「できるわけがない」ことにチャレンジし続ける

株式会社カーボンフライ代表取締役 鄧飛( テンフィ)氏

今回の経営者インタビューは、株式会社カーボンフライ代表取締役テン フィ氏にお話を伺いました。
引張強度・導電性・熱伝導性などにおいて従来の常識をはるかに超える優れた性質を持ち、「奇跡の素材」とも呼ばれるカーボンナノチューブ(CNT)。カーボンフライは独自の技術と製法により高品質で安価なカーボンナノチューブの製造に成功し、バッテリー産業や車両・航空・宇宙産業など様々な分野での社会実装の実現を目指しています。

インタビューでは、テン氏のこれまでの歩みや創業エピソード、カーボンナノチューブの未来展望などをじっくり伺いました。新しい素材ゆえのご苦労はありつつも、高い技術力やチャレンジへの強い思い、そして社員の皆さんとの強固な繋がりで力強く前進を続けられるテン氏の頼もしい姿が印象的でした。開放的で風通しの良さそうなオフィスからはテン氏の「全ての人にリスペクトを」という思いが感じられ、とても素敵なインタビューになりました。

鄧飛( テンフィ)氏

代表取締役
鄧飛( テンフィ)氏

1999年4月 筑波大学第三学群工学基礎学類 入学
2003年4月 筑波大学修士課程 入学
2005年3月 筑波大学修士課程修了、修士(工学)
2005年10月 東京大学大学院博士課程 入学
2008年12月 東京大学 博士号取得(科学)

職歴
2008年 日本学術振興会 特別研究員(受け入れ先:東大)
2009年 オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO) 招聘科学者
2010年 アメリカ・デラウェア大学 ポストドクター
2012年 アメリカ・デラウェア大学 パーマネント研究職員
2012年 アメリカ・DDHAMS,Inc.設立
2016年 中国・Shenzhen CONE Technology Co., Ltd.設立
2022年 株式会社カーボンフライ設立 代表取締役就任

 株式会社カーボンフライ

株式会社カーボンフライ
https://carbonfly.co.jp/

設立
2023年01月
社員数
35名(2023年1月31日現在)

《 Mission 》
この素材で、時代を未来へ。
《 事業分野 》
次世代Tech
《 事業内容 》
1. ナノカーボン材料及びナノカーボン材料関連製品の研究、開発、製造及び販売
2. ナノカーボン材料及びナノカーボン材料関連製品に関する設備、周辺装置等の開発、製造、販売、設置、メンテナンス及び保守
3. ナノカーボン材料に関するコンサルティング及び受託開発

電気も水道も車もない小さな村で過ごした幼少期

アマテラス:

初めに、テンさんの生い立ちや幼少期のお話をお聞かせ下さい。

株式会社カーボンフライ 代表取締役 鄧飛(テンフィ)氏(以下敬称略):

生まれは中国です。『世界ウルルン滞在記』というテレビ番組はご存じですか? 日本の俳優さんなどが世界中の様々な地域を訪れて現地の人々の生活を体験するという番組なのですが、私が生まれ育ったのはその番組に出て来るような小さな村でした。

村には電気も水道もなく、4輪の自動車も見たことがありませんでした。6歳のときにようやく電気が来て、村に1台しかない白黒テレビを皆で観る、そんな幼少期を過ごしました。

言葉も全く分からぬ学校生活を生存本能だけで生き抜く

アマテラス:

日本にはいつ頃いらしたのですか?

鄧飛( テンフィ):

11歳の頃です。私の父は文化大革命の影響で十分な教育が受けられなかったのですが、文革後に上海の大学に進学することができました。そこから東京大学に留学することになり、私たちも父と一緒に東京で生活を始めたのです。中学を卒業するまで文京区で暮らしました。

日本に来てすぐ、地元の小学校に転入しました。言葉も全く分からず、しかもいきなり50年後の未来にタイムスリップしたような状態でしたから、「順を追って徐々に慣れる」という余裕など一切なく、とにかく周囲を観察し、真似をしながら必死について行くだけでしたね。生存本能だけで毎日を生きるという経験を通じ、精神的には相当強くなったと思います。

アマテラス:

ご自身が日本の環境にアジャストしてきたと感じたのは、日本にいらしてどのくらい経ってからですか?

