、ハードウェアの開発失敗もありました。仕上がってきた製品を見たら品質が全く要望に合っておらず、設計からやり直したためリリースが約半年遅れてしまいました。

アマテラス:

差支えなければ、具体的にどんな問題があったか教えていただけますか?

多田英起:

まず、営業トップにナーブのソリューション自体を理解してもらえませんでした。
細かくて地味で、最先端の技術とは関係のないけれども利用者にとっては大事な側面を疎かにされたり、世の中の一般的なVRとうちのVRの違いを理解できないまま営業をかけたりといったことがありました。

また、新しい価値を創造してもらう必要があったのですが、そこができずにトップ営業だけで押すようなタイプは、うちには合わなかったと思います。

開発部門では、「技術で世界を変えたい」という思いが先走り、協力すべきSIやその他の関係部門とうまく役割分担が出来ていなかったように思います。
そうすると、どんなに優秀でも思うような成果は上げられず、リリースの遅れという結果になったのだと思います。

アマテラス:

多田さんがその後、失敗をどう活かしたのかもお聞かせください。

多田英起:

僕なりに失敗の原因について色々考えました。
メンバー間の足並みが揃わなかった最大の要因は、全員で思いを一本化出来ていなかったことではと思い至りました。

VR事業で数億円も調達した会社は僕らが初めてだったので、そこに惹かれてやって来たメンバーと元からいたメンバーとの間で、求めているものが全く違ったのだと思います。

そこからは全員でビジョンや価値観を共有することを最優先にし、それに共感できる者のみで組織を作り直すことにしました。思い切って人員の入れ替えもしました。
そこからの業績や技術の伸びは、自分の会社ながら凄かったです。

信頼されるのは「失敗を繰り返し、考え抜いて作ったサービス」だからこそ

アマテラス:

現在は三菱地所等大企業とのお付き合いもあると思いますが、失礼ながら御社のような小さな会社と大企業がどのように関係を築いたかに大変興味があります。先方社内でも「こんな小さな会社で大丈夫か?」という話があったかと思います。 信用の壁をどのように乗り越えたのでしょうか?

多田英起:

そこはやはり、「60回の失敗」がものを言いました。
僕らは「運用フローに合わせる」と言っていますが、VRをソリューション化して、100%の機能を利用者のためだけに開発しました。使ってみた人は誰もが分かるくらい、考え抜いた設計になっているはずです。
利用者に「これだけ完璧なソリューションがあります」と胸を張って言えることが、信用に繋がったのだと思います。

もう一つは資金調達力でしょうか。現在弊社は大手都市銀行から、第三者による信用保証をつけずに直接融資頂いています。

アマテラス:

ベンチャーに融資すること自体が珍しいですからね。

多田英起:

そこは確実に信用があるという証明にはなります。
また、資金が潤沢であれば開発は進み、バージョンアップのペースも加速します。そうすると、「何かあってもナーブなら解決するだろう」と理解してもらえるようになります。

「半年前に会った会社と別物だ」と言われることもあります(笑)。

アマテラス:

私もここ半年で随分変わったという印象を受けました。半年前にはなかった話がどんどん出て来ているのではないですか?

多田英起:

はい。更に新しい話も頂いています。

アイデアを超えた製品プランが出て来る

アマテラス:

新しいアイデアの着想は、大体多田さんがなさるのですか?

多田英起:

今は僕がやっています。
ただ、僕が「こんなのをやりたい」と言うと、エンジニアからは全く別の、更に色々なことが盛り込まれたプランが出て来るのでワクワクします。

現在ナーブでは2週間毎にデモンストレーションをやるのですが、それが楽しみで仕方ないですね。
エンジニアにサービス部隊、開発の人達、あと僕のビジョンみたいなものが色々とミックスしていて本当に面白いです。コンセプトを考えるのは僕なのですが、そんなわけで何が出てくるのかは僕にも分からず、いつも楽しみにしています。

アマテラス:

言われたことをやるだけではないのが、素晴らしいですね。

多田英起:

三本の矢と言いますが、僕はやはりエンジニアや営業や、これから未来を変えていくビジョンに共感し、共に歩んでくれる仲間とクリエイティブにやって行きたいと思っています。

今までなかった価値観を上手く紡ぎだし、世の中を変えるサービスを出すことができれば、大手がこれだけ取り入れてくれることは証明済みです。今ではd-room(大和リビング)もいい部屋ネット(大東建託)も、三菱も住友も、誰もが利用するサービスになりました。

そうするうちに世の中も変わり、いつの間にルールも変わって来るのだと思っています。

求めるのは「僕が言った話でも面白くない時は止め、もっと面白いものを作る仲間」

アマテラス:

最後に、御社がこれから求める人材や、今後のビジョンについて教えて下さい。

多田英起:

まず今後求める人材ですが、これからは代理店との付き合いも重要になってくるので、代理店マーケティングや営業が得意な人に是非入って頂きたいと考えています。

アマテラス:

と言うと、今後は御社が直接営業するのではなく、代理店を使った営業スタイルにシフトして行こうとお考えなのですね?

多田英起:

そうですね。不動産業界だけでも全国5万店舗あります。僕らだけで営業はできません。アライアンス先は既にあるので、彼らに対する販売促進などを請け負っていただけるとありがたいです。

また、エンジニアやサポートに関しては、言われたものだけを作るのではなく、ユーザからクレームを受けたらそれを基に「だったら、こんなシステムは行けそうだ」と発想の転換ができる人材を望んでいます。

弊社の組織体制は基本フラットです。管理者もいますが、仕事を活性化するにはフラット以外ないと思っています。

「多田さんが言ったから作りました。どうせ売れないと思っていました」という人は必要ありません。
僕がどんなに面白いと思った話でも、面白くないときは止めてくれて、もっと面白いものを作って行ってくれる、これが本当の仲間だと思っています。

今、弊社は世の中に認められ、Jカーブで上昇している最中です。売り上げも毎月倍増もしています。
この状況をまだまだこれからも継続し、未来を作っていくというビジョンに心から共感してくれるメンバーにどかどか入ってきて欲しいと考えています。

ナーブで働く魅力は、「世の中の潮流を変える一員になれる」

アマテラス:

ナーブで働く魅力はどのようなところにあるとお考えですか?

多田英起:

5年後の未来を自分達で作れるという実感が大きな魅力でしょうか。

「VRという新しい技術が世の中で流行ってきている」なんて話でなく、弊社でやろうとしている世界観に世の中が反応し、浸透しつつあることを日々実感しています。次のデファクトを作っている。

弊社で働けば、世の中の潮流を変えた一員になれる。様々な新しい技術を使い、世の中が変わる瞬間に出会い、体感できる。それはきっと楽しいことだと確信しています。

資金調達も安定していますので、安心して働いていただけます。上場も視野に入ってきました。

アマテラス:

今後のご活躍にますます期待しています。本日は素敵なお話を、どうもありがとうございました。

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アマテラス編集部

「次の100年を照らす、100社を創出する」アマテラスの編集部です。スタートアップにまつわる情報をお届けします。

ナーブ株式会社

ナーブ株式会社
https://www.nurve.jp/

設立
2015年10月
社員数
20名

《 Mission 》
明日の当たり前を作る。
《 事業分野 》
VR
《 事業内容 》
VR(バーチャルリアル)コンテンツのプラットフォームの提供