鄧飛( テンフィ):

中学1年生の終わり頃、ある朝目覚めたら突然日本語が理解できるようになっていました。相手の話すことが理解でき、言いたいことも言えるようになっていたのです。それまで皆が私に笑いかけるのを「馬鹿にしている」と思い込み一方的に腹を立てていたものが、全くそうではなかったことにも気が付きました。
その頃からようやく落ち着いて、周囲に馴染んで行ったのではないかと思います。

中国で高校生活を送り、大学進学で再び日本へ

鄧飛( テンフィ):

父の方針で、高校は中国に進学することになりました。元々生まれ育った国だったので気楽に構えていたのですが、今度は一気に時代を逆戻りする経験をしました。学校の設備や教育環境、雰囲気など、全てが20年程遅れていると感じました。入学した高校が非常にハイレベルな進学校だったため勉強にはついていけず、また日本に嫌悪感を抱く教師たちからは差別を受けることもあり、あまり快適とは言えない環境でしたね。

大学は再び日本に戻り、筑波大学に進学しました。
高校を卒業したのは6月だったのですが、父から聞いていた「中国の進学校で勉強していれば日本の大学受験は簡単だ」という言葉を信じ込み、何の準備もしないまま日本に戻りました。ところが、実際にはセンター入試の過去問が中国の大学受験と変わらぬ難易度であること発見し、「ウソ!?」と。そこから記憶がなくなるほど猛勉強し、何とか合格することができました。

「できるわけがない」ことばかりやっていた大学時代

アマテラス:

大学時代で記憶に残っているエピソードなどはありますか?

鄧飛( テンフィ):

周囲から「できるわけがない」と反対されたり、「訳の分からないことを言うな」と言われたりするようなことばかりやっていました。

一番覚えているのは留学生会として開催した国際交流イベントです。当時の筑波大学には約70か国からの留学生が在籍しており、私はTISA(Tsukuba International Student Association)という留学生会の会長をしていました。これだけの人数の留学生がいるのに普段は交流がないのは勿体ないと感じ、TISAでイベントを開催することにしました。

まず、市内の国際会議場を予約し、全国の大使館、つくば市長や議員さん、さらには総理大臣と天皇陛下にも招待状を発送しました。近隣の企業や商店にも片っ端から足を運んで協力を仰ぎ、最終的に1000万円の広告費を集めました。最初は5人ほどでスタートした企画でしたが、宣伝を行ううちに徐々に協力者が増え、最終的には200人まで膨れ上がりました。

当日は20か国ほどの大使館代表、つくば市長や多くの議員さん、そして大学の学長などが来訪し、会場の周りには警察も出るほどの一大イベントとなりました。
TISAで初めて「こんなことがやりたい」と話したときは皆呆れ顔でしたが、この経験を通じて「やればできる」という大きな自信を得られました。

博士課程修了後、オーストラリアとアメリカへ渡る

アマテラス:

筑波大学で修士課程、東京大学で博士課程まで修了された後、オーストラリアにいらしたのはどういう経緯だったのでしょうか。

鄧飛( テンフィ):

修了後にそのまま大学に残る道もあったのですが、研究者としてやや物足りない気持ちを抱えていました。そんな時に学会発表で私の研究内容を高く評価してくれたオーストラリアのCSIRO(連邦科学産業研究機構)からお誘いを受け、招聘科学者として1年間研究に従事することになったのです。

その後は結局アメリカで研究を続けることにしました。研究先はMITとデラウェア大学の2校で少し迷い、最終的に炭素繊維の生みの親であるデラウェア大学を次の研究先に選びました。そのままデラウェア大学でポスドクからパーマネントになって、という流れです。

米国大学ベンチャーブームを受け、アメリカで起業

鄧飛( テンフィ):

デラウエア大でパーマネントを取得し、実力を証明した上で日本の大学で教職に就きたいと希望していたのですが、結果はアメリカに残ることにしました。起業に興味を持ち始めたのはこの頃で、私も大学の同僚の研究者と一緒に初めて起業しました。

アマテラス:

それまで一貫して研究畑だったテンさんがスタートアップを起業されて、大きなギャップを感じることもあったのではないでしょうか?

鄧飛( テンフィ):

それが、意外なことに私が在籍していた学科の先生達はほぼ全員起業していたため、あまり違和感がなかったのです。アメリカでは大学で教える傍らで、会社ではそれぞれが専門とする技術や素材を商品化するという環境が当たり前にあり、私自身も何の躊躇もなく起業できたのだと思います。

深センで起業。そして、最適な研究開発環境を求めて日本へ

鄧飛( テンフィ):

その後、2016年には深センでシーワン・テクノロジーという会社をパートナーと共に起ち上げました。量産設備もプロセスも全てがゼロからのスタートだったこともあり、資金調達がしやすい深センを選びました。2017年には日本法人も起ち上げ、深セン本社と東京の研究開発拠点という体制になりました。

アマテラス:

なぜ、深センではなく、日本で研究開発を行うことにしたのでしょうか。

鄧飛( テンフィ):

実はカーボン素材の分野で日本は圧倒的に世界をリードしており、私たちの研究開発に適した環境が整っていると判断したからです。

中国は資金力や製造コスト面での強みはあるものの、人の考え方や産業チェーンなどを含めた社会環境が十分に整備されておらず、日本から20年は遅れていると感じました。
さらに地政学的な問題もあり、中国では将来的な社会実装や世界展開は望めないでしょう。カーボンナノチューブは基礎素材ですから世界展開前提の事業拡大を想定しており、そういう意味でも中国の閉鎖性は私たちにとって大きな問題でした。

他方で、私たちの技術的なベースや蓄積を最大限に生かし、次世代の開発を行っていくために、新しい素材も使いこなせる設備・ノウハウ・知識を備える企業が圧倒的に多い「ものづくり日本」は最高の環境だと考え、独立した日本法人として再スタートを切る決断をしました。そして、2022年1月に株式会社カーボンフライを設立ました。

組織の拡大とともに、経営者としての壁を感じるように

アマテラス:

人材面のご苦労で特に記憶に残っていることはありますか? また、どうやってその壁を乗り越えられたのでしょうか。

鄧飛( テンフィ):

人材面ではもう失敗の連続で、乗り越えると言うよりは「失敗して学ぶ」ことの繰り返しでした。初歩的な失敗から学んだのは「ルールは必要だ」ということです。当たり前のことですが、どのスタートアップも初めはルールがないところから始まりますから、少しずつルールを整備して行きました。

こういった失敗を繰り返すうちに、そもそも人事や採用を研究者の私がいきなり頑張っていても、結局「できているつもり」だっただけで、実際は単なる時間とコストのロスでしかなかったことにも気が付きました。その後は人事採用職のプロに相談し、現在進行形で学んでいます。採用面接でも以前とは全く違う角度で分析していますし、総合的な判断もできるようになって来たと思います。

経営者であり研究者でもあることが目的達成のためには最も効率的

アマテラス:

技術ベンチャーでよく耳にする「研究者から経営者への脱皮」ですね。テンさんは研究者として働き、マネジメントは人に任せるという考えはありませんでしたか?

鄧飛( テンフィ):

私自身が「経営者であり研究者でもあることが目的達成のためには最も効率的だ」と考えているので、どちらかに専念したいと思ったことはありません。
研究者や技術者がどんなに頑張っても事業を成功させることは難しく、経営者の目線を持ってマネジメントしながらビジネスとしての着地を目指す方がはるかに成功率は高まるはずです。特に日本のような資源を持たない国は技術がないとなかなか価値を生み出せませんから、今後我々のようなスタートアップがたくさん出て来ることを期待しています。

研究者の世界は閉鎖的で、そこから出ようとしない研究者も多いことは理解していますが、研究者が変わらなければ社会は確実に衰退に向かいます。そして、それは研究者として最も無責任な行いだと感じています。

全ての人に心からのリスペクトを―経営者として自信過剰だった過去を反省

アマテラス:

テンさんは、経営者になって考え方が大きく変わったことはありますか?

鄧飛( テンフィ):

たくさんありますが、最大の変化は、それぞれの個を尊重してリスペクトできるマインドになったことでしょうか。

私の考える研究者の最大の特徴は「自信過剰」です。私を含め、特定の領域でプロフェッショナルになると、あたかも自分が全能のように感じてしまう傾向があります。
しかし、私はカーボンナノチューブを作ることには長けているかもしれませんが、同時に採用やPRといった分野にもそれぞれプロフェッショナルがいるわけです。お互いのリスペクトの上に、初めて会社が成り立つのだと痛感しました。

どんなスタートアップであっても、起業するということは小さな社会をつくるということです。その中心にいる私自身が皆を心からリスペクトできるかどうかは、この小さな社会の根幹に関わる非常に大切なことだと感じています。まだまだ修行中で完璧にはできていませんが、今後もずっと取り組むべきテーマだと思っています。

競争力強化のため、クロスフィールドでの取り組みを模索

アマテラス:

カーボンナノチューブの世界も技術は日々進歩し、ライバルもどんどん増えていると思います。競争力を維持・強化するために、どのように技術力を磨いていらっしゃるのでしょうか。

鄧飛( テンフィ):

カーボンナノチューブという素材の難しさを感じているところもありますが、現在はクロスフィールドでの取り組みに注目しています。
これまではカーボンナノチューブを中心に、カーボン系や炭素繊維など近いバックグラウンドを持つ専門家を集める傾向がありましたが、今後は様々な分野の技術を組み合わせ、共に課題を解決する組織づくりをしたいと考えています。

例えば、我々材料屋にとっては大きな壁に見えていたものが、化学屋さんにとっては何でもないことだったりします。分野が違うと考え方も違うのでぶつかることが多いかと思いますが、相互に折り合いをつけながらより競争力の高い組織に成長させられるよう、頑張って舵取りをして行くつもりです。

短期課題は技術の着地、長期課題は需要拡大時に対応できる組織づくり

アマテラス:

今後についてもお伺いします。現在テンさんが感じていらっしゃる短期的・中長期的な課題をお聞かせいただけますか?

鄧飛( テンフィ):

短期的な課題は「今の技術が着地できるかどうか」に尽きます。可能性が未知数の素材ではありますが、幸いここまでの積み重ねがありますし、このメンバーが力を合わせればきっとできるはずです。世の中からのニーズも大きくなりつつあり、経営者としてこの良いスパイラルを何とか軌道に乗せたいと頑張っています。

中長期的な課題は、「この素材が使われ始めたときに、我々がしっかり対応できる組織づくりができるかどうか」です。短期的な課題としてこの技術の着地に向けて頑張っているところだとお話ししましたが、ひとたび導入・採用事例が出て来ると、恐らく一気に使われ始めるタイミングが来るだろうと予想しています。そうなったときに混乱することなく、しっかり制御できる組織づくりが重要な課題だと捉えています。

誰もがこの場所で、この仲間と働くことが楽しいと感じられる組織に

アマテラス:

今後さらに人も増えていく中で、テンさんご自身は社風も含めてどのような組織にしていきたいとお考えですか?

鄧飛( テンフィ):

「誰もがこの場所で、この仲間たちと働くことが楽しいと感じられる組織にしたい」と考えています。

全く新しい素材に取り組んでいるわけですから、特に技術者にとっては参考にするべき基準もなく、苦しいことも多いです。スタートアップですから破格の給与を出せるわけでもありません。

では、そんな中でどうやって皆を惹きつけ、楽しんでもらえる組織を作るのか。それは社風であり、この場所であり、心からのリスペクトだと考えています。お互いの努力や小さな成功を見逃すことなく認め合い、「この会社は自分の価値を分かってくれる」という喜びを感じ、共に前を向いて楽しめる空気を作ることができれば、きっと強固な組織ができるはずだと思っています。優秀な技術者でもコミュニケーションは苦手で、自慢もアピールもできない人間は多くいます。「それでもちゃんと見ているよ」という空気を作って行きたいです。

新しいもの好きで、世の中の常識を打ち破るマインドを持つ人材が望ましい

アマテラス:

カーボンフライ社が現在求めている人物像についてお聞かせください。

鄧飛( テンフィ):

どんなことでも構いませんが、これまでの人生で、何か1回は達成したことのある人が良いなと思っています。それから新しいことに挑戦してみたい人、常識にとらわれず「世の中の常識はこうだけれど、頑張ったらこういうこともできるのではないか?」というマインドを持っている人が望ましいです。技術力以上に重要なポイントだと考えています。

今の施設チーム長は大手メーカーをリタイア後に初めてベンチャーに転職してきた人なのですが、「世界にないものを自分の手で作りたい」という強い意志を持って入ってくれました。彼から「前職では午後になると眠くなってしまうからお昼ご飯を食べたことがなかったのに、ここに来てからは食べないとエネルギーが足りなくなるからしっかり食べている」という話を聞いて大変驚きましたが、研究や設備の技術者にはこういうメンバーがとても多く、嬉しく感じています。強いマインドがあれば年齢も性別も身体的なハンディ等も全く関係なく、ぜひ採用したいと考えています。

優秀であるにも関わらず能力が発揮できていない人は世の中に数多くいるはずです。そこにどう発信し、理解してもらえば良いのかという悩みはありますが、先ほどもお話しした「この会社は自分の価値を分かってくれる会社だ」と感じてもらえる方法を、経営者として今後も探し続けるつもりです。

iPhone開発時のスティーブ・ジョブズのようなワクワクを一緒に

アマテラス:

最後に、このタイミングでカーボンフライ社に参画する魅力や働き甲斐についてお聞かせください。

鄧飛( テンフィ):

創業間もない会社で組織も技術も設備も、そして社風も含めてメンバー皆でゼロから作っている段階ですから、今入社してくれれば「参画感」はものすごく感じていただけるはずです。現在の社員数は30名程度ですから、経営陣との距離もまだまだ近いと思います。

また、この全く新しい素材が徐々に世の中に受け入れられ、身の回りの様々なところに取り入れられるようになり、そして世界にも展開されて行く、そんな過程を全て実体験できる時期でもあります。スティーブ・ジョブズ達がアメリカで密かにiPhoneを開発していた頃、今の私たちは正にそのようなタイミングにいるのだと思っています。近い将来、私たちの作ったカーボンナノチューブがiPhoneのように世界中の人たちに使われる日が来るかもしれません。私たちと一緒に、そんな瞬間を迎えませんか?

アマテラス:

本日はワクワクするような、素敵なお話ばかりでした。どうもありがとうございました。

この記事を書いた人

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片山 真紀

慶応義塾大学経済学部出身。 新卒で大手通信会社にて営業およびシステムエンジニアとして衆議院、JICAや日本・海外の大学などでシステム構築を担当。 家族の海外赴任帯同と子育て期間を経て、アメリカのITコンサルティング会社で知的財産の専門家向け判例データベースのアナリストとしてデータ収集・分析等に従事。 2017年10月からライターとしてアマテラスに参画、60人以上のCEOや転職者インタビュー記事を執筆。

 株式会社カーボンフライ

株式会社カーボンフライ
https://carbonfly.co.jp/

設立
2023年01月
社員数
35名(2023年1月31日現在)

《 Mission 》
この素材で、時代を未来へ。
《 事業分野 》
次世代Tech
《 事業内容 》
1. ナノカーボン材料及びナノカーボン材料関連製品の研究、開発、製造及び販売
2. ナノカーボン材料及びナノカーボン材料関連製品に関する設備、周辺装置等の開発、製造、販売、設置、メンテナンス及び保守
3. ナノカーボン材料に関するコンサルティング及び受託開